https://twitter.com/naomi85490234/status/1652393394830815232
上掲ツイート内の西岡議員らの動画ですが、厳しい言葉で差別のような悪い行為を批判するのは「日本の国柄に合わない」。確かに、悪いことを悪いとはっきり言わず、被害者の方に責があるかのように言いくるめ、うやむやにして差別を温存してきたのが、我が国の国柄と言えばそうです。そんな国柄は清算した方がいいはずなのですが。
https://twitter.com/ppsh41_1945/status/1653015977351876608
こっちも参酌すれば、西岡議員に代表されるような自民党議員、つまり「日本の偉い人」の少なからぬ部分が、「たかが国民ごとき」に権利など認めるのは増長だ、偉い人に黙って従ってればいいのだ、というはなはだ自分勝手な思いを抱いていることは確かに思われます。
https://twitter.com/mogura2001/status/1653408556920758272
この人は前から「表現の自由戦士」と「ネトウヨ」が合体したような印象がありましたが、いよいよ歴史修正にも乗り出したようです。例に挙げている塩山芳明さんは、思想的に正反対の漫画家・阿宮美亜を起用し、「右翼にしては芸がある」と仰ってました。思想はともあれ、利害が一致したら使うのです。
塩山さんの発言はイベントで聞きました。もうひとつ面白い話は、昔塩山編集部でかの田母神俊雄の娘さんがバイトしており、「お父さんと塩山さんは考えが違いますね」と言っていて、「お父さんよりしっかりした娘さんだった」という話。イベントのレポは https://bokukoui.exblog.jp/11114324/ にあるのでどうぞ。
『東急100年史』の池上電鉄について書いた節の冒頭に、池上電鉄以前から本門寺の「お会式」には東海道線が臨時列車を出したと書きましたが、これについて明治の作家・斎藤緑雨がこんなことを書いています。
「池上の会式に臨時汽車の出づるときゝて、一天四海皆帰妙なる婆さんの問に曰く、鉄道もやっぱり法華で」
これは実は、森銑三『史伝閑歩』からの孫引きです。
それから、五島慶太の「強盗慶太」のあだ名のもとになったであろう、東京地下鉄の乗っ取り関係の話は、枝久保達也さんの『戦時下の地下鉄』 https://amzn.to/3Nn8GQa に拠っています。私をフォローしてくださっている方なら先刻ご承知でしょうが、東急100年史にちょうど間に合うタイミングでした。
というわけで、私鉄の歴史や交通政策の歴史の研究も、50年でかなり進んだのです。その道を最初に切り開いてくれたのが青木栄一先生であり、その功績はこうして次の成果につながっていってるのですね。学問とはこうやって積み重ねられて発展するわけなのです。
さて、東洋経済の記事で取り上げられている、五島慶太の再評価、「今回の100年史編纂を通じて、五島は”役人”だったということを再認識した」ですが、五島が地下鉄に一家言持っていて、合併も交通調整の政策に沿ったものだった、ということは社史に私が書いたのですが、これにはネタ本があります。
それは駒澤大学の渡邉恵一先生が『鉄道史学』に書いた論文なのですが、これは入手が面倒なので、それをもとに一般向けに書き直した『ライフスタイルを形成した鉄道事業 シリーズ情熱の日本経営史8』がお勧めです。今でもアマゾンなどで買えます。
ちなみにこの本の書評は、発行当時に私もブログに書きましたので、興味のある方はご一読いただければ幸いです。五島慶太のほか、ピストル堤はもちろん、そしてもちろん小林一三と、あと東武の根津嘉一郎が取り上げられています。
東急100年史関係で検索していたら、先月、東洋経済のサイトにこんな記事が出ていたのに気が付きました。
「東急の祖「五島慶太」は本当に“強盗"だったのか」https://toyokeizai.net/articles/-/657568
100年史の戦前の内容が生かされていて、そのあたりを書いた私としてもまことに嬉しい限りです。
この記事の執筆者の森川天喜さんという方は初めてお見かけした名前ですが、こちらのご本人のブログ https://morikawa.hatenadiary.jp/entry/2023/03/11/073525 と東洋経済の記事とを突き合わせると、どうも東急側で社史作成の仕事を担当されていた、竹内敏浩さんとお知り合いだったようです。
「100年史の編纂に当たった、東急広報グループ主査の竹内敏浩氏は、大学時代に交通地理・交通史の大家として知られた故・青木栄一東京学芸大学名誉教授のゼミで学んだ経歴を持つ」
ちなみに全体の監修をした青山学院大の高嶋修一先生も、そして不肖私も、青木先生の自主ゼミに参加していました。
5月15日〜19日に名古屋大学で代数的場の量子論についての大学院生向けの集中講義をします。公理から始めて、Reeh-Schlieder property や split property、自由場の構成と Bisognano-Wichmann property などの証明をやる予定です。https://www.math.nagoya-u.ac.jp/ja/research/calendar/data/1681175280-12.html
ドイツに日本から来た学部学生には必ず伝えていたのは、日本は1945に敗戦で平和になったことになっているが、まだ戦争中なのだ、総力戦は継続されており、最前線で戦争しているのである、ということである。戦場に子供も老人もいらない、邪魔になるだけだ。象徴的なのは、東京の満員電車。あんなものに子供や老人、体の弱い人は乗れんだろう?あれは戦争の一部なんだよ、というとずいぶん納得してもらえた。
総力戦なので皆忙しい。暇そうにしていると罪悪感やら世間体やらでバツの悪い思いさえするので、忙しいフリさえする。若干無駄な用事でのスケジュールに入れ、周りも同様にそうするので相互作用で予定表は大変なことになる。そんなふうに時間を使ってしまったら、一歩引いて社会、生活、文化、政治、経済のことを考える余裕はなくなり、塹壕でずぶ濡れのまま闘うみたいなことがずっと続いているのである。
まあだから、最初にできることは、働く時間を厳格に短くし、皆に暇になってもらうことである。衣食住足りて礼節を知る、というが、それ以前に、時間である。そうすれば人間は誰でも考え始め、身の回りを生活しやすくなるようにする。
ツイッターで「日本を復活させるにはどうしたらいいか」という投稿があったんで、次のように答えた。要は時間泥棒(エンデ)にやられまくっているから、泥棒を排除すべきなのである。
https://twitter.com/kmiura/status/1649137806760103936?s=46&t=kJZ3SpIlbwm7gt3aMPOVzQ
https://twitter.com/highlow_white/status/1648608420130590726?s=61&t=6ac76PD3eUqXT7sXG70yDA
まあマスクがロクでもないことはいまさらであるが、こんな無法まで許されていいわけがない。流石にここまでやるとなれば、みんな撤退という感じになるんではないかな。
この間亡くなった坂本龍一が國分功一郎との対談で「今のミュージシャンはルーツを探ろうとしない」と嘆いていたのを思い出すが、同じことが聴き手側にも起きているのでは?と、この10年くらいよく感じることでもある。まあ普通の一般の人ならそれも仕方ないが、、先ほどの人は現代英国文化がフィールドな訳で、そんな調子で本職の分野は大丈夫なんだろうかと思ったりもする。この方、以前にはイギリスの食事がまずい、という定番ネタについても語っていて「案外まずくないんじゃないか説」を唱えておられて、まあそれは好きにすればいいんだけど、その英国の食事が不味くなった理由をご存知ないらしく、そこに驚いたわけですよ、こちらは。英国の庶民の食事が劣化したのは、産業革命の副産物なのは俺みたいなど素人にも知れた話でしょうに。私はこの方の本を読んだことないので、自分の分野では鋭いことを仰られているんだろうと思うけど(結構な売れっ子さんみたいなので、仕事内容が評価されての今なんだろうし)とは言え、そういう人でも少しでも自分のレンジが外れると脆いのだなあと。ただ最初に驚いたツイートは、学者研究者の前に人としてどうかと思いますが。
まあTwitterはいろいろなものを可視化するわけで、それは自分も全く例外でははなく。気をつけないといかんですな。
Twitterでシェイクスピア研究をされているらしい学者さんのちょっと信じられないツイートが流れてきて驚いたが、この人、少し前にはエレクトリックライトオーケストラについても随分無知なことを呟いていて(ファンだった知り合いが激怒してリツイートしてきたので知ったけど)、驚いたばかりだった。
まあファンでなくても「ELOはロックの殿堂に入っているけど、このバンドの曲聴いてバンド始めようとかいう人いたのかな?」的な話されたら、「え?」ってなるよ、そりゃ。ジェフリンを舐めたらいかんでしょ、流石に。80年代後半以降にデビューしたイギリスのポップスミュージシャンでELOの影響受けてないのを探すのが難しいくらいで。だって1970年代中盤からの10年余り、最も全米TOP40にシングル送り込んだバンドっすよ。日本だと奥田民生なんかは完全にジェフリンの影響モロ受けなのがよくわかるでしょ。故にPUFFYのサウンドがELO風味になるのも当然で、まあスターマーがスタッフにいるから当たり前と言えば当たり前だけども。
取り急ぎ https://twitpane.com/ をメンテナンスモードに切り替えて凍結された旨だけ書いておいた。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/fujita_taniguchi/22307
この記事に関連して、通俗道徳の話がツイッターで出ていたので。
通俗道徳は身分制社会の江戸時代でこそ、努力すれば家が栄える可能性を示して、人びとのやる気を引き出した面があったけれど、幕末にはその力を失っており、努力してもうまくいかない閉塞感が維新の一因にもなったと、須田努『幕末社会』にありました。
しかし、通俗道徳ではうまくいかない、という閉塞感で打破された江戸時代も、いざ明治になれば「(打破されたんだから)通俗道徳でうまくいく、うまくいかないのは自己責任」と読み替えられて、松沢先生のいう「通俗道徳のわな」により強く捕らわれることになってしまいます。
通俗道徳のわなと密接な関係があると思われるのが、助けられることへの「恥」の観念です。江戸時代半ばまでは、施しを受けることへの「恥」はなかったのに、幕末にはその観念が生まれています。と先日読んだ東島誠『〈つながり〉の精神史』にありました。