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お前らの内なる植松聖を見つめろ!と言いたいらしいこの映画自体が植松聖並みの醜悪な差別をぶちかましているとの批判。この映画は見ていないが、間違えて見てしまう前にこの批判文を読めて良かった。この批判文の中で映画の推薦文を寄せている西村博之やフィフィも批判されており、彼らの読者層(冷笑右派)が映画の想定する観客層だと指摘されているが、どうだろう。辺見庸の原作を『新聞記者』などの故河村プロデューサーが映画化したものとなれば、これはどちらかと言えばリベラル左派文化人ムラのやらかし案件ではないか。作品の趣旨自体は全然違うが『ハマのドン』と同じようなものだと思う。神は細部に宿ることを忘れて、粗雑な手付きで障害者福祉をもてあそべば福祉の現場の人々が怒るのは当たり前だが、そんな怒りはそっちのけで『内なる植松がどうたらこうたら…』と哲学してみせるのが文化人というものなのだろう。彼らの人権意識など所詮そんなものだと思う。

今いちばんネトウヨなメディア企業と言えばニコ動(=KADOKAWA)とアベマ(=朝日新聞)だ。いやいや産経とかの方が右翼だろうと言われそうだが、あんなのは古式ゆかしき党派的右翼に過ぎない。ネトウヨとはもっと冷笑的に振る舞うのを良しとし、常に強きに媚びて弱きを踏みにじり、正論をあざ笑うために進んで不誠実さ下衆さを競うような振る舞いをするものだ。ネトウヨとはまさに日本の癌であり、その巣窟であるKADOKAWAと朝日新聞が潰れない限り日本のメディアは正常化されないとさえ私は思っている。

そのKADOKAWAがトランスヘイト本を出版しようとした(結局出版しないそうだが)とのことで、さもありなんという感想しかないが、これにショックを受けている人が結構いるのに驚いた。KADOKAWAの子会社がやってるニコ動に差別的な動画が山ほど上がっているので当然に抗議を受けて、一応ニコ動にも差別禁止の規約があるんだから規約違反の動画はBANせんかいと言ったら、ニコ動は何とその規約を廃止したのだそうだが、KADOKAWAって元々そういう会社じゃないの?私はとっくに不買の対象にしているし、何をこの会社に期待しているのかさっぱりわからない。アベマもそうだが、やはりオタクコンテンツの提供元だからなのかねえ。

映画館で映画を2本見てきたので感想を書くよ〜。1本は『ゴーストワールド』という20年くらい前の映画。いわゆる不思議ちゃんの女の子のモラトリアム期を描いたものだ。青春ものは主人公に共感さえできれば好物なのだが、この映画の不思議ちゃんにはイマイチ共感できなかったので、オタクのおっさんがクソガキに振り回されて酷い目にあう話としか受け取りようがなかった。まあラストシーンは割と良かったかな。
もう1本は『ちびねこトムの大冒険 地球を救え!なかまたち』というアニメ映画。なんか滅多に見られないレアなアニメ映画だというので見たのだが、タイトルからわかる通り全くのジャリ向けアニメで、なんで俺こんなものを見てるんだろ…と自問する羽目になった。90年代前半の作品らしいが、現代目線ではジェンダーロールの描き方が古臭すぎて違和感ありまくりだった。例えば男の子が冒険の相談をしている間に女の子はお茶汲みをしていたりする。90年代にはまだそういう事への批判的視点は無かったのかね?そんな事なかったような気がするけどな。やはりアニメの世界が特別ガラパゴスだったからではないかと思う。

有名な俳優や映画監督や脚本家が亡くなると、ああ亡くなったのか寂しいなあと思いつつも、追悼特番であの昔の名作をどこかの局が放送してくれないかなーなどと不謹慎な期待を抱いたりする。大島渚が亡くなった時も『絞死刑』あたりをNHKで放送してくれないかな?と不謹慎にもワクワクしていたが何一つ放送せず、だからNHKはクソ御用放送局と言われるんだよ!とキレ散らかしたものだ。まあそんなわけで、山田太一の追悼特番にも期待している。『男たちの旅路』や『シャツの店』『今朝の秋』あたりは何度も再放送されていて見飽きているからもっとマニアックというかレアな作品がいいな。銀河テレビ小説の『夏草の輝き』とか。大河ドラマの『獅子の時代』もいいねえ。追悼特番を一切やらないようならキレるよ。私がキレたところでNHKは知ったこっちゃないだろうが。

私の小学校時代の担任教師に共産党員の先生がいたのだが、これがまあ酷い先生で、私を含む特定の生徒を露骨に差別する奴だった。例えば教室内の備品が何者かに壊された時に、根拠もないのに「お前がやったんだろう!」と特定生徒を吊し上げたりした。そんな教師の振舞いを伝え聞いた私の両親は「民コロが!」と吐き捨てていた。いたいけな子供にそんな政治用語を吹き込む両親もどうかと思うが、とにかく私の共産党とのファーストコンタクトはかくも最悪なものだった。にもかかわらず、有権者となってからは他政党への批判票として共産党に投票することが多かったのだけどね。

最近共産党について「共産党ともあろうものが…」と批判する声をよく聞く。そのたびに、この党は過大評価されているのだなと思う。権力者の横暴に抗議する人々に対して学級委員よろしく「そんな言い方は良くないと思いまーす」と揚げ足を取り人々の怒りを買うのがかつての共産党のイメージだったように思う。だてに民青が民コロなんていう蔑称で呼ばれてはいないのだ。そんな共産党の昔のイメージが最近だんだん復活してきているようだが、まあ、そういう政党だと割り切った上であくまで他の政党への批判票として一票を投じるのはありなのではないかと思う。

ラーメンは私も好きな食べ物だが、あくまでも大衆食だったはずなのにごちゃごちゃ蘊蓄をたれたり「正しいラーメンの食べ方とは云々…」みたいなことを言い出す奴が出てきて、いつしかラーメン屋も能書きを貼り付けまくったりこだわりの材料だとか言って値段を上げたりし始めて困ったものだ。このように、庶民大衆のものだったはずが蘊蓄野郎のせいで大衆性を失う現象を「ラーメン化」と勝手に呼んでいる。「寿司化」「蕎麦化」でも別に良いが。

スポーツやショーの世界でも、例えばプロレスなんかはラーメン化しているジャンルの典型に見える。あれは台本通りにやっているんでしょ?と言うと怒り狂って反論してくるプロレスマニアはけっこう昔からいる。「確かにプロレスは純粋なスポーツではない。しかしショーでもない。あれは男同士の肉体と魂のぶつかり合いを肌で感じるものなのだ!」などとわけのわからないことを言ったりする。要は台本通りなんじゃねーかと思うが、そう気軽に言うと恐ろしいことになる。全くラーメン化したジャンルというのは始末に負えない。

まあ、いちプロレスマニアが文句を言ってるだけなら別に良いが、プロレス団体が自分で言い始めたら駄目だよな。しかも弱腰で知られる野党の女性議員にだけケチをつけるんだからダサさ爆発さくらやだよな。

筋トレをしながら『どうする家康』を見ていたが、家康は平和主義者で豊臣は好戦的という線で話を作っているので、方広寺鐘銘事件も徳川方の言いがかりではなく豊臣方が戦を起こすための挑発だったように描かれていた。むっ無理があるわあ〜。これではあまりにも豊臣秀頼が浮かばれんわ。バランスを取る意味でも、次の戦国大河では家康を超極悪人に描いてやってほしいものだ。

ときに、今の上皇が天皇を退位することになって次の元号の発表を控えていた頃、当時権勢を誇っていた安倍晋三が新元号に安倍の「安」の文字をねじ込むのではないかと噂になっていた。そこで私も予想を立てたのだが、今の元号が「平和に成る」というものだから、次の元号は「戦争をする」というものになるのではないかな?クソ右翼のネオコン政権が決めるわけだから…。というわけで、方広寺鐘銘事件にちなんで「安康」になると予想した。実際には「令和」だったので全然当たらなかったのだが。まあ、当時はそういう空気感があったわけだよね。

先日、安芸の阪神秋季キャンプが終わって、これで今年のプロ野球も大体終わった。あとは新外国人はどんな選手が来るのか、それと現役ドラフトはどうなるのかくらいだ。現ドラは去年は大竹が来てくれて最高だったけれど、今年もいい選手が取れるといいけどな。それにしても今年は夢のようなシーズンだった。今年日本一になったおかげで来年は心安らかにプロ野球を楽しめそうだ。18年も優勝していないことを散々馬鹿にされてきたが、もう馬鹿にされることもないわけだから。来年は岡田曰く井川より上だという門別が楽しみだねえ。それと柵越えを連発してマスコミの注目の的だった野口もね。もちろん下村にも期待している。来年が今から楽しみだなあ…。こんなことを言うとドラマや映画の死亡フラグのようで、来シーズンの開幕前に死んじゃいそうだが。

ところで、今日行われる優勝パレードについて。めでたいはずのパレードが維新の政治家の汚い手で汚されまくって全く素直に喜べない政治的イベントにされそうのは知っての通りだ。市の職員がタダ働きさせられるのも酷いし、YouTubeで全国中継されるらしいが抗議の意思表示として絶対見ない!…ということはできそうにないのが阪神ファンの悲しい性だ。せめて吉村や横山が出てきたらモニターに向かってブーイングをすることにしようと思う。

私のことは嫌いになってもAKBだかモー娘だかは嫌いにならないでくださいと言ったアイドルが昔いたが、それに倣って言えば、欧米は嫌いになっても欧米発祥の理念(自由、人権、人道、民主主義etc.)は嫌いになってはいけないと思う。今度のパレスチナの虐殺ほど欧米の欺瞞が露わになったことはない。ナチスドイツ以下悪の枢軸国を打倒した正義の連合国だと胸を張っていたのに、ナチスと同等のことをやっているイスラエルに加担している。米大陸や豪州で先住民を虐殺し土地を簒奪した「開拓者精神」は今だに息づいていたのだなと思わずにはいられない。が、だからと言って、欧米発祥の理念もまた欺瞞だ、人権も人道も否定すべきだという意見はおかしい。確かに欧米は欺瞞的だが、そんな欺瞞的な連中が普遍的な理念を生み出すこともままあるものだ。欧米諸国は自らが生み出した理念のもとに歴史に裁かれることになるのではないか。と言うか、そうでなくてはならないと思う。

池田大作については、10年以上前にもう死んでいてそれを今まで隠していた説よりも10年以上前に植物状態になって今まで無理やり生かされてきた説の方に説得力を感じるが、いずれにせよ、宗教のカリスマ的教主ともなればその生死によって大きな社会的影響が出るのでまともに死ぬことも許されないわけだ。一般的にカリスマ性というものは良いもののように言われるが、実態以上に凄い人のように見せる能力がカリスマ性だと考えるとそんなに良いものではないのではないか。カリスマ教祖と呼ばれる者のほぼ全員が信じていない者にはただの俗物にしか見えない事からしてねえ…。そんなわけで、信じている人には誠に申し訳ないが、池田大作も全くの俗物だったと思うよ。細川連立政権が樹立した時にうちの教団からデージンが出るぞと大喜びしたそうだし。あと、共産党の委員長宅を盗聴したこともあったよな。信者が言うような素晴らしい平和主義者がそんなことするか?と、カリスマ性が全くなく人に舐められっぱなしの私はそう思う。

大橋純子の訃報に際して、「大橋さんをはじめ昭和の歌手はみんな上手かった。それに比べて最近テレビに出ている歌手はみんなクソだ云々」というコメントを見かけた。さすがにクソだは言い過ぎのような気がするが、この手の話題になると、いつもこの動画を思い出す。
youtu.be/kf_VIbe6yZw?si=i4xtgM
キツネ目の女のイラストがゲシュタルト崩壊するような映像が何とも味があるCMだが、出てくる歌手もそれぞれに個性があってみんな上手い。これを見ると、確かに昭和から平成初期の歌手は上手かったよなーと思う。それに比べて今の歌手は…と言えるほど最近の歌を聴いていないのだが、ラジオなどで小耳に挟む限り、何だか曲も歌声もお坊ちゃんお嬢ちゃんじみた歌ばかりな気がする。まあ、そんな風に思うのは私のセンスが昭和だからなのだろう。今の若者が昭和の歌を聴いたらどんな風に感じるのだろうかとはいつも思う。私が戦前や戦後間も無くの歌謡曲を聴いたら歌い方が独特で変わってるなーと感じたりするが、今の若い人が私の若い頃の流行歌を聴いてもそう思うのかな。俺ももう年やなあ…。

夏ごろに自宅の外壁工事をやった関係で屋内で一時的にWi-Fiが使えなくなり、仕方なく屋外のWi-Fiが使える場所で夜のひとときを過ごしていたことがあったが、その時以来テレビの視聴習慣をすっかり無くしてしまっていた。以前は面白そうな番組を録画予約しておいて、それを一日の終わりに酒などを飲みながら見て過ごすのが習慣になっていたのだが、屋内でWi-Fiが使えなかった期間以来スマホをいじくり回して過ごすようになっていた。だってもうテレビなんかオワコンだからねーなどとうそぶいていたのだが、最近大河ドラマがそろそろクライマックスのようなのでちょっと見てみたくなって、何ヶ月ぶりかでテレビの視聴習慣が復活することになった。大河ドラマ『どうする家康』は相変わらず全然面白くないが、BS12で松田優作の『探偵物語』をやっていたりBS松竹東急で木下恵介アワーをやっていたりして、こんなのやってるんだったらもっと早くテレビ視聴を復活するんだった…!と地団駄を踏んでいる。つくづく私は昭和センスの人間だなと思うのだが、結局今テレビを見ても昔の番組の再放送しか私のような人間が見るものはないわけで、やはりテレビはオワコンのように思えてならない。

贔屓目もあるかもしれないが、阪神というチームは今や全国区の人気で、老若男女政治的左右を問わずファンがいるので、球団もそういう色がつかないように配慮しているように見える。そんなのどこの球団もそうだと言われそうだが、例えば巨人はナベツネの命令でOBが選挙に出馬させられたりしているし、オリックスも開幕セレモニーに維新の政治家が登場したりする。阪神はそういう事は決してしない。また、プロ野球は勝負の世界なのだから球団経営方針も冷徹で新自由主義的になりがちだが、その点も阪神はかなりホワイトな球団だと思う。かつて故中村GMは「プロ野球は若者に短期間夢を与えてあるいはという世界ではない。指名する側にも責任がある」と言って育成ドラフトに参加しなかった。中村氏の死後は参加しているが、それでも必要最小限の選手しか取らないし、高校生は取らない。プロでやっていけるとわかった時点で速やかに支配下に上げる方針を徹底している。阪神のそういうところを私は深く愛しているのだ。
そんな阪神球団の企業努力にミソをつけかねないのが維新主導の優勝パレードだよな。大阪市の職員が無償で駆り出される、クラウドファンディングへの参加を強要される。阪神の選手も同罪だ!との声が今にも聴こえてきそうだ。悲しくて涙が出そうだ。

戦争についての正しい物言いはひとつしかないと私は思う。それはすなわち「戦争反対!殺すのをやめろ!今すぐ上げた拳を下ろして話し合いのテーブルに着け!」だ。戦争にまつわる複雑怪奇な背景事情などは基本的に一般市民は慮る必要がないものだ。多くの場合、それは戦争に反対しない者の言い訳に過ぎないからだ。日本も含む腐った西側首脳がパレスチナの戦争(というか、イスラエルによる住人虐殺)に加担するのはなぜか。平和主義者だと思われていたバーニー・サンダースがイスラエルを支持するのはなぜか。理由を聞いたところで虚しいだけだ。我々にできることは「恥知らず!人殺し!」と連中を罵ることだけだ。その声が最大化した時連中もびびって、初めて戦争を終わらせる事を考え始めるのではないか。背景は複雑なのだから素人は口出しするなと言い張るマスメディアや専門家に騙されるなと言いたい。その「複雑さ」は、戦争反対の声を上げさせないためのトラップかもしれないのだ。

このところ阪神の日本一に呑気に喜んでいたが、その間にもパレスチナでは人が殺され続けている。正直、罪悪感を覚えたので、パレスチナの戦争について私が思うところを書いてみた。

録画しておいた阪神優勝記念特番を見ながら酒を飲んでいる。毎日阪神の事ばかり投稿していても仕方ないから、ひとつ今日はパレスチナの戦争について真面目な事を投稿しようと思っていたのだが、駄目だ。まだ阪神日本一の余韻で頭がボーッとしている。真面目になるのは明日以降にしようと思う。

ビールかけ見てるけど、やはり日本シリーズで打てなかったテルとかはあまり元気ないな。元気出せ!シーズン中にいっぱい貢献したじゃん!

38年前、私はつやつやぴちぴちの小学生だった。当時はどこのプロ野球チームのファンというわけではなかったのだが、ある日同級生に「お前どこのファンや?」と聞かれて「どこでもないわ」「だったら阪神のファンになれや」「ええよ」と言って、それから阪神ファンになった。何とも安易なファンのなり方ではあったが、その年阪神は劇的に優勝、さらに日本一になって、それを目の当たりにした私はすっかり阪神沼にハマってしまった。その後長きにわたって暗黒時代がやってくるとはその時は想像だにしていなかったが…。まあ、今日までのあいだ、色々あった。ちなみに、私を阪神ファンに誘った同級生とはその後疎遠になり、今ではこの世の人ではなくなったらしいと聞いた。38年はあまりに長い月日だよな。

しかしフジテレビはふざけてるよなー。優勝監督インタビューの途中で放送打ち切って、10分くらい後に始まったミヤネ屋みたいなワイドショーで一応申し訳程度にインタビューを流したけど直後に阪神ファンの民度がーみたいなコーナーが始まって、喧嘩売っとんのかワリャー?放送免許返上せえやネトウヨテレビ局が、けったくそわるい。

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