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 “(前略)差別が構造化された社会のもとでは、個人がおこなう差別も慣習的かつ無意識的におこなわれる場合が多い。そのため、発言や行動をする立場からは、どのような言葉や行動が差別になるのか、前もって認識することができない。このような認識のずれがあるにもかかわらず、つねに正しい言葉や行動をとらなければならないということは当然、当人にはプレッシャーになるだろう。”

 “だが、平等の実現のために耐えなければならない変化は、ほんとうに、現在の不平等よりもプレッシャーになり、居心地が悪いことなのだろうか。質問を変えてみよう。現在の不平等な社会は、私たちにとって快適なのだろうか?”

9章 みんなのための平等
otsukishoten.co.jp/book/b58588

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今日はこれを読み返していた。

「差別はたいてい悪意のない人がする」著者インタビュー 無自覚に他人を踏みつけないためにできることbook.asahi.com/article/1453208

『差別はたいてい悪意のない人がする』hiroshimapeacemedia.jp/?p=1401

9章 みんなのための平等
 “差別をめぐる緊張には、「自分が差別する側でなければいいな」という強い欲望、ないしは希望が介在している。ほんとうに決断しなければならないのは、それにもかかわらず、世の中に存在する不平等と差別を直視する勇気を持っているかという問題である。”

 “差別や抑圧が、日常の中の無意識で偶発的な習慣、冗談、感情、用語の使用、固定観念などによって成り立つ場合が多いことを考えると、アイリス・ヤングの言葉通り、やたらに人々を批判するのは難しい。「それにもかかわらず」とヤングは、「無意識的で、意図しなかったことでも、抑圧に寄与する行動、態度に対して、人々と制度は責任を負わなければならない」と言っている。ここでの「責任」とは、自分が無意識的におこなった行動を省察し、習慣と態度を変えなければならない責任を指す。”

映画「オッペンハイマー」 米国でどう見られたか | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターhiroshimapeacemedia.jp/?p=1401

nordot.app/1138039981261963676

【取材後記】
“一方で、山本一太知事が言うように、碑が国の友好に資するのではあれば、県にとっても碑の存在は有益だったはずだ。ルール違反として撤去に踏み切れるだけの理由があったのか。疑問が残る。加害行為を反省する機会をみすみす手放しているように感じるからだ。山本知事は歴史認識の問題ではないと否定する。しかし、結果的に、強制連行を「うそ」と主張する保守系団体や杉田水脈氏の強弁を追認してしまっているのではないか。”

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朝鮮人労働者の追悼碑、県が撤去した根拠は「後出し」だった? 議会も「全会一致」で採択したはずが…13年後に態度が一変nordot.app/1138039981261963676

“東京大外村大教授(日本近代史)「経済的な事情から希望して来日する労働者も中にはいたが、何らかの意味での強制力をもつ日本国家の政策的関与のもと動員されたというべきだ」
 
 旧大蔵省の統計によると、1939~45年の計画に基づき、約72万人の朝鮮人が内地や樺太、南洋諸島に動員された。政府は戦後、動員された中国人の氏名や労務先の企業名などを調査しているが、朝鮮人についてはこれらの詳しい実態調査を行っていない。”

「戦争準備」の流れと無縁ではない 自衛隊靖国参拝で高橋哲哉さんdigital.asahi.com/articles/ASS

 “靖国神社は、東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯が合祀(ごうし)されたことで批判を浴びてきましたが、私は軍国主義の精神的な支柱として国民を戦争に動員する役割を果たした責任が大きいと考えています。旧帝国と旧軍の歴史の反省の上に今があるべきなのに、いまだに過去との連続性を断ち切れていないところに自衛隊の参拝の問題があります。”

生老病死の理不尽を受け入れることと生老病死を取り巻くシステムの理不尽を受け入れることは別だと思っている。

『ここに物語が』shinchosha.co.jp/book/429913/
和田稔『わだつみのこえ消えることなく』のところを読んでいるとき、なんとなく考えていたのだった。結果として為すこと自体は変わらないので、欺瞞とわかりつつ、国家のためではなく大切な人を守るため、そこにしか落としどころがなかった人はいたと思う。人を追い詰める国家の暴力をフォーカスしてほしい。

相手(システム)は変わらないので自分(の考え方、捉え方)を変える、みたいな個人の内面の話にすり替えてないか、と思うことがある。考え方や価値観を省みることは大切なのはそうだけど、それだけでは足りないのでは。

さんがブースト

戦争や国家間の争いをテーマにしたフィクション作品で、キャラクターの暴力を正当化する落としどころが「ただ自分の大切な人を守るため」にされてるのよくあるけどこれ危ないというか怖いというか、国家にとって実に都合のいい情緒というか、欺瞞じゃねえかよ~~~と思うようになったんだよなあ。大切な人を守りたいなら戦うべき相手は権力だろ…?社会構造だろ…?ってどうしても気持ちが冷める。直近だとスパイファミリーもこれで無理になった。

障がい者は感情的になりすぎ? それ論点のすり替えです。トーン・ポリシング(話し方の取り締まり)をすべきでない理由mbit.co.jp/mag/column/40714

 “トーン・ポリシングが可能にすることは、障がい者(特に精神障がい者や発達障がい者、知的障がい者)を過度に感情のコントロールができず社会性がないという間違ったステレオタイプにはめることで、聞き手にとって都合の悪い方向へ進んでいた会話の主導権を聞き手が取り戻すこと。意識的であろうとなかろうと、力関係で強い立場にいる側が差別や抑圧や排除をしたのではないかという罪悪感に晒されたことから逃れ、「差別や抑圧や排除はなかったことにする」ことです。”

なぜ「歴史のなかの朝鮮籍」なのか
──著者が語る朝鮮籍をめぐる問い・前編
ibunsha.co.jp/contents/chong_y

 “まず、1冊の本の話から始めたいと思います。池上努『法的地位200の質問』(1965年、京文社)という本です。1965年11月、つまり日韓法的地位協定が調印された5ヶ月後に刊行された本で、法的地位協定に関する「200の質問」に著者の池上努という法務省入管局に勤めていた検事が答えるという内容になっています。

 このうち、第160問の「日韓協定に基づく永住権を取れなかった者や取らなかった者の処遇は一体どうなるのか」という質問に対して、池上は次のように答えています。”

 「これも何度も言ったとおりで、日本政府の全く自由裁量に属することとなる。国際法上の原則から言うと、煮て食おうと焼いて食おうと自由なのである。日本政府を拘束するのは特定国家間の条約だけであり、日本と通商航海条約等で入国、在留、その他の待遇について特別の約束をした者とか、日韓協定で一定の待遇を与えることを約束した者に対する待遇だけが日本政府の自由裁量権を制限するのである」(167頁)

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権利を主張することは「わがまま」ではない。国際人権法の専門家・藤田早苗さんに聞く「人権」について
co-coco.jp/series/human-rights

 “思いやりや親切は基本的に、自分が仲間だと感じている人、助けたいと思える人にしか向きづらいという点も重要だと思います。本来、自分の仲間であってもたとえそうでなくても、人権を持っているという点ではみんな同じなわけです。

 誰にでも普遍的な人権があって、あらゆる人間の尊厳が重視されるべきだという意識が希薄だからこそ、入管施設の職員による暴行のような差別的な事件も起きてしまうのではないでしょうか。1960年代には、当時の入管当局法務官僚だった人物が「(外国人は)煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」と自身の著書に記して大きな問題になったのですが、現在の入管問題を見ていると、いまだにそういった意識は変わっていないのではないかとすら思えてきます。”

そして具合はまだよくならない。

具合の悪いときは病院に行くのがいいけど病院につくまで、待っている時間、診察の時間、会計、薬局、家までの移動、とかを予想するとなかなか踏み出せない。

闘争のインターセクショナリティ
-森崎和江と戦後思想史-
大畑凜 著seidosha.co.jp/book/index.php?

『いまファンタジーにできること』
アーシュラ・K・ル=グウィン
kawade.co.jp/np/isbn/978430946

 “わたしたちの現実が見せかけの愛国心と独りよがりの残忍さへと堕落してしまったようにおもわれる、このアメリカで、想像力による文学は、今もなお、ヒロイズムとは何かを問いかけ、権力の源を検証し、道徳的によりよい選択肢を提供しつづけています。想像力は倫理について考えるのに役に立ちます。戦いのほかにたくさんの比喩があり、戦争のほかにたくさんの選択肢があります。そればかりか、適切なことをする方法のほとんどは、誰かを殺すことを含んでいません。ファンタジーは、そういうほかの道について考えるのが得意です。そのことをこそ、ファンタジーについての新しい前提にしませんか。”

胃が痛くて横になっており、かといって休まらない。

胃腸は気分屋。感情を司る脳の部位と胃腸などの自律神経を司る視床下部が近いため影響を及ぼしやすいとか。違うかも。

[徐京植コラム]「兵器提供者」となった韓国と「芸術の力」japan.hani.co.kr/arti/opinion/

アイ・ウェイウェイ
「芸術家は戦争を止めることができなかったし、今も止められない。将来もそうだろう。その意味では無力だが、感情に訴え、間違った思考の国家に対し、違う考えがあること、それぞれの人生は意味のある美しいものであるというメッセージを出すことができる」

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