群馬の森「朝鮮人追悼碑」代執行で撤去方針…それで「政治的な紛争」はなくなる? 抗議が止まらない理由とは
https://www.tokyo-np.co.jp/article/304273?s=09
「強制連行の一端を担った県がすべきことは追悼碑の撤去ではなく、死者の把握を含めた労務動員の実態調査を行うことだ。それによって中韓との友好を進めることが、行政の歴史的責任ではないか」
[ルポ]撤去危機の群馬「朝鮮人追悼碑」…「韓日友好20年の象徴、なぜなくすのか」
https://japan.hani.co.kr/arti/international/49000.html
“撤去の論議が始まったのは、第2次安倍内閣が発足した2012年からだ。「新しい日本を考える群馬の会」などの右翼団体が、2004年の除幕式から毎年行われてきた追悼式の新聞記事を調べ、発言者の表現一つひとつを問題視した。例えば「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を記憶することが重要だ」などの発言が攻撃の的になった。右翼は「強制連行」は日本政府が認めていない内容だとし、追悼碑を作る際の「政治的行事を行わない」という約束を破ったと主張。そのため市民の会(「守る会」)は2013年から追悼式もできずにいる。2014年4月、「追悼碑10年許可」を延長しなければならない時期が近づくと、右翼はより露骨に動いた。”
『埃だらけのすももを売ればよい ロシア銀の時代の女性詩人たち』高柳聡子
http://www.kankanbou.com/books/essay/0604
【「はじめに」より】
わずか15人しか紹介できないのだが、彼女たちの詩の向こう、言葉の向こう、生の向こうに、その他の無数の女性たちの声を感じ取っていただけたらとても嬉しい。戦争や革命のどよめきのなかで世界のあちこちに散らばっていき、今ではどこに眠っているのかわからない詩人も多い。だからこそ、同じ言語で詩を残した女性たちは、こうして一冊の書物の中に久方ぶりに集うことを喜んでくれるような気がしている。(高柳聡子)
あとがきたちよみ
『国家とは何か、或いは人間について』
https://keisobiblio.com/2021/02/17/atogakitachiyomi_aruihaningen/
“その一つは、丸山が旧制高校に在学していたときに、特別高等警察に逮捕された経験です。ドストエフスキーのいう「懐疑のるつぼのなかで鍛えられた信仰」を参照して、「国体」がこのような懐疑に耐えているのかという疑問を丸山は日記に書きました。それを示されながら、「おまえは君主制を否定するのか」と問い詰められた際、「否定したつもりはありません」と答えようとしたら、いきなり猛烈な罵声と鉄拳が飛んできたという体験です。
丸山はこの体験を反省するなかで、戦前から戦後の巨大な思想的転換の意義がどこにあるのかを知ったといいます。戦前に疑問を抱くことと否定することの区別がなかったのは、君主制=天皇制を受け入れるか受け入れないかの選択の余地がなかったからです。そして、彼は戦後に生きる人びとに、こう問いかけます。疑問に思うことさえ認められなかったときに天皇制を受け入れたのと、天皇制を否定する選択肢があるにもかかわらず天皇制を受け入れるのと(積極的にであれ、受動的にであれ)、その意味はまったくちがうのではないかと。ここから、象徴天皇制を受け入れることの責任の問題がでてきます。”
【寄稿◎遠藤比呂通】
金顕球先生にティリッヒを学ぶ――『人権という幻』と『国家とは何か、或いは人間について』のあとがきから
https://keisobiblio.com/2023/10/18/essay_endohiromichi/
“金牧師 遠藤さん、あなたは、「虫けらのように殺された」ことがない。「虫けらのように殺された」在日の私が、日本人のために祈るようになるのに、何年かかったと思いますか。それ「にもかかわらず」祈るから、祈りなのでしょう。それがわからなければ、ティリッヒもわからない。彼の神学は、絶望の深淵から紡ぎ出される、それ「にもかかわらず」生きる勇気に基づいているから。”
【岩波新書〈新赤版二〇〇〇点突破記念〉 この10冊】寺尾紗穂 周縁化された人々から歴史を問う[『図書』2024年1月号より]
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7758?s=09
“優生学が流行した大戦期は、東欧からの白人系移民は一部受け入れたものの、非白人系は制限にさらされ、白人との婚姻も禁止された。ナチス・ドイツが人種政策を決める際に「アメリカの優生学的断種法や異人種間結婚禁止の法体系をモデルにしていた」ことも指摘される。戦後は共産圏が敵とされ、共産主義から逃れるインドシナ難民をアメリカは熱心に迎え入れた一方、中米の人々には経済的難民と切り捨て、受難に冷淡だった。”
“あきれはてるのは日系人で下院議員となったダニエル・井上と当時の岸首相の戦後の面談で、日系人から米国大使がでるかもしれないといった井上に、岸が述べたという「あなたがた日系人は、貧しいことなどを理由に、日本を棄てた「出来損ない」ではないか。そんな人を駐日大使として、受けいれるわけにはいかない」という言葉の貧しさだ。”
強制不妊訴訟 2審で6件目の賠償命令 国の責任認める 大阪高裁
https://mainichi.jp/articles/20240125/k00/00m/040/163000c
フェミニストと保守の奇妙な<連帯>
――韓国のトランス排除言説を中心に――
福永 玄弥
https://www.jstage.jst.go.jp/article/genderhistory/18/0/18_75/_article/-char/ja/?s=09
“トランス女性がシスジェンダーの「女性に不利益をもたらし、社会的混乱を引き起こしかねない」として両者の間に敵対的関係があるかのように強調するとき、「保守の会」がそれを根拠づけるために「女性スペースを守る会」の主張を引用しているという事実は示唆的である。なによりも、「保守の会」が性的マイノリティの人権を保障する条例案に反対するために、右派の学者や政治家ではなく、「女性の権利を守るために」結成された団体の主張を根拠にしているという点において 。”
第一章 哲学を定義する
抵抗にいいも悪いもない
“抵抗は、それがうまくいくかいかないかという価値判断とは無縁です。
なるほど、戦略的な抵抗を企むこと、抵抗の有効な組織化を計画すること、要するに「勝つこと」を考えることにも意味がないわけではありません。勝てるに越したことはないでしょう。しかし、獲得されるべき効果や成果から遡って抵抗の是非を問い、良し悪しを判定するようなことにはまったく意味がありません。抵抗に、いいも悪いもありません。”
“皆さんは、叩かれて「痛い」と言っている人を見て、「きみが『痛い』と言って何の意味があるのか?叩いてきた奴に反撃しなければ意味はない。だいたい、その『痛い』という声は小さかった。どうせ言うなら大声で、相手に確実に聞こえるように言うべきだった」云々と批判するでしょうか?そんな批判は無意味です。”
“叩かれて「痛い」と言うこと、これはすでに抵抗です。(略)「もう、こんなことはいやだ」ということがおのずと発せられている。抵抗というのはそういうものです。”
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています