[寄稿]朴裕河氏の「帝国の慰安婦」めぐり擁護と批判で初の討論会
https://japan.hani.co.kr/arti/international/23951.html
中野敏男氏(東京外大教授)
「朝鮮人慰安婦が日本軍兵士協力者であり『同志的関係』を結んだとする同書の認識は、1992年に金学順さんの登場で開かれた新しい地平の前の段階に後退する主張であり、驚愕した。日本軍の法的責任を否認する本を支持することによって私たちはナショナリズムに陥ってしまうのではないか。(多くの研究者やメディアが)そのような本を歓迎する現在の日本の思想状況に危惧を感じる」
QT: https://fedibird.com/@takako3599/112227744009470285 [参照]
“アレクシエーヴィチ 私は京都で千手観音を見ましたが、悪はそれよりもっと多くの顔を持ち、人の心をしっかり捕まえているのではないか。そして今、闘いの場とはまさに人間の心なのです。人間の苦悩はまだ書かれていない。人々が死んでいくとともに持ち去られてしまう。それはたとえば「従軍慰安婦」にさせられた女の人たちの、自分では表現できなかった苦しみです。数千の物語が人々とともに消えていく。私たちが無知であるということは危険です。
私たちが書くことは人々の体験のほんの一部に過ぎない。二〇世紀とはそれだけ恐ろしい体験、人の力では救い得ないような苦悩の時代だった。私がロシア文化育ちだからかもしれませんが、行き着くところまで追っていかないではいられないのです。これを人間がやる以上はすべてを語る必要がある。悪魔に対しては鏡を差し出してその姿を映し出してやる必要があるのです。
しかし、それは人々に醜いものを見せ、恐ろしいことで衝撃を与えようとするためではなく、愛情のある行動として、人々が尊厳を持ち、力を持てるようにするためです。私たちはやはり、人間の尊厳をもって自分をまっとうするために生まれるんです。”
V 「小さき人々」を見つめて――アレクシエーヴィチと徐京植
https://www.iwanami.co.jp/book/b583375.html
#読書
読まないと、と思う。
「犠牲者意識ナショナリズム」 各国の歪んだ自意識と向き合う 朝日新聞書評からhttps://book.asahi.com/article/14742932
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し続ける責任がある。
#戦争反対
憲法前文の勢いについて……藤原辰史
“この期に及んで、わたしは悪くなかった、時代が悪かった、しょうがなかったんだ、なんて、あなたは所詮その程度の人だった。理想が簡単に実現しないなんて百も承知です。でも、わたしの荒みきった暗い心も、放射能に浸された子どもたちも、絨毯爆撃された廃墟も、もう、理想以外にすがるものはない。あなたを地中の闇に沈め、二度と這い上がらないようにしてあげましょう......こんな怒りで体の震えが止まらず、上ずっているような声を私は前文の行間に何度も聞いてきた。”
“「あなた」は必然的に自分をも名指す。だから、前文には人類の負い目もまたしみ込んでいる。自分たちが犯してしまった罪に対する身の縮まるような恥をわたしは感じることもある。”
#読書
「憎しみの/報復の連鎖」といった言葉によってパレスチナとイスラエルがあたかも対等であるように、関係の不均衡を覆い隠している。
特集「岡真理さんと考えるイスラエルによるガザ侵攻」https://open.spotify.com/episode/2UqBZKlBC2LHD4DZYcfPFl?si=4wNValXRRdGvKvkdgHEQ6Q
心に関するネガティブな話
「自己愛」「自他境界」、(他者の)内面の在り様の手がかりとなる言葉、容易に暴力となる。言葉は変わって新しそうでも、そこに込められた意図は昔から変わらないのではないか。コンテクストによるが「ケアが必要な人」とか。
『兵士であること 動員と従軍の精神史 』(朝日選書)鹿野 政直
https://honto.jp/netstore/pd-book_02513633.html
商品説明
動員された兵士は、自分の人生を中断されたという意味で被害者だった。が、武器をとる戦闘者であることにおいては、まぎれもなく加害者だった。兵士によって見きわめられた戦場とはどんなものであったかを説く。
アレクシエーヴィチとの対話
「小さき人々」の声を求めてhttps://www.iwanami.co.jp/book/b583375.html
負け戦──ノーベル賞受賞講演
“敢えて言いましょう。一九九〇年代に訪れたせっかくのチャンスを私たちは逃してしまいました。どういう国にするべきか、強い国なのか、それともまともな暮らしのできる立派な国なのか。この問いに対する答えとして私たちは前者の「強い国」を選んでしまったのです。それで今再び「力の時代」になりました。ロシア人がウクライナ人と闘っている。兄弟と闘っているのです。私は、父がベラルーシ人、母がウクライナ人です。こういう人はたくさんいます。ロシアの飛行機がシリアを爆撃しています......。
「希望の時代」は「恐怖の時代」に取って代わられ、時が逆行してしまいました。「使い古し(セカンドハンド)の時代」になってしまったのです。
今は「赤い」人の歴史を最後まで書き終える自信がありません......。”
アレクシエーヴィチとの対話
「小さき人々」の声を求めてhttps://www.iwanami.co.jp/book/b583375.html
V 「小さき人々」を見つめて――アレクシエーヴィチと徐京植
第15章 長い道
徐京植
“スヴェトラーナさん、「粗連人(ソヴォーク)」というのが「ユートピアの夢を捨てられない人」の別称だとすればそれは私自身の身近にも、私自身の内部にも存在しています。いや、あなたのなかにも存在しているのではないですか?父親に注ぐあなたの複雑なまなざし(それを「愛」と呼んでもいいでしょう?)も、私は理解できるつもりです。
それは、近代以降の歴史に激しく翻弄されてきた私たち、「ユートピアの廃墟」に立ち尽くしながら、それでもその廃墟で生きていく私たちに共通の思いであるからだと、私は信じたい。かつての「ソ連」と「粗連人」がそのままに復活することは望まないが、せめてその「負け戦」の痛い教訓から真実を摑みたい、そうでなければ、死んでいった(殺された)数百万人の犠牲はついに虚しいものでしかなくなってしまう。私はそう思うのです。そういう私は「ユートピアの奴隷」でしょうか?”
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています