ひとかけも楽しくない話です
12月3日午前4時18分、母が死んだ。享年60。乳がん。母はオタクで、腐女子で、私が唯一くだらないことで連絡のできるただひとりの友であり、親だった(父とは数年前離婚している)。LINEで初めて登録した友だちは母だったし、Twitterのフォロワーだった。ふぉろーは返さずにいたから、なにか話題に反応するときはLINEが送られてきた。
通夜も葬式もした。ただ眠っているような母がそこにいて、入院したと連絡を受けて駆けつけたときに苦しんでいたような様子は一切なかった。
火葬もしたし、骨も拾ったのに、母が死んだという実感がどこにもない。だって母は入院の報せの少し前まで何事もないように連絡を取っていた。私が会社のイベントで高尾山に登っていることを写真とともに伝えると、「がんばー」と返信してきた。「気をつけて帰れや〜」とも返してきた。私にとってはずっと普通だった。本人は苦しかったのかもしれないが。
入院の報せのあとすぐに新幹線を取って病室にかけこんだが、元気そうな母なんて当然いなくて、苦痛にうめく姿だけがあった。意識があるときは少しは楽なのか、会話は少しできた。少しだった。一晩泊まって、病室を出るとき、「大学行きたいなら今からだって行けるよ」と言われた。たぶんTwitterでそういうことを何度か言っていたからだと思う。私が大学に、というか進学したかったのはモラトリアムを延長したかったのと、親からそこまで面倒を見られたかったからという甘えでしかなくて、「別にいいよ、今からは…」と、涙声で答えることしかできなかった。
それから数日付き添って、当然容態は悪化するのみで、最後のまともな会話はそれでおしまいだった。救急搬送されて家に置き去りにされていた最新のアイフォンも、持っていってあげたところでもう見る力もなかった。
夜中の3時頃に付き添っていた兄から連絡が来て、タクシーを呼びつけてどうにか最期の瞬間には立ち会うことができたけど、医者の先生が瞳孔を確認するのを見て、あ、本当にやるんだそれ、みたいな気持ちだけがあった。
母が死んだことに一切の実感がなかった。
今でもくだらないLINEを送ったら返事が来るのではないかと思っている。そんなはずはない。今母のアイフォンは兄が持っている。入院中に送った文字や画像に既読はない。
Twitterを見ていると新男士の情報が目に入る。母は刀剣乱舞が好きで、童子切の実装を待っていたが、ついにそれを見ることは叶わなかった。母の本丸の男士たちは、帰らぬ審神者を待ち続けているのかと思うとつらくなる。母はリヴリーも飼っていて、それは私が引き継いだけど、ログインするたびに母を思って悲しい。リヴリーたちも私に世話をされたがってはいないだろう。このまま世話を続けるべきなのか、アカウントを消してしまうのがいいのかもわからない。この世に母を思い出すことがありすぎる。くだらない何かがあるたびに、こんなことがあった、と母に送ることもあった。そういう連絡をする相手、友だちが私にはいない。もうこの先Twitterで一生壁打ちしかできない。家事をしてえらいと自分を褒めるツイートにふぁぼを飛ばしてくる母はもういない。その現実をずっと受け入れられない。時が経てば傷も癒えるというが、癒えるのかどうかもわからない。いつまで続くかわからない苦しみでずっと苦しんでいる。
祖母から聞いた話なのでよくわかっていないが、母は乳がんだとわかりながらずっと通院せずにいたことを聞かされた(ある日突然腰痛がひどくなり救急搬送され、その後寝たきり状態になったという情報で私は過ごしていたが、あとから調べてみてようやくそれが骨転移とわかった)。そのくせLINEのログを辿れば私にはがんには気をつけろと注意喚起していたし、どうしてと思う。私は私の体よりも母に健康でいてほしかった。がんのことを知りもしないから、漠然と母は寝たきりのままでもどうにか永らえるのかと思いこんでいた。そんなことはなくて、母は死んだ。ただ苦しくてつらいだけの終わり方で、私は常に希死念慮に苛まれていたのに、死にたくないと思った(でも今は、そんなことがありながら人生を終わらせたいと思っている)。
なぜ死んだのか、母に問いただしたい。
25日、30歳になる。母が私を生んだ歳だった。母は娘が自分が我が子を生んだ歳になるのを見る前に死んでしまった。こんなひどいことがあるのかよ。こんなに嬉しくない誕生日を人生で一度だって迎えたくなかった。
おめでとうと言われたくない。何もおめでたくないから。
もうこの気持ちをどこの誰に向ければいいのかもわからない。こうやってインターネットの海に流すことしかできない。
ただつらい。
母に死んでほしくなかった。
@idola_ こんにちは 「リヴリー」という単語でよく検索かけてるのですが、こちらを見かけて思わず声をかけずにはいられませんでした
私も3年前に父を亡くしています 今でも父を思い出しては泣くことがあり、痛みの大きさが少しずつ小さくなっていくだけで癒えることはないのかなとは個人的には思います
ただ、いどらさんの心の内を吐き出せる場所があって良かったなとこのノートを見て思いました どのようにして受け入れていくのかは人それぞれだと思うので、少しずつ心の中で整理をしていっていけたらいいのかなと どのような選択をされてもお母様はふぁぼを押してくださるんじゃないかなと勝手ながら思いました 今はただ、ゆっくり休まれてください お母様のご冥福をお祈りいたします