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本文よりも短いのであとがきや解説から読みはじめることもある。作者あとがきを読んで本文を読むのをやめたこともある。

大きめの書店に寄るのも久しぶりだった。新版の夜と霧が置いてあった。訳者あとがきの中でパレスティナへの言及と言葉の改定について、目を引かれた。

色々あった一日だったので帰りに「風の十二方位」を買った。ハヤカワ文庫の微妙なサイズに合わせてカバーを折る。ル=グィンの小説、闇の左手とゲド戦記しか読んでいないため楽しみ。初めて読んだ闇の左手に驚いて、もうこれだけでいいと思っていた節がある。

年齢によって染めるなといい染めろといい、いちいちうるさいな、という気持ちもある。誰のためのみだしなみなんだろうとはたまに考える。

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白髪を染めたほうがいいのかなあと思いつつ白髪のことをそんなに嫌いでもないのでそのままにしている。子どもの頃からごく一部が白くて、特別な感じがして好きだったのもある。昔からのなじみというか。

自室に机がないと色々と不便。

さんがブースト

“詩って何? わかる?
バラでなくて、その香り。
空でなくて、その光り。
虫でなくて、その動き。
海でなくて、その響き。
私でなくて、この身に
見せて、聞かせて
感じさせてくれるもの。
普通の文章で表わせないもの。
そんなものだってこと、わかる?”

エリノア・ファージョン『詩』
幼い子の文学
瀬田貞二 著
chuko.co.jp/shinsho/1980/01/10

銀杏の並木が日を受けてきらきらしている。新緑の透明さ。

必要なのは「映画『オッペンハイマー』へのアンサー」ではないなあと思う。

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『女が死ぬ』
松田青子 著chuko.co.jp/bunko/2021/05/2070
『男性ならではの感性』

「男性の感性的にはどう?」
「男性ならではの感性が我々には欠けているのでは?」
「ちょっと待ってください、男性の意見も聞きましょう」

それは結局性別の規範から離れられないのではないか。

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男がフェミニズムに参加することが必要だ――イヴァン・ジャブロンカ著『マチズモの人類史』book.asahi.com/jinbun/article/

ここに引っかかる。 

 “女性がボーヴォワールの言葉に刺激され、自己を考察してきた過程を、今度は男性が歩む日が来た。男は男に生まれるのではない。男になる、男につくり上げられるのだ。つまり、男性がフェミニストになるということは、このことを自覚して、子どもの頃から無意識に強いられた男らしさをいったん離れ、男らしさを自覚的に選択しなおすことだろう。”

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読んでいた書評で気になった点。男性性の分析ということで面白そうだとは思ったけど。

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「時代に合致する/ポジティブな男性性を選択しよう」という話は「時代に合致する/ポジティブな女性性を選択しよう」と同じくらい警戒する。

『オッペンハイマー』に対する日本の観客の向き合い方を考える 映画の枠を超えた“警鐘”にrealsound.jp/movie/2024/03/pos

 “現在も日本国内にいると、第二次世界大戦で被害を受けたことについては多くの特集が組まれたり、作品がつくられているのを目にするが、逆にアジア諸国への加害行為、戦争犯罪については、それほどには語られていないのが現実なのだ。”

“大人がきちんと責任を取らなかった戦争は、未完のまま、次世代の子どもたちに引き継がれていきます。次世代には未来があるからです。子どもたちの未来はしかし、不都合な過去が先送りされるゴミ捨て場になっています。ちょうど、核のゴミを地中に埋めるように。”
web.sekaishisosha.jp/posts/293

web.sekaishisosha.jp/posts/293

 「このあいだ、小さな男の子が、不在の家族のパンのストックを食べつくし、そのあと罪の意識から逃れるために首を吊った。」

 “テオドール・ボルフという人の文章の一節です。この人は『ベルリナー・ターゲブラット』という大変有名なベルリンの一流紙のジャーナリスト。彼が、1917年ぐらいに、新聞記事で書いた本当に短い一節です。第一次世界大戦期のドイツでは76万人の餓死者が出て、その半数は子どもでした。『カブラの冬』を書いた私のモチベーションは、もうこの一文にすべてが入っています。”

 “戦争の最終的な責任というものが、本来それを引き受けるべき大人が権力と金を使って保身に走ったとき、権力も金もないところ、脆弱なところに流れていっている。子どもがパンを食べて、罪の意識が芽生えてしまうというところで回収されてしまっているわけです。これは日本も変わりません。大人がきちんと責任を取らなかった戦争は、未完のまま、次世代の子どもたちに引き継がれていきます。次世代には未来があるからです。子どもたちの未来はしかし、不都合な過去が先送りされるゴミ捨て場になっています。ちょうど、核のゴミを地中に埋めるように。”

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特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」web.sekaishisosha.jp/posts/293

 “一方で、私が彼らに伝えているのは、イラク戦争や、あるいはアフガニスタンの戦争なんかであったゲーム感覚の殺人です。『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017年)でも書きましたが、「これを狙おうぜ」「民間人がいるかもしれんぜ」「いいや、押してしまえ」「爆発した。爆発したぜ。わっはっは」という兵士たちの画像がYou Tubeに載っています。民間人が死んでいくことを誤差と考えるシステム、ゲーム感覚として殺すことと実際に殺されてしまうこと、つまり、爆風に吹き飛ばされ、体がもげて、血が流れるだけではなく、残された家族がいること、その家族がバラバラになった死体と対面しなければならないこと、画像の上で殺した人は、その行為を褒められることはあっても、咎められることはなく、キャンプに帰って音楽を聞いたり、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりできること。それらのあまりにも大きなギャップについて、彼らに考えてほしいと思っています。なぜなら、私たちの国はどちらの戦争でも、イラクやアフガニスタンの民間人ではなく、アメリカの側にいたからです。 ”

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