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美術館はこれまでも抗議活動の場であった。国立西洋美術館で起きた抗議を機に、海外の事例や理論的な積み重ねを解説(文:五野井郁夫)tokyoartbeat.com/articles/-/pa

 “パイパーは、ニューヨークでデモを行っていたホームレスが掲げていた「これはパフォーマンスじゃない」というプラカードに衝撃を受けたという。というのも現状の政治課題に対する表現は、芸術家によるインスタレーション等のパフォーマンスの一環として認識されてしまったその瞬間に、その場で必死で訴えていたあらゆる生のリアリティは剥奪されてしまい、「アート表現」として深く考えたり解決したりする必要のない、無害な芸術表象へと解消されてしまう恐れがあるからだ。”

 “それは、芸術家が芸術として行う、安心して観ることのできる「パフォーマンス」ではなく、人として行ったアクティヴィズムであった。人を安心させるのではなく時として不安にさせ、確実性ではなく一触即発の不確実性を孕んでおり、既存の一般的なキュレーションを越えてコントロールできない、その場にいる人々の居心地を悪くさせる何かである。そこに洗練さや巧さは必ずしも必要とされない。”

悪口とは相手のランクを下げること、という指摘に通じていると思う。

『悪口ってなんだろう』 (ちくまプリマー新書)honto.jp/netstore/pd-book_3260

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ブラックフェイスの話
『差別はたいてい悪意のない人がする』otsukishoten.co.jp/book/b58588

“すべてのユーモアが優越理論で説明できるわけではないが、ある種の笑いが、このような恥ずべき内面性から出てくるという事実を否定することもできない。ある集団を笑いものにするユーモアは、このような集団心理によってつくられる。そのため、「なぜおもしろいのか?」という質問は、「笑っているのはだれか?」という質問に置き換えられる。黒人の扮装を見て笑う人は、自分をどんな集団と同一視する人なのか。笑わない人たちは、どんな位置にいる人なのか。”
4章 「冗談を笑って済ませるべきでない理由」

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侮蔑は楽しい。
『差別はたいてい悪意のない人がする』otsukishoten.co.jp/book/b58588

 “トマス・ホッブスは、人は他人と比べて自分のほうが優れていると思うとき、プライドが高まり、気分がよくなって笑うようになると説明する。だれかを侮蔑するユーモアがおもしろい理由は、その対象より自分が優れているという優越感を感じられるからである。”

 “集団間の関係においても、同じような現象があらわれてくる。人は自分を同一視する集団に優越感を持たせる冗談、すなわち自分とは同一視しない集団をこき下ろす冗談を楽しむ。もしも相手の集団に感情移入してしまうと、その冗談はもはやおもしろくなくなる。あくまでも相手を自分と関係のない人、あまりたいせつでない人だと想定しているからこそ冗談を冗談として楽しむことができるのだ。相手の集団に対してネガティブな偏見を持っている場合はどうだろうか。決して自分とは同一視せず、むしろ距離を置こうとする集団に対する侮蔑は、みずからの属する集団の優越性を確認できる、楽しい経験になる。”

4章 「冗談を笑って済ませるべきではない理由」

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取りかかるのも読みすすめるのも遅いのでいつか読む本のリストばかりが長くなる。

徐京植氏のオンラインで読める文章を少しずつ読んでいるのだけど、書籍としてまとまった形のものが読みたい。買うしかなさそう。

さんがブースト

即時停戦を求めるメールアクション、
今日3/22(金)もあります。11:00〜13:00と、21:00〜23:00がコアタイム。

首相官邸🔽
kantei.go.jp/jp/forms/goiken_s

外務省🔽
contact.mofa.go.jp/form/pub/mo

在日アメリカ大使館🔽
jp.usembassy.gov/ja/services-j

ジェノサイドをとめろ。即時・恒久的な停戦を。UNRWAへの資金拠出再開を。動物用物資の持ち込み許可を。戦争犯罪に加担するな。

いずれも、個人情報の入力不要で送れます。どこからでもできるプロテスト。一言でも二言でも、ぜひ。





🇵🇸🕊️

「被害者救済への道閉ざす」 水俣病訴訟、原告側請求棄却 熊本地裁mainichi.jp/articles/20240322/

家族の在り方、とても政治的。

多様化する家族の形、どう描く 教科書検定、NGが出たケースはmainichi.jp/articles/20240322/

 教育図書の場合
 “主人公が3世代で一緒に暮らす「ちびまる子ちゃん」や、血のつながりのない家族も同居する「名探偵コナン」などの登場人物を紹介し「家族って何だろう?」などと問いかけた。その上で「法律上の親子関係や夫婦関係ではなくても、お互いに家族のような意識をもって暮らしている場合もあります」と解説した。

 だが、検定意見がついた結果、「家族って何だろう?」の問いを「家族とはどのような存在だろう?」に改め、「法律上の親子関係や夫婦関係ではなくても~」の一文を削除した。”

[私の書斎の中の古典] 沈黙で殺人に加担しているのではないか
2014-08-11 japan.hani.co.kr/arti/culture/

「どうしてきみは、「他人の骨を砕けば砕くほど、自分自身を打ちくじくことになる」と断腸の思いであえて発言する者たちを勇気づけてやらないのか。/きみはきみの沈黙によって、殺人者たちに加担しているとはいえないか。」

『ユダヤ人の友への手紙』iwanami.co.jp/book/b264622.htm

自分は今不安や焦りを感じている、と少し距離を取れると良いなと思う。

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困っている人に攻撃的になるとき、その人の困り事に対して何もできない無力感や不安や焦りや、そういう感情のバランスを取ろうとして表出されることがある。個人的な経験として。

体調が格段に悪く、今まで寝ていた。これから何か食べる。

なんだかずっと考えていた。 

映画はまず観ないけど、一映画作品に対して求めすぎているという意見には納得できない。特に海外でも上映されるのなら。フィクション(物語)とメディア(広告)の結びつきは昔から強く、それだけ人の心に影響を及ぼしてきたから。積み上げてきたキャリアのある、著名な人による映画作品として、白人男性の苦悩にフォーカスし、被害者(特に非白人)が見えない舞台設定で、観客のアメリカ人にとっての原爆観を揺らすこともない。そういう作品を世に出すこと。既存の価値観を再生産し強化する作品をひとつ世に出すこと。批判はされるだろう。

ノーランという名前を私のような映画から遠い人間でも知っている。その影響力。

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Fedibird

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