お直しは切なくて哀しい噺。なんでこんなバカな男のために女が苦しい思いをしないといけないんだろうねえ。女が蹴転で亭主に、自分がどれだけつらいかを訴える場面。「こんなに白粉塗って、しゃべるたびに白粉がぽろぽろこぼれて」と涙ながらに訴えるところ。前に雲助師で聞いたときもそうだったけど、なんでここで笑いが起きるのかがさっぱりわからない。こんなに切ない心情の吐露があるだろかね。男性だけならまだしも、女性の笑い声が混じったのは許しがたいものがある。それにしても、誰が考えた噺かは知らないが、サゲのパンチったらすごいといつも思う。こんなに切なく皮肉な泣き笑いってあるだろか。
@torajiyama 分かる。古典の噺には、全く笑えない、泣けない、しみじみ出来ないものがあるよね。でも、じゃぁ、全部お蔵入りさせて仕舞えば 良いか?といえば、そうでは無いだろうと
も思う。かと言って改竄してしまうというのも違うと思う。噺家も観客も、考えねばならないことだね←😞🤔😞🤔😞(しかし、最低限、女性やハンディキャップある人達が聴いてて嫌な気分になるような噺は廃れるだろうな🤔)
@spicymargarita2 そうだね。改ざんはよくないね。最近なんだっけ、忘れちゃったけど、イギリスだかアメリカだけで、古めの文学の不適切表現を修正するとかしないとかいう話。その時代はそうだったということは残すべきのような。でもせめて、昨日みたいにわりと女性の多い会場で「おっぱい大きい未亡人のご相伴にあずかりに行く」みたいな話をわざわざ選んでそれを嬉しそうに語るセンスは改めろよ、と言いたい。
@torajiyama 噺家の意識と見識が問われるよな😑
これに限らず、コロナ禍明けで落語通いを復活させてからは、落語聴いてて「うっ」と思うことが増えた。天狗裁きもそうだ。「女なんてそんなもんだよ~」みたいなの、前は平気だったのに、ちょっとむっとする。この日の夏医者の夜這いのくだりとか、なんでこんな噺をかけるんだとさん助さんをにらみたくなった。ネタ出しされているような芝居では、女性が理不尽に殺される(シンケイカサネガフチとかお紺殺しとか)話は聴きたくないと思うようになった。前はそういうダークな噺がむしろいい、みたいに思った時期もあるけど。年齢のせいかもしれないし、ツイッターを始めていろんな情報に接したせいもあるかもしれない。
話が逸れた。あとはやなぎさんの「フラグ短命」がおもしろかったなー。「短命」のフォーマットを上手に踏襲しつつ、伊勢屋の婿が次々に亡くなる斬新な理由。そしてそれを「死亡フラグ」といういまどきの仕掛けとうまく組みあわせている。最後のサゲに至るくだりも秀逸。それまでの流れで、客はみんなどうなると死亡フラグが立つかがわかっているので、ひそかに「あーっ!」っと叫ぶような息を呑むような。前回聴いた「ろくろ首」もそうだったけど、古典のフォーマットに現代を入れ込む、その入れ方にやなぎさんはセンスがある気がする。少なくともわたしは好き。