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点眼のあと目の周りやまつげがぱりぱりするので拭き取り用のガーゼが欲しい。

『藤沢周平 とっておき十話』
高村光太郎と斎藤茂吉―二人の作品と戦争の関係otsukishoten.co.jp/book/b86737

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これを思い出した。

【作家の責任を問う】茂吉と光太郎yamagata-np.jp/feature/fuzisaw

「戦争協力の詩とか歌とかは、それを読んで未練を断ち切って戦争に行った人があるかもしれない、それを気持ちの支えにして死地に赴いた人がいるかも知れないということを考えるべきもので、文人とか小説家、歌人といった人に戦争責任があるとすれば、まさにこの一点にある訳ですが、茂吉の頭にそれがなかったのはいささか寂しい気持ちがします」

さんがブースト

「令和」に改元したとき、詩歌の世界ではそれを寿ぐ作品が頻出して、怖いなと思った。
「生まれながらにして尊い人」なるものを、疑っていない詩歌がだくだくと生まれた。
詩歌は怖いよ。詩歌はリズムで、その音楽的な快楽によって、愛国にも動員されていく……。

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さんがブースト

俳句は短いから、差別にも加担できるし、愛国にも加担できます。短さゆえの言えなさは、むしろ、差別や権力に利する表現になり得ます。
用心、用心。
575は覚えやすいがために、内容を無批判にするっと受け入れがちになります。

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さんがブースト

自分は俳句をしていますが、戦火に突入したときに、民衆の情動を愛国的に傾けるのは、詩歌です。愛国的な愛唱性ある簡単な詩歌が、コピーライティングとして親しまれる。とても危険です。

さんがブースト

思いの外反応があったけど、
詠めるいや詠めない詠みたくない詠みたいみたいな反応が多くて、そうじゃなくて、詠めない、詠むべきでないとか、そんなん好きにすればいいけど、だからといって、俳人まで句作スタンスに従って政治に黙っている必要はないだろうっ俳句以外にいろいろやりようがあるだろうって言ってるのに、リプライが私は詠みませんとかで、いや、そうじゃなくて!!!!!

twitter.com/nishikawaksn17/sta

サリンジャー、読んでわかった感じがない。何かに追われているような心細さと反転したような攻撃性、そんな感じがした。

〈20〉大学生ノリがしんどいです
☞ サリンジャー『フラニーとズーイ』がオススメwebchikuma.jp/articles/-/3473?

『コネティカットのひょこひょこおじさん』『エズミに捧ぐ』は昔読んで印象に残っている。

ルワンダで追悼式「悲しみ今も」 80万人犠牲の大虐殺から30年nordot.app/1149678407040696678

自前のセーフティネットが用意できない人間はどれだけ困窮しても仕方がない、興味がない、そういうメッセージを社会制度から日々受け取っている。

大分昔に亡くなった相手であれば諦めもつくかと思ったが、そうでもなさそう。過去からの言葉の堆積が今の一端を担っているのであれば、もう少しなんとかならなかったのかと思っても良いのではないか。

学生の頃から好きな作家とだんだん意見が合わないことが増え、寂しいけれどそういうものかと思う。自分の考えを拙いながらも積み上げてきたのだと、生きてきたのだと思うようにしている。

「人道犯罪、終わりに」 首相官邸前で市民デモ ガザ戦闘から半年mainichi.jp/articles/20240407/

中井英夫が『暗い海辺のイカルスたち』で宮柊二に触れていると知りメモ。tsogen.co.jp/sp/isbn/978448807

行きつ戻りつしながら少しずつ季節が変わっていくような感触がない。

ふと顔を上げるとつばめがあちこちにいる。飛んでいたり電線に止まっていたり。

さんがブースト

「国籍」をめぐる植民地主義と現代の課題
──著者が語る朝鮮籍をめぐる問い・後編
ibunsha.co.jp/contents/chong_y

 “そこには、前編・後編ともに繰り返し述べてきた池上的国家観と通底するものがあります。歴史的事実の問題を全て「国益」の問題に還元してしまうのです。そこには、歴史責任を追求して事実を調べてきた在日朝鮮人たちの仕事にしても、朝鮮総連と関わっているからとか、民団と関わっているからということで、実は朝鮮民主主義人民共和国の手先、韓国の手先だと、国家に紐付けしてそれで理解したかのようにしてしまう。自らの加害から目を背ける言い訳ばかりを探し、批判者を徹底的に迫害する。この結果、日本の人々は1990年代に本格的に始まったアジアの被害者からの責任追及の声に応じることに、完全に失敗したのです。

 全く馬鹿げていると思わざるをえないのは、韓国のベトナム戦争時における性暴力や民間人虐殺の事実を指摘することで、日本に対する植民地支配や戦争責任の追求を無化・相対化できる、と考えている人々がいることです。「民衆」あるいは「社会」という視点が一切ないですし、何より当時の自民党政権がベトナム戦争における米軍の行動を一貫して支持してきたこと、日本もまたベトナム戦争の当事者であることを無視している。”

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さんがブースト

なぜ「歴史のなかの朝鮮籍」なのか
──著者が語る朝鮮籍をめぐる問い・前編
ibunsha.co.jp/contents/chong_y

 “そういう意味では、外国人登録令とは、大日本帝国崩壊後も朝鮮人に対して植民地主義的な支配を続けたいという要望の下に、朝鮮人の法的地位を日本の管理下に置き続けようという法令であったと言えます。また、しばしば指摘されるように、日本国憲法施行の前の日に、天皇の最後の勅令として施行されたという事実は、極めて象徴的な意味を持っていると思います。”

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