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読んだ。著書に当たったほうが良さそう。記者の書き方や物事を捉える姿勢に対して、読んでいて居心地が悪かった。

韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは<記憶の戦争4>
mainichi.jp/premier/politics/a

アレクシエーヴィチとの対話
「小さき人々」の声を求めて
iwanami.co.jp/book/b583375.htm

V 「小さき人々」を見つめて──アレクシエーヴィチと徐京植

徐京植
 “たとえば監獄の独房は、囚人が隣の房にいる人間と顔を合わすことが決してできないように設計されています。しかし、獄中でガラスの破片とか手鏡をたまたま手に入れると、そんなことが見つかったら残酷な懲罰を受けるのですが、独房の格子から腕を出して隣を映してみることができる。私にとって優れた文学がこの鏡の役割をしてくれた。だから死ぬまでにもし可能だとしたら、果たすことのできないかもしれない夢ですが、誰かにそんな窓か手鏡として受け入れられるような作品を書きたいのです。”
 

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アレクシエーヴィチとの対話
「小さき人々」の声を求めて
V 「小さき人々」を見つめて──アレクシエーヴィチと徐京植
iwanami.co.jp/book/b583375.htm

徐京植 
 “「愛」という言葉もやはり一度、試練をくぐってつかみ直されなければならない時代であるような気がします。九九の悲しみのなかでかろうじて光っている一粒の石のような愛を拾い上げてきたとき、九九の悲しみの部分を捨象して、その一粒の愛を商品のように消費しようとする動きがある。それに対して、私たちはどう対抗できるのか。それこそが、この「小さき人々」の物語を書くのがとても難しい理由なんです。すなわち悲しみの原因を作ったり、あるいはそのような状況を容認している人たちが、政治犯の母の愛、チェルノブイリの犠牲者の妻の愛は素晴らしいと称賛し、それがすぐさま美辞麗句のお題目となって消費されていく構造もまた、私たちの前に立ちふさがっている大きな壁だと思います。”
 

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支援団体 “生活再建に向け行政は早い段階から見通し提示を”
www3.nhk.or.jp/news/html/20240

福岡県NPO法人「YNF」江崎太郎代表理事「断水や道路の寸断、雪の影響で今も支援が十分に行き届いておらず、近年の災害で見たことがないほどに被災者の生活環境が悪い。さらに自治体や支援団体も移動や宿泊の問題で疲弊しており、こうした状況が改善されるのは雪が終わる春ごろになるのではないか」

年々苦手になっていく食べ物、ネギ。玉ねぎも含めて。苦手→そうでもない→苦手の変遷。

“これを人間がやる以上はすべてを語る必要がある。”

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 “私が関心を持ってきたのは「小さな人」です。「小さな「大きな人」」と言っても構いません。苦しみが人を大きくするからです。私の本では「小さな人」自身が自らの「小さな物語」について語っていますが、それは同時に「大きな物語」にも触れることになります。私たちの身に何が起こったのか、何が起きているのかということはまだよく自覚できていないので、きちんと口にする必要があるでしょう。手始めにせめて何があったのか口にすべきです。それなのに私たちはそうすることを怖れ、いまだに自分の過去に向き合うこともできずにいます。ドストエフスキーの『悪霊』で、シャートフがスタヴローギンと対話を始める前にこう言う場面があります。「ぼくたちふたりは無限の中で......この世の最後に出会いました。そんな話し方はやめて人間らしく話してください!せめて一度でいいから人間らしい声で話してください」”

負け戦(いくさ)──ノーベル賞受賞講演
iwanami.co.jp/book/b583375.htm
 

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“アレクシエーヴィチ 私は京都で千手観音を見ましたが、悪はそれよりもっと多くの顔を持ち、人の心をしっかり捕まえているのではないか。そして今、闘いの場とはまさに人間の心なのです。人間の苦悩はまだ書かれていない。人々が死んでいくとともに持ち去られてしまう。それはたとえば「従軍慰安婦」にさせられた女の人たちの、自分では表現できなかった苦しみです。数千の物語が人々とともに消えていく。私たちが無知であるということは危険です。
 私たちが書くことは人々の体験のほんの一部に過ぎない。二〇世紀とはそれだけ恐ろしい体験、人の力では救い得ないような苦悩の時代だった。私がロシア文化育ちだからかもしれませんが、行き着くところまで追っていかないではいられないのです。これを人間がやる以上はすべてを語る必要がある。悪魔に対しては鏡を差し出してその姿を映し出してやる必要があるのです。
 しかし、それは人々に醜いものを見せ、恐ろしいことで衝撃を与えようとするためではなく、愛情のある行動として、人々が尊厳を持ち、力を持てるようにするためです。私たちはやはり、人間の尊厳をもって自分をまっとうするために生まれるんです。”

V 「小さき人々」を見つめて――アレクシエーヴィチと徐京植
iwanami.co.jp/book/b583375.htm
 

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「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白
digital.asahi.com/articles/ASS

 “自衛隊、警察、消防の邪魔になるからと、民間の支援者やボランティアが駆けつけることを制限しました。でも、初動から公の活動だけではダメで、民の活動も必要でした。医療看護や保健衛生だけでなく、避難所のサポートや住宅再建の相談などに専門のボランティアの力が必要でした。”

アレクシエーヴィチとの対話
「小さき人々」の声を求めて
iwanami.co.jp/book/b583375.htm

V 「小さき人々」を見つめて――アレクシエーヴィチと徐京植 

以前読んだきりだったので再読。

属性と犯罪を結びつけられないところがマジョリティの特権なのでは、と思う。

さんがブースト

性暴力するなって話を「性欲コントロールしろ」って言ってる人がいた。めちゃくちゃマッチョっていうか健常主義っていうか。
それ「性欲がコントロールできない」って社会からジャッジされやすいマイノリティ属性(精神障害者とか知的障害者とかトランスパーソンとか、同性愛者も性欲コントロールできないって偏見あるよね、あと外国人とか)が排除されるだけじゃないか?

性暴力防止って、個々人の自衛とか性欲コントロールでなく、仕組みで何とかしていくべきものでしょ。そもそも性暴力を引き起こすのって性欲だけの問題じゃないし。

加藤陽子・評 『軍国の文化 上・下 日清戦争・ナショナリズム・地域社会』=羽賀祥二・著mainichi.jp/articles/20240113/

“「社会全体から見れば、多くの戦病死者は無名の存在であった。……しかし、戦病死した兵卒は、自己の出身の町や村では決して無名ではない。生まれた家があり、彼を取りまく地域があった」

 犠牲をしかと受け止めた地域協同体は、同時に、戦争を支える協同体ともなる。それを本書では、広島や上野で開催された戦勝祭典から描く。会場は、協同体の敵対者への嘲笑や揶揄(やゆ)が表出される場となり、李鴻章などの清国指導者や清国兵を模した工作物がその対象とされた。”

最終講義ということで、担当講師二人での対話形式だった。話の中で「学問は人類の幸福にかかわること」といった言葉が出てきて、胸に迫ってくるようだった。。学術会議への政府の介入をはじめ、今起こっている様々なことを思わずにはいられない。
radiko.jp/share/?t=20240112120

自分のための何かを買うことが苦手。

借りてきた本もまだ読んでいない手元の本もあるのに新しい本を買ってしまった。嬉しい。

徴用被害者がまた勝訴 日本製鉄に賠償命令=韓国最高裁
m-jp.yna.co.kr/view/AJP2024011

“大法院は、18年に初めて日本企業への賠償命令が確定するまでは被害者が日本企業に対し権利を事実上行使できない障害理由があったとして、訴訟を提起する権利の消滅時効が成立しているため賠償責任はないとする日本企業の主張は妥当ではないと判断した。”

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