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さんがブースト

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『長安ラッパー李白』読み
表題作がまさかの反体制もの。唐詩(に限らないが)の押韻をラップに読み換え民衆の味方となって城壁に囲まれたまちまちを鼓舞するシーンは『両京十五日 天命』中盤の熱さを想起した。おかしさと悲しみのあるパンダSFも好き。多くが「文」にまつわる話だった。よく文を学び文を著せば立身出世に結びつく科挙制度(ざっくり言い過ぎだが)の浸透した時代ならではの物語群だなと感じると同時に、そんな制度があろうと自由になれない側にいる女性たちを語る「仮名の児」や「シン・魚玄機」が収録されているのも佳き。
好きの筆頭は巻頭の灰都とおり「西域神怪録異聞」。文章が飄々と歴史に穴を開け、未来も過去も織り交ぜて新しい「事実」に書き換えてしまうお話。文字を駆使したフィクションという小説の外見と内面の両要素を物語そのものに活かした手腕が見事だった。こういう、その媒体にしかない特徴を活かした「遊び」、好きです。この作品が巻頭でよかったなあ。

特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」中編
web.sekaishisosha.jp/posts/289

“これだけで分かりますよね。日本の近代というものはいったい何なのか。つまり、野添さんの言い方をすると常に「棄民をしてきた」、民を捨ててきた。そして、捨てていく場所すべてが、日本近代の病理が凝縮しているようなところになっている。”

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特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」中編
web.sekaishisosha.jp/posts/289

 “野添さんが捉えたのは再入植制度です。満洲、外地から戻ってきたけれども、すでに日本にその人たちの土地はないんです。なぜかというと、「満洲に渡る人は、土地を全部現地の人に残しなさい。現地の人は土地が2倍になって、その分稼げるから、そのお金によって今の経済不況を乗り越えなさい。満洲に渡った人は、日本とは比べものにならないほどの土地がもらえるから、もっと素晴らしい生活が待っていますよ」――そういう風に誘惑して、日本の満洲移民政策は行われたもんですから、帰ってきても場所がないんです。

 じゃあ、どうするかというと、その当時政府がやっていた再入植制度に応募して、さらに違った場所へと飛ばされるわけです。下北半島の六ヶ所村、のちに成田空港が建設される三里塚、オウム真理教がサティアンを築いていた上九一色村、それらはすべて再入植先です。”

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夢の役割とか無呼吸症候群とか、色々面白かった。

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放送大学の「睡眠と健康」で、諸外国とも過去の日本人と比較しても睡眠時間は年々短くなっていて、特に女性は昔から男性より睡眠時間が短い、という指摘があった。

九時間寝ると頭がすっきりする。

特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」中編
web.sekaishisosha.jp/posts/289

 “私が、このように日本の負の歴史に関心を持つのは、負の歴史のリストを並べ立てて、歴史反省国家を演出し、満足するためではありません。全身全霊をかけて負の歴史に向き合うと、いま大学や企業が宣伝で垂れ流す「明るい未来」がものすごく陳腐なものに見えてきます。逆にいえば、今はたとえ実現しなくとも、理想の社会とは何かを考えておくと、どんな勉強でも楽しくなります。歴史学もそうです。なぜなら、過去には「選んではならないこと」と「選んだらよかったかもしれないこと」があふれているからです。”

エイジズムはつねに自分(どの年齢であっても)に返ってきているものだから、いつも苦しいものだと思う。

Web広告なんとかならないかな。読みにくい。

高齢者の生活が苦しくなっても違う年齢の人たちの生活が良くなることはないので、対立させないでほしい。仮に良くなったとしても、全然嬉しくない。

『賢人と奴隷とバカ』
akishobo.com/book/detail.html?

 “こうした序列好みの言説には、やむにやまれぬという切迫した態度などない。そこにあるのは、それを口実に序列をつけたい、生に線引きをしたいという欲求である。稀少性があるから序列が生まれるのではない。序列をつけるために稀少性がなければならないのだ。つまり、稀少性はあえて稀少性のままでなければならないし、それがないところには人工的に稀少性を構築しなければならない。それがなければ、賢いふりをしたまま差別することができないからだ。”

19.すべてのオメラスから歩み去る人びとへ──反平等の時代と外部への想像力
 

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『賢人と奴隷とバカ』
akishobo.com/book/detail.html?

 “いまある状態がほとんど動かせないとなれば、その稀少な資源のなかで、どう優先順位をつけるか、危機に瀕した生にどう順番をつけるかに発想がなるのは当然である。その文脈にあるのは、このいまある世界以外の世界は不可能であるという揺るがすことのできない前提と、厳格なそのフレームの内部で「最善」をもとめる発想である。ただし、このたがの外れた現代日本は、そのような「常識的レベル」にとどまってはいない。たとえば医療現場の人間は、もちろんその都度の状況のなかでモラルや義務として「最善」をもとめるしかないだろうが、好んでこのような思考実験への嗜好性をみせる現在の日本の空気には、なんとしても生に序列をつけたいというサディスティックな欲求がまず透けてみえる。ここにもまた倒錯がある。”

19.すべてのオメラスから歩み去る人びとへ──反平等の時代と外部への想像力
 

【1篇特別公開】チョン・セラン新作短篇集『私たちのテラスで、終わりを迎えようとする世界に乾杯』(すんみ訳)
hayakawabooks.com/n/nafd94af7c

肩こりと頭痛は、ストールみたいに巻き付けるとまだまし。筋肉がついたところと逆に落ちたところ、体重の数字より体の変化でこれまで着てた服が合わなくなっている。

着込むと肩がすごく凝ってつらい。

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