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自分があっての集団や他人と感じられるけれど、客観的に見るとまず集団や他人があって自分が存在する余地が生じたのであって、仮にそこに自分が生じなかったとしても集団や他人は困らないし、むしろ自分も困らない。自分が途中で消えたとすれば、あわてるかも知れないが後釜が見つかれば同じことなので、自分があっての集団や他人と感じてもそれを主張して受け入れられることはない。そこで画期的(?)な折衷案として「自分『たち』だけは特別だ」と発想し、部分集団を作成するが、そうであるからこそ、そうやって自らが作った集団に熱心に参加するよりほかなくなる。こうして人は自分を完全に失う。自分と他人との絶え間ない優越の入れ替わりの中にしか自分はいないし他人もない。

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