当たり前だけど、この世を辞すときはカネはもっていけないんだなぁ。経済的に困窮していたわけでもないのに学用品や学費を出してくれなかったあの親が、要請されて駆けつけた私らの交通費や(買ってきてと頼んだ)ご飯代にと万札を出すのを不思議な気分で眺めている(眺めるだけじゃなくちゃんと受け取りました)。もう使うタイミングも体力も気力も健康もないから、と。いい歳になってもまだ私の中ではひりひりした気持ちが残っている。私は学費を払ってもらいたかった。なんとかなって今があるのだからもう水に流せばいいのかもしれない。でも、あのような苦労をせず、学業にもっと集中したかった。大学院の半年だけどうしても工面できそうになくなって貸してくれと電話したときにもう(成人してるし結婚してるから)子供じゃないじゃーん、とか言って断られたことをまだ根に持っている。
とてもまっくろい愚痴 毒親とカネがらみの
以前、うんと年上の知り合いと雑談していて、自分のお子さんが離婚などして大変な時、お金はあったけどこの先必要かもしれないからと頼まれたけど出さなかった、でも、遺産としてその時より多く残せるんだから、結局は同じことでしょ、と言うのを聞いていて、とても複雑な気持ちになったことを、思い出した。年齢的にその方の子の立場でどうしても聞いてしまったというのもあるけど、このご長寿時代、遺産として降りてくる頃には、子の側だって、お金が必要だった時代を終えているのではないか。一時的に困窮している時の引っ越し代などに50万支援してもらうのと、定年した頃にもらう50万じゃ、ぜんぜん違うように思うのだが。