執着をやめないといけない。
相手の幸せを願ってそばにいるはずなのに
無条件で自分のそばにいて欲しい気持ちが強くて

しつこくて申し訳ない気持ちと、
自分を律する事が出来ない恥ずかしさが重なって辛い。

繋がりを求め、失うことを恐れ、褒めて欲しい気持ちが。

愛情、信頼、安心感に縋ってる事実が。

これから先も相手を理解したいし、理解してくれてるって信じたい。

もし失っても、投稿は見られる。
でも、気持ちや問いに、答えは返らない。
日常から消えてしまう。
そんなこと考えたく無い。

人の気持ちなんてコントロール出来ないし、すぐに変わる。
私の心は自分自身でコントロールできてない。

執着が悪いことだって思って、執着している自分を責める。

でも、執着するほど人に夢中になった事、無い。
打算で生きてきた人生だから。

ここまで純粋に、人に魅力を感じて、好きになった事なんて無かった。

大切にしたい。
大切にするって、どういう事なんだろう。

これでも我慢してる。
全然我慢して無いじゃんって言われたらおしまいだけど。

好きだし
好きでいて欲しい
それだけ。
それだけなのに。

だめだ。もう。
気持ちが溢れちゃって
一年前のこと、全部思い出しちゃって
だめだ

子供を産むということ
それは自分の人生を大きく変えるということ

これもまた不可逆性のこと。
責任を全て負うということ。

障がいを持つ子を産むリスク
死ぬまで寄り添って育てなければならない現実

一見なんら普通の子供に見えても
大きくなるうちに「あれ?」という事が増えて
初めてアレルギーに気づいた日
初めてアトピーに気づき日

他の親にも聞く。
初めて発達障害に気づいた日
初めて弱視に気づいた日
初めて難聴に気づいた日

毎日学校へ通い
いい成績をとり
いい偏差の学校へ行き
友人を、人脈を作り
いい会社に入り
安定した収入を得る。

そうすれば、幸せになれると思ってた。

そのためにも、出来る範囲で選択肢を与えつつ、心も身体も健康に育てなければならない。

働きながら。

インターネットが発展し、人は色々な情報を手に入れられるようになった。
何が正しいか、何が間違いかわからず。
携帯ばかり見て自分の子を見ていない時期もあった。
今もたまにある。

みんなみんな、他人を幸せに育て上げられる自信が無いんです。
だから、リスクを背負わないために産まないという選択をする。

自分も1人以上は無理だと判断した。
この世に不幸な人間が1人でも減るように。
その分1人を幸せにしたい。

そんな思いだった。

産休育休、ある程度期間が決まっている。
産育調査があるから講師の必要人数も把握しやすい。
イコール予算確保しやすい。

わかる。
そして、教育職員から少子化解消を…。
という狙いも少なからずあるとは思ってる。

制度を見直し、現状を分析し、出来るところを探して、実行する。
すごいな。私には勇気が無い。

それとは別の話として

突発的な療養休暇、突然の退職者が多すぎる。
正規職員でも「管内休補」という新たな職種?の人員が増え、正規職員が突発的な療休者所属へ入る。

欠補臨任として他校で年間勤務人員を確保しておきながら、
正規が欠員を埋めるために転々とする。

何故この話をしているかと言うと、
私にも話が来ているからである。

同一市内10年以上は、市教委へ報告されて、人事で強力な市外異動を勧められる。

市外へ行けない代わりに異校種へ行き研鑽を積むという、うまい言い訳をしたが。
次はどうなる事やら。


周りがどう関わろうと、本人がどうしようと自由。
だから、私「は」許「せ」ない
と、言った。

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今日は久々にリアルタイムでテレビを見た。

障がい者の活躍できる機会を!
と銘打って、コンサルしてる人たち。

みな人間ですから。
わざわざ、そう言わなくても良いんじゃない?本当にそう願ってる?金儲けの材料としか思ってないのでは?と邪推する。
現に、乗れる波には乗ると。それはそれで潔い発言だった。

当事者がそれを願い、ハンデを逆手にとっての雇用で活躍したり、手帳で割引したりするのは本人の自由だけど。

話は変わって
他人が他人を障害者呼ばわりしたり
他人が他人の出身やルーツを蔑視したりするの未だに許「せ」なくて。

かつ、そういう人を野放しにして関わり合おうとする人達も。

それもまた、一人一人を見てると。
「関わりたくないけれど、向こうがしつこい」
「切ったら何されるか分からなくて怖い」
と。その気持ちも、とてもわかる。

自分もまた、同じような事を人にしているのでは、と、不安になる時もある。
それならそれで、優しくフェードアウトしてくれればいい。真綿で首を絞めてくれ。

ずっとずっとずっと良い顔して内情を探り続け、怒りの矛先をこちらへ向けさせ、圧倒的不利な環境を作り、期が熟すのを待つ状態まで来た。

向こうのそれが正義を貫くと言うなら
私は私の正義を貫く
それだけ。

何もしていない。
そんな自分を受け入れる。
まずは、そこから。

ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も

ほんとにそう。
いつか思い出になったとしても。
既に思い出になっていることも。
私を生かしてくれる存在。

大切な人。

学力が必要なのは重々承知の上で。
テストでは測れないような力も、必要だよなと思う。

それが「生きる力」とか「EQ」「非認知能力」と言われているものかどうかは置いといて。

社会で生きていくために必要なスキルを「能力」という言葉と定義し。
平等に客観的に判断するために、能力の高低を数値化、指標とする。

統一学テ、通知表、指導要録の時点で既に始まっている。
そして受験戦争から、学歴採用…。

分かりやすいんだよね。
頭の良さ=高能力、努力の証みたいな。

子。
テストで間違えても「間違えたなら、もう一回やり直せばいいじゃん?また間違えちゃったら、またやり直せばいいよ。」みたいな事を、さらっと言う。

感心しますね。
間違いを間違いと素直に認め、やり直す。
わからない事を、素直に分からないと言える。

私みたいに「完璧にやらなきゃ」といった変なプライドが一切無いの、本当に尊敬する。

そのマインドを、メンタルを大人まで持って行って欲しい。
この両親から、どうしてこんなに素直な子が産まれ育つのだろう。
保育園や学校の環境が良かったんだろうな。

一歩間違えたら終わる、不可逆性を持ったもの。例えば命に関わる事とか。
そう言ったものも、もちろんあるのはわかってる。

その寛容さと素直さは、テストじゃ測れない。

やっぱり読みに行っちゃって
泣いてる。

あなたはそこに

好きな詩。

スイミーを習う直前での、谷川俊太郎さんの訃報。
レオ=レオニのフレデリックも
谷川俊太郎の詩もすきだった。

あなたはそこに 
という詩、泣けるんですよ。

何度見てもボロボロ泣けるから
いまは、見ないようにしてる。

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