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「相模原事件」が壊したもの(荒井裕樹)
note.com/poplar_bungei/n/n8199

 “もしも、私が「自分の生きる意味」について論証しようとして、うまく論証できなかったとしたら、私には「生きる意味」がないということになるのでしょうか。そんな理不尽な論証を求められたとしたら、私はそれを暴力と認識します。
 また逆に、もしも合理的で論理的な説明ができるなら、誰かの「生きる意味」を否定してもよいのでしょうか。私は、そんな合理性も論理性も身につけたくありません。
 そもそも、議論の行く末に責任のない人たちが、ある特定の人たちの「生きる意味」について議論すること自体、その「特定の人たち」にとっては恐怖だろうと思います。”

京都ALS嘱託殺人事件の判決では、何が問われたのか
webchikuma.jp/articles/-/3447?

 “安楽死を患者の「死ぬ権利」だと主張する声が広がってきているが、仮にそれが「権利」だとするなら、その「権利」を保障する責はだれが負うのか。法制化する以上は国家が負うのか。国家が医療に託して「殺してあげる」のか。それなら医療従事者は「殺してあげる義務」を負うのか――。「安楽死」を合法化した国々では、医療従事者が安楽死に関与しない自由を保障する「良心の権利」をめぐる議論が続いている。”

「恐怖の時代の始まり」だけでいいのか  死者と残された人への視点がない 「オッペンハイマー」:藤原帰一のいつでもシネマ
hitocinema.mainichi.jp/article

 “フランソワ・トリュフォーが、戦争を描いた映画はすべて戦争礼賛になってしまうと言ったことがあります。観客はスクリーンに展開する戦争に引き込まれてしまうと言う逆説ですね。私はこのトリュフォーの考えに必ずしも同意しないんですが、この「オッペンハイマー」におけるトリニティ実験は、恐ろしい時代の始まりではなく、ちゃんと爆発してよかったよかったという表現になってしまう。原爆投下を肯定するどころか、最初の核実験の「成功」に引き込まれるんです。”

さんがブースト

こちらの署名も第一次〆切が明後日までにゃん!
同じ社会で生きる隣人たちの立場がどんどん弱くなる、それはきっと誰にとっても他人事ではないはずにゃん!拡散希望にゃん😾👊

このオンライン署名に賛同をお願いします!「#永住許可の取消しに反対します
change.org/p/永住許可の取消しに反対します?ut
#永住許可の取消しに反対します

さんがブースト

一〇五三  政治家

あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
     羊歯の葉と雲
        世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう

aozora.gr.jp/cards/000081/card

沈丁花をみかけると沈丁花前線(塚本邦雄)という言葉を思い出す。みかける、というより香りでそうと気づく感じ。

遠くの田んぼにサギがいる。なにかいいものあったかな。

japan.hani.co.kr/arti/opinion/

 “ここで私は「再構築」「再建」という言葉を使ったが、そもそも「民主主義」が、内実を伴うものとして日本に存在していたかどうか疑わしい。こう書くと「自分は民主主義者だ」とか「自分は民主主義の諸価値を尊重している」とか主張して反発する人々が存在することは私も承知している。しかし、それは「民主主義」の消費者という意味ではないのか。決してその「生産者」(建設者)ではないのではないか。敗戦後、天皇制国家だった日本に戦勝国側から「民主主義」が供給された(「押し付けられた」)。その時、日本国民は「民主主義」の消費者となったが、生産者となることに失敗した。その貴重な「資源」を、あたかも化石燃料を大量消費するように自己中心的に消費し尽くした挙句に今日の惨状がある。”

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[寄稿]民主主義の廃墟―大量消費の果てにjapan.hani.co.kr/arti/opinion/

 “「天皇制は何故やめなければならないか。理由は簡単である。天皇制は戦争の原因であったし、やめなければ、又戦争の原因となるかもしれないからである。」「馬鹿げた侵略戦争を世界中に仕掛けた以上、日本は世界に対してその責任をとらなければならない。天皇制と封建主義とが日本を好戦的にした根本的理由であるならば、その理由を除き、天皇制を廃し、封建的残滓を洗い、再び好戦的になり得ないことを実行を以て世界に示さなければならない。」

 ここに引いたのは日本敗戦直後1946年3月21日に東京大学「大学新聞」に掲載された「天皇制を論ず」という寄稿の一部である。筆者「荒井作之助」は、のちの評論家・加藤周一の筆名である。加藤周一は天皇個人と天皇制を区別して議論することの必要性を強調しながら、天皇制という制度の廃絶を主張しているのである。戦後間もない時期、日本の中にもこのような正論が芽生えていた。それが今では、ほとんど誰も天皇制の廃止を口に出さない社会になったのだ。”

新緑で木がもこもこしている。燃え上がるよう。

山を眺めているとあちこちに白っぽいところがあり、桜が咲いているのがわかる。

さんがブースト

「闘争の死命を決したのは、国会の公式調査団を追い返した長島事件(1966年)と、河浦漁協総会阻止(1944年の実力行動だった。
 体を張ることなしには勝てなかった。正当な言論だけでは変えられなかった。情けないかな、それがこの国の民主主義の現実である。これらを実現せしめたのは、ひとりひとりの「わたし」の意思、覚悟、勇気であることを忘れてはならない。」
『原発の断りかた ぼくの芦浜闘争記』柴原洋一 月兎舎

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さんがブースト

「国家や大企業のこうした仕業について、もしぼくらが黙っていたらどうなるのか。あなたにそのつもりはなくても、黙認・同意にカウントされてしまうのだ。そうなれば、否応なく被害者を追い詰める側に立ってしまうことになる。黙っているか、それとも声をあげて戦うか。ぼくら自身が試されている。南島町民は、後者を選んだ。」『原発の断りかた ぼくの芦浜闘争記』柴原洋一 月兎舎

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さんがブースト

「さらに重要な指摘は、より少ない人間が暮らす「辺地」を、選ぶ立地側の姿勢だ。辺地に住む人たちの命は、都会人より軽いのかと。ここに、差別としての原発の本質がある。大東京の電気のために犠牲となった福島県の現実が、それを如実に物語っている。
南島町方座浦の入り口にあった看板を思い出す。
「原発が安全なら都会へもっていけ」
ぼくはこれを超える原発拒否の論理に出会ったことがない。」
『原発の断りかた ぼくの芦浜闘争記』柴原洋一 月兎舎

塚本邦雄の「さみだれにみだるるみどり原子力発電所は首都の中心に置け」を思い出す言葉。

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さんがブースト

『原発の断りかた ぼくの芦浜闘争記』(柴原洋一 月兎舎)読み始めた

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