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#ノート小説部3日執筆 オリンピック、パラリンピックにあまり関係のない話 

「オリンピックかあー……」
「どうした」
 つい先日、夏季オリンピックが始まったばかりである。
 クーラーを入れた部屋に、男二人が雑に寝転がっていた。
 つけっぱなしのテレビでは、実況が熱をあげて叫んでいる。
 俺は寝たままテレビのチャンネルを変えてぼやいた。
「オリンピックには興味ねえんだよなあ」
「そうなのか? なんで?」
「なんでって……おまえがアカデミー賞や芥川賞に興味ないのと同じだよ」
「ああ、そりゃ、そうだな」
 国を挙げての応援……とはいうが、温度差があるのが実際である。
 というかそれを強要するような政治体制でもないのだから当然だが。
「最近アナウンサーの声と言いかたで勝ったか負けたか当てられるようになったよ」
「ほー」
 そいつはたいして聞く気もなく答えた。
「でも、勝ったやつがすごいっていうのはわかりやすいな」
「競技によっていろいろあるけど、まあ、わかりやすいほうか」
「走るのなんか、一番速いやつが一番すごい。実に気持ちがいい」
「オリンピック見ないやつの発言とは思えないぜ」
 ははははははとどちらからともなく笑い声が上がる。
「最近、走ってないなあ……」
 成人したてとはいえ、二人は運動サークルに入っているわけでもない。
 高校までとは違い、走る機会がとんとなくなってしまった。
「こないだ信号で走ったぞ。足つりそうだったけどな」
「マジで? すごいじゃん」
「だろー。ほら、金メダル、金メダル」
「おう、じゃあ、金メダル授与! パーンパーカーパーンパーン」
「やったー!」
 横になったままのバンザイは、伸びをしているのと変わらない。
「じゃあさ、オリンピック期間中、すごいことしたら報告しようぜ。で、メダルを渡す」
「お、いいよ。やろうやろう」

 それから俺たちはラインで報告しあった。
「野菜食べた」
「おっしゃ、本日の野菜摂取個人、金メダルだ!」

「今日は寝坊しなかった」
「もう一声。銀メダルってことで」
「厳しいな!?」

「一駅歩いたぞ」
「すごいぞ、本日の歩行個人、金メダルだ!」

「風呂入れた」
「うーん、予選通過」
「厳しくない!?」

 パラリンピックも閉会した頃、また会う機会があった。
「結果発表〜!」
「わー!」
「俺は金が26個でおまえが……」
「102個」
「なんでだよ!」
 どうして金メダルの数に4倍近くも差があるのか。
 ライン送った数は同じくらいだったはずだ。
「金メダルとるのはたいへんなんだぞ」
「そういうリアリティいらねえ〜」
「オリンピック、興味ないんじゃなかったのか」
「それとこれとは……うん。やっぱ金メダル欲しい」
「素直なのはいいことだ。じゃあ、がんばったで賞と、おれに金メダルいっぱいくれたで賞をやる」
「やったー! ……じゃねえんだよ。なあーんか納得できねえー!」
 クーラーをかけているにもかかわらず、じたばたと動くと汗が吹き出す。
 九月にはいったとはいえ、まだまだ暑かった。

#ノート小説部3日執筆 crooked road/お題「オリンピック・パラリンピック」(一次, 全年齢) 

小高い丘にある歪んだ壁と屋根。増築の跡が見える部屋のソファーに座り映像を観る少年と、外を見て煙を浮かべる壮年の男。
「ねえ、ロッコー。来月、始まるね。」
「あ?」
「いっつもトボけないでよ。始まるよね、オリンピアド。」
古来より続く祭典オリンピアド。世界規模で行われる競技は《陸送》《応用演武》《ポンヤッシュ》など多岐に亘る。
各競技での上位3名には将来とある場所への転移が約束され、一度でも得れば再挑戦する物好きは居ない。
結果、大抵は安全な競技を選び、いつか自分にも巡ってくると信じて出場し続ける。
そうではない競技も数える程度ではあるが現存している。若い頃のロッコーが人生を掛けて挑み続けた《ダンメタ》がその一つだ。
デュアルと呼ばれる拳幅の板2本を右腕と右脛に装着し身体を丸め、左の脚力だけで数々の難所を踏破していく危険極まりない競技。
それ故に、競技者の肉体は歪な成長と傷を重ねる。近代での競技人口は他と比べ相当に少なく、倍率の低さを狙う者たちの集まりだった。
少年の両親は無論そんな競技を嫌い、歪な男の歪な家に通う事さえ良く思っていなかった。格好つけたい年頃なんだと半ば放任されていた。
「…そうだな。」
いつもの、少しの沈黙からの『じゃ、飯行くぞ。』を期待していた少年は虚を突かれ、後頭部に疑問が駆け巡る。
週末に足繁くここへ通う理由は、憧れだけではなくタダ飯にありつける事も含まれていて、他には後ろ向きが積み重なった結果でもあった。
タダ飯とはいえその店の料理はお世辞にも言えたものではないのだが、それでも”あの家に居たまま昼を迎えるのは…”だから。
さっきの疑問の答えに辿りつけようはずもなく、振り向いたままの少年に男は言葉を続ける。
「ついに見つけたんだよ。俺の納得できる結末をやっと選べる。」
「なんで?え?とっくに諦めてたんじゃないの?だからアレもずっと外にほったらかして、」
「人間ってなぁな、1年もすりゃ別人に変わる。何も矛盾は無ぇ。」
「じゃあさ!申し込んでたんだ?!えっうっそ!?始まったら見れるんだ!!」
「申し込んじゃいねえよ」
「…は?」
「関係ねえんだ、見つけたんだよ道を。」
納得が行かず答えを待つ少年。しかし相手は、そこまでとばかりに「じゃ、飯行くぞ。」
少年はまたしても虚を突かれ混乱で脱力したせいか、腹の奥で返事をする。
「久しぶりに聞こえたな。今日ならいつもより旨く感じるかもしれんぞ。」

普段より遅い時間、客もまばらで広々と座れた。
「オカミ、いつもの2つ、量も味も。」
『えぃ』
ほどなくして目の前に置かれる深めの皿。積み重なったカリフラワーを連想する量のそぼろ肉と、申し訳程度に点々と埋まっているファルファッレ。
その異様な具のバランスにどんな肉を使っているのかと疑問を挟んだら負けである。
味付けは薄い酸味と塩気。何味とはメニューに載ってないし言い表せない(絶対に調理してからケチくさく掛けてるだけ)。
相変わらずだったが、それでもいつもより早めに食べ終わった。飯を奢った当の本人は煙を浮かべ水を飲みながらそれを見ていた。
けれど、いつもと違って店を出てからも会話は無かった。そして約束の日まで少年は会う事さえ止めた。

夜の景色かどうかも分からない、黒と白の柱のようなものがデコボコに連続にそして同じ向きで傾きながら取り囲まれ、見えなくなるまで続いている。
(これって何か…鍵盤でもないし)例えられず圧倒されている少年を尻目に、男は床に置いたソールカバーのケースからデュアルを取り出す。
まるでこれから練習でも始めるかの様な、けれど唇を固く閉ざし、やがてダンメタの姿勢が整う。
「ロッコー、ねぇ、やっぱりさ」
「お前はこの道を進むなよ、頼むぞ。」
紐が内から外に千切れるような音の後、歪な屈伸は解き放たれた。
音と風に飲まれた少年が目を閉じる直前の光景。3つ目の黒い柱を滑走する姿だけをかろうじて、でももう開けていられない。
訪れる静寂。ずっと意識はあったはずなのに、寝覚めの悪い朝の様な気分で薄目を開ける。
見慣れた星空をぼーっと、なぜその景色なのか考える力もなく、青白い点の群れはゆっくりとぼやけて、虹のように色は別れた。
「っう、ぐ。ん、う゛ううう!」
どうして連れて行ってくれなかったんだ。こんなの呪いだ。僕にどれだけ、誰ももう僕のことを。
甘える相手はもう居ない自覚が支配するにつれ、分からない何かへ当たり散らす。語彙力の少なさが惨めを誘う頃、少年は眠りについた。

「アイツ、応用演武始めたってよ。」
今更かとかやっぱりかとか黒歴史終了ですかとか、周囲での噂話はしばらくの間続いた。当然の反応ではあるが。
聞えよがしな会話に、少年は脳内で目まぐるしく反論しながら机に塞ぎ込んでいた。今だけだ、今だけだ、いつか。
小高い丘の歪な家が抵当で差し押さえられる前に、探し出した分厚いノート。読んでもサッパリ分からなかった。
ホントはずっと持ち歩いて少しでも時間を使いたい。けれど、見つかってイタズラされたり盗られたりするのは絶対に避けたかった。
同じ結果になるだなんて一体誰が証明していた?僕にとっては違う道になってても良いくらいだ。だから必ずコレを全部理解する。
薄暗く灯る心は立ち止まることを許さなかった。

#ノート小説部3日執筆 お題『オリンピック』 『跳んで、飛ぶ』 

小さい頃、俺は宇宙が好きだった。青空の更に向こう側にある、光る星たちの世界。それも、俺たちに見えるものはほんの一部でしかなくて――地球より高く飛んで行って、それらを見たいと思った。
 けど、宇宙飛行士になる、なんていえる程の情熱まで、俺は持ち合わせていなかった。一緒に宇宙に夢を見た親友は頭が良かったが。
 そうして、夢もやりたい事もなく過ごした中学時代。その最後の年。テレビで見たバスケットボール。ゴール下で、ある選手が見せた跳躍。それは本当に、何処にでも跳んでいけそうな程高く――綺麗だった。





 天井で遮られた向こう側に星空を幻視したのは、第三クォーター終了時のインターバルでのこと。俺は水筒の中身を叩きつけるように喉に流すと、スコアボードの数字を見る。
 六十一対六十。一点差で負けているのが、俺のいるチームだ。かつて宇宙に憧れた俺は今、世界を相手に戦っている。今までその実感が無かった訳では決してない。しかし、初のベスト8進出という快挙が掛かっている今、俺に圧し掛かる力は重力より遥かに身体を地面に縫い付けている。

「おい、やれるか?」

 隣に座っているキャプテンが、俺の肩を叩いて尋ねた。彼がこう言うのも分かる。何しろ俺は、この試合で殆ど活躍していない。ディフェンスを掻い潜ってゴールを決めるという役割を、この試合においては果たせていないのだ。つまり、現在の劣勢は俺が原因の多くを占めている。
 原因を求めるのは簡単だ。ディフェンスのマークがキツいとか、これまでの試合を通しての疲労とか、或いは精神的プレッシャーとか。何にしろこの試合で、自慢のジャンプ力を活かせていない。まだ――跳べていない。

「……いけます」

 俺はそれだけ言うと、すぐに立ち上がった。意地でもコートから降りるつもりはない。
 最終クォーターのホイッスルが鳴った。
 お互い出し惜しみ無しのぶつかり合い。俺はゴール下でボールを受け取ったものの、やはりマークが強い。潜り込むことなどまず無理だ。
 諦めてジャンプシュートを打ったものの、不安定な態勢から放ったせいか、ゴールリングに跳ね返された。再びコートに戻った――リバウンドしたボールを、自チームのメンバーが取った。そのまま跳躍し――綺麗なレイアップシュートが決まった。
 これで一転、こちらのリードだ。会場が揺れ、観客席から決めた彼の名を呼ぶ声がチラホラ聞こえる。
だが、油断は出来ない。一点差など、一つでも入れられれば逆転されてしまう。
残り時間、九分四十二秒。その数字が、とても膨大な時間に思えた。



『お前にそんな才能があったなんて思わなかったよ』

 高校でバスケを始めた後、俺は二年で公式戦のベンチ入りを果たした。これは自慢だが、周りが小中学校からやっていた奴ばかりだった中、高校から初めて試合のメンバー入りしたのは、俺ぐらいだった。
 久々に会った親友にそれを話すと、嬉しそうに笑っていた。

『で、そっちはどうよ? 宇宙飛行士、まだ目指してんの?』
『そりゃ勿論』

 俺の問いに、親友は『待ってました』とばかりに即答した。

『折角この辺で一番の進学校に行けたんだ。大学も一番いい所行く。それだけじゃなくて、お前に負けないぐらい身体も鍛えないとな。宇宙飛行士って、世界トップクラスの人達だし。言うなれば、地球人代表ってぐらいの』

 夢を話す親友の顔は、昔から何一つ変わらなくて。きっとこの先もそうなんだろうって、確信を持って言えた。
 それが羨ましくて、つい話を逸らしてしまった。

『何だよその表現。宇宙人代表と対抗戦でもしそうだぞ』
『ハハハ! 宇宙人がいたら、それも楽しいだろうな。宇宙対抗のオリンピックってな』
『オリンピック、ねぇ……』

 親友は俺を真っ直ぐな目で見ると、軽い調子で言った。

『バスケ、楽しいんだろ? なら、オリンピック目指しても良いんじゃないか? 『諦めなければ夢は叶う』とか言うつもりはないけど、目指す分にはタダだしな』
『お前そんな軽く言うなよ……』

 俺が困り顔で見返すと、そいつはまた、無邪気に笑った。



試合が動いたのは、まさに試合終了間際。ウチがリードを二点に広げていた時だ。

「ファウル!」

 ゴール下の攻防で、ウチの選手が相手選手を倒したらしい。与えてしまった。痛恨のフリースロー。三度放たれたシュートは、全て決まった。つまり――この土壇場で、逆転されてしまったのだ。

「ちくしょう……」

 口から呟きが漏れた。誰に対してでもない。この絶望的な状況に対しての、やり場のない憤り。
 残り時間は、ちょうど十秒。それまで死に物狂いで守りに入る敵をかわし、ゴールを決める。それが出来れば――史上初のベスト8が決まる。しかし、その栄光の前に立ちはだかる壁は、とても厚い。

「壁、か……」

 俺は再び、親友に思いを馳せた。宇宙に、壁はあるのだろうか。宇宙に重力は無いから、あっても簡単に跳び越えられるだろうか。

「跳び越える……」

 俺の中で、何かがカチリとハマった気がした。
 そして始まる、最後の速攻。
 キャプテンが素早いドリブルで上がっていく。正面をブロックされるものの、右斜め前の選手にパス。これが繋がれば、もうフリースローラインの内側。
 が、そうはならなかった。身長二メートルを優に超える大柄な相手選手により、パスはカットされてしまう。大きな手に弾かれたボールが、フリースローラインから遠ざかっていく。
 残り時間、三秒。弾かれたボールを再びキャプテンが手にする。そしてその場でシュート態勢に入った。
 確かに彼の位置なら、相手ディフェンスもブロックし切れない。しかし、流石に遠すぎた。ボールはバックボードに直撃し、重力の導くままコート下へと落ちていく。そのリバウンドボールを――俺はしっかりと捕まえた。
 考えることは一つだけ。
 跳ぶ。誰にも邪魔されないぐらい高く。どんな高い壁も越えて、重力すら振り切って。何処までも、何処まで飛んでいけるぐらい。
 そして、『飛んだ』。ゴールを見下ろす程に。そして両手で掲げたボールを、全力で叩きつけた。
 ホイッスルと共にリングを掴んだ手を離し、降りた。その瞬間耳をつんざく大歓声。
 我が国史上、初のベスト8。まさに歴史的瞬間だ。
 俺は歓喜するチームメイトに揉みくちゃにされながら、拳を高く突き上げた。
 俺が見ているのは、アリーナの天井じゃない。そのもっと向こう側にある、星の海。

「……見てるかよ。俺も、飛んだぜ」

『見えない敵』 #ノート小説部3日執筆 お題:オリンピック・パラリンピック #七神剣の森 現パロ時空 ガンホムとディゾールの話 

───お前があの大舞台に立てたら良いのに。
「まだ見てんのかよ、もうアイツの試合終わったろ」
 俺の歯痒い思いなんかつゆ知らず、お前はしわくちゃのシーツの上にデカデカと横たわり、寝ぼけた声で文句を言ってくる。
「お前は関係ないかもしれないが、俺にとっちゃこの階級は、全員明日には敵になるかもしれないんだぞ。見てて何が悪い」
 俺は適当なウソをついた。いや、別にウソでもないんだが、俺がガンホムの部屋で五輪のレスリング実況を観る理由はそれじゃない。
「日本は深夜だっつってんだよ、馬鹿野郎。外でやれ外で」
「そっちこそ耳栓でもしとけよ」
「ディズの部屋じゃねえんだぞ……」
「俺の部屋は子供が寝てるから音も明かりも駄目なんだよ、家の中にしかWi-Fiねーんだから仕方ないだろ」
「ここじゃなくても繋がるだろうが」
「じゃ、妹さんの部屋にお邪魔するか」
「潰すぞテメェ」
 ガンホムが枕を投げて寄越す。俺は手前の酒瓶が倒されないように慌てて手を伸ばしてはたき落とした。
「冗談に決まってるだろ。危ねーな、ぶちまけるとこだったぞ」
「ん? 何かあったか?」
「スミノフ」
「あー、そりゃ悪ィな」
 鬱陶しい前髪の下でへらっと笑う、その笑顔は、どうやって教わったのだろうか。誰かがお前の顔を動かして、このかたちが良いよと言ったんだろうか。
 このジム最強の男。五フィート十インチの俺より一フィート以上高い奇跡の身長と、階級試合に出るために絞りに絞って鉄よりも硬くなった筋肉を持つ、お堅い祖国から解き放たれた猛獣。
 しかし、その目が光を映すことはない。
 生まれた時から、ずっと。
 こいつは光を知らずに生きてきた。

 俺はダウンタウンで腐っていたガキの頃、初対面のこいつを殴ってこいつの親父さんに気に入られ、今のジムに入門した。戸籍すら無かった俺がどうやって日本に移住できたのか、俺自身は何も知らない。とりあえず、いつの間にか俺は親父さんの養子になっていた。正直無茶苦茶だと思う。でも、その頃から既にこいつは特別だった。
 戦う相手がいない。
 同世代の誰も闘いたがらない。
 強すぎるというのもあったし、怖すぎるというのもあっただろう。
 目の見えない相手は、普通の頭で考えれば怖い。
 その手がどこに飛んでくるか分からない。
 自分の目に当たっても、首に刺さっても、事故だと笑えるだろうか。
 ガンホム少年は、俺が現れるまでずっと、親父さんとしか組み合わなかったらしい。
 レスリングにブラインド部門は、ない。
 この恵まれた体格と才能でグレコローマンに出させたら、簡単に世界一を穫れると思うのだ。
 その目さえ、見えていれば。いや、見えていない今でさえ、出場できれば、あるいは。

 俺は早々にレスリングを諦めた。肩に筋肉が思うようにつかなかったせいだ。元々このジムはガンホムの親父さんがMMA(総合格闘技)やるために祖国を飛び出して始めたジムだから、親父さんに頼んでMMAに転向することにした。スラムの汚い喧嘩が得意だった俺には、そっちの方が水が合った。
 するとガンホムも、あっさりとレスリングを捨ててMMAに移ってきた。いくらこいつの聴力が常人離れしているとはいえ、中距離攻撃のあるMMAは盲目だとかなりハンデがデカい。でも、そもそも試合に出られないということは無かった。それが一番大きかったのだと思う。
 MMAはアマチュアじゃない、人気商売だ。俺は髪をまた伸ばすように言われた。見た目が中性的で……つまりは美人で、中身が狂戦士だというのがウケるらしい。正直、掴まれるリスクもあり面倒だが、意外と相手の平常心を崩せるので「金髪の貴公子」キャラで売っている。実際はこんなにガラが悪いのに!
 ガンホムは俺の外見で動揺を起こさない。俺にとっては格好のスパーリング相手だ。もっとも、体重差があり過ぎるから、胸を借りているのに近い。こいつが振り抜いた蹴りをガードし損ねた時は、それだけで立てなくなった。簡単に頭に届く高さなのだ。でも、それで怖がるような心は、幸い俺には元から無かった。

 お前に、もっと高みにいってほしい。
 お前の強さに見合うだけの名声を得てほしい。
 俺のような常人では届かない何らかの極みに達して、光より眩しい何かを掴んでほしい。
 だけど、俺は馬鹿だから、それが「何か」であることしか分からなかった。それがきっとどこかにある筈だと、信じることしかできなかった。

「……やっぱりさぁ、MMAの試合とオリンピックじゃ知名度が段違いなんだよな。金メダルかっけぇ……」
「じゃあレスリングやり直しゃ良いじゃねえか。ディズは出られるだろ」
 ガンホムが呆れたように諭してくる。
 俺は、何とも言えない気持ちになった。
「……俺はお前が金メダル獲ってるのが見たいんだよ」
「俺は金メダルでも何メダルでも違い分かんねえし、見えねえもん。なんか適当に鉄とかで作って掛けてくれよ」
「そうじゃねえよ、このド阿呆がよ……」
 スミノフのボトルに手を掛ける。空だった。理由もなく鼻がツンとしてきたから、お代わりを求めてガンホムの部屋を出た。

 栄光の舞台に立つべき英雄がいる。
 俺のダチは光を知らないだけだ。
 否、光が奴を知らないだけだ。
 そんなの世界が間違ってる。

 二年前、障がい者レスリングの協会ができたと聞いた。だが、全然まだスタート地点でしかない。奴が名を連ねたところで、現役の間にあの舞台に立てるようになる望みは薄い。
 それに、できればパラリンピックではなくて、本当の世界最強になってほしい。リフトのなかなか決まらない130kg級で、ポイポイと人を投げる奴の姿が見られたら、最高にスカッとすると思う。
 目ェどこにつけてんだよ、雑魚どもが。
 そう世界を笑い飛ばしてほしい。
 お前なら、それができる。

 台所に降りてきた。俺には明かりが必要だ。電気のスイッチを入れると、ばち、ばちん、じ、じ、と音を立ててじんわり部屋が見えるようになる。夏の夜の熱気と冷蔵庫の冷気を混ぜながら、俺はため息をついた。
 らしくねえ感傷に浸ってんな、ディゾール。
 奴を有名にさせて、一番嬉しいのは多分俺だ。
 いつか奴を倒したいと、本気で思っている。
 ただの兄貴分じゃなくて、最強の男を打ち破って、ガチ泣きさせたい。

 俺がお前を必ず倒すから。
 お前は世界最強になれ。

 スミノフを開けて目を閉じ、イメトレをする。リーチの長いお前の懐に飛び込み、速攻でバランスを崩させる。一手ではびくともしないお前を、積み木のように重ねてズラしていく。耳が良いから興奮は禁物だ、大技を仕掛ける瞬間も息は整えて……

「ここで飲んでたのか」
「お前も飲む?」
「いや、今日は要らん。心配で降りてきただけだ」
「……ハァ? 俺の心配?」
「馬鹿野郎、テメェがフィーネの部屋に行ったのかと思ってだよ」
 んなわけねーだろ、と笑いながら、眠そうなボサボサ頭の巨獣を見遣る。
「……ガンホム、明日スパーリングに付き合ってくれよ」
「二日酔いしてたら断るぞ」
「大丈夫大丈夫」

 俺が酒なんかに負けるわけがない。
 俺が負けを認めた相手は、生涯お前だけだ。
 だから、戦え。勝て。俺がお前を倒す日まで。

#ノート小説部3日執筆 「青天の霹靂」 お題:雷 ※またしても遅刻申し訳ありません! 

火星に移住して良かったと思うことのひとつは、落雷がないことだとウルリッヒは思う。
地球ではシステムエンジニアをしていた彼は、火星で喫茶店を営むようになった今でもPCを多用している。
もちろん地球にいた頃は雷サージ対策万全のUPSを当たり前のように自宅に設置していたから落雷による被害を受けることは基本的になかったのだが、それでも落雷と停電は電子機器を扱うものとしては不倶戴天の敵という認識であった。
それはさておき大気が薄く水蒸気が上空に滞留もしない火星では、大気の放電現象である雷も当然発生しない。
代わりに砂嵐が発生して電波通信に乱れが生じることは時折あるが、電気の方に影響は特にないのでウルリッヒ的には無問題である。
よってウルリッヒは今日も気兼ねなくPCを立ち上げて売上をつけたり発注をかけたりしていたのだが、ふと火星居住の先輩にして年若の友人が雷についてこんなことを語っていたのを思い出した。
「火星にも、一度だけ雷が落ちたことがあるんです。すごく大きな、青い稲妻が──」
それはまだウルリッヒが火星に来る前のことだったという。
何の前触れもなく、その雷は落ちたのだという。彗星が飛来したのだとも言われているが、真相は未だ定かではないとのことだ。
幸い無人の荒野に落ちたとかで、人的物的被害はゼロだったらしい。少なくともその雷による直接的被害は。
だが雷によって齎されるエネルギーは膨大だ。一説では原初生命の発生の切っ掛けになるとも言われている。
そして件の雷も同様に──火星に爆発的な人口増加を引き起こしたのだった。
もちろん雷によって人間やその他生物がぽこぽこと発生したわけではない。
「まぁ、たまたまタイミングが合っただけで、実際関連はないと思うんですけどね」
とは友人の弁だが、落雷とほぼ時を同じくして、火星への移住者や観光客が爆発的に増加したのだという。
青天の霹靂とはまさにこのことで、火星移民公団をはじめとする各種組織は彼らへの対応に追われ、突然大人数を迎えることになった街の人々もてんやわんや。
文化の違いからの摩擦も少なからず起きたし、地球のような喧騒に満ちてしまった目抜き通りに嫌気がさして自宅に引き籠ってしまったり、あるいは火星を去ってしまった先人たちも少なからずいたために研究成果や文化の流失を招くことになり、結構大変な騒ぎになったのだとか。
まぁ、雷は古来より「神鳴り」に通じるとされているから、発生しないはずの火星に落雷したり突然の人口爆発を招いたりという『神の悪戯』としか思えないこともあるのだろうとウルリッヒは思う。
そして彼としてはその悪戯な神に感謝する気持ちすら持っている。
それは彼が後発組な上に元々地球出身で、喧騒をものともしない性格だからというのもあったかもしれない。
だが一番は、昔の研究者気質の人々が細々と穏やかに暮らしていた頃の火星ではなく、今の賑やかな火星でなければきっと彼の喫茶店経営は立ちいかなかっただろうと考えているからなのだ。
去ってしまった人々や失われてしまった物たちに対して惜しむ気持ちはもちろんあるが、その分得た人や物も多いはずだ。
なぜなら発展とは得てしてそういうものだから。
またいつか、悪戯に神が降ることもあるだろう。
それによって去るのは今度はウルリッヒの友人や喫茶店の常連客たちかもしれない。
あるいはウルリッヒ自身が去ることになるのかもしれない。
だがそれも仕方ないこと、あるべき形として受け入れていくしかないのだ。
停滞した世界は得てして衰退していくものだから。
ならば自分は元エンジニアの端くれとして変化と発展の方こそを寿ぎたいと、ウルリッヒはそう思うのだった。
火星の営みよ常しえなれと。

(Not)End

遅刻申し訳ありません!【#ノート小説部3日執筆 】『三人娘は雨に歌う』(お題:雷) 

雨の音はサイダーだと、カノが言った。放課後の音楽室では、天井まで大きく取られた窓の向こうに雲が垂れこめ、雨粒が叩きはじめている。

「パチパチ~って、はじける感じなの。それで、爽やか」

そうして、目の前にあるグランドピアノで、スタッカートで音を刻んだ。黒髪をハーフアップにした姿はお嬢様然としているけれど、指の運びは跳ねまわる馬のよう。

「わかるかも~」

 のんびりとした口調で応じたのは、わたしの目の前に座り、スケッチブックを広げているのんだ。言うが早いが、マーカーを動かして何かを描きはじめる。

「今、カノが出した音も、雨も、こんな感じ! そいで、パチパチって……味? 感覚? がする!」

のんがこちらに向けたスケッチブックには、薄い水色の雨粒のようなものの間に、レモンイエローの短いラインが散っている。パチ、パチ、パチ、たしかに何かが弾ける感じかも。

「えっと……『雨の音は、サイダー』……。パチパチするってことは、あのお菓子みたいな? 綿あめにパチパチするキャンディーが入っているやつあるでしょ」

わたしはのんの向かいで、メモを取りながら尋ねた。

「何それ、食べたことない」
「あ~~~あそこまで強くはないかな~~~」

ふたりが同時に、しかし別々に答えた。

「じゃあさ、今度食べ比べして、教えてよ。サイダーみたいでパチパチするもの、用意するから」

***

 三人でこうして放課後の音楽室に集まるようになったきっかけは、カノだった。

 放課後の音楽室から聞こえた、音の粒が跳ねまわるような自由闊達な演奏。それに惹かれてそっと覗いてみれば、弾いていたのはクラスでもお嬢様と名高いカノだった。

秘密を覗き見てしてしまったやましさがありつつも、「ここで、見ていていい?」と問うと、「いいよ」とあっさりとカノは答え、演奏を続けた。

「斉藤さん、文芸部でしょ? こんなところにいていいの?」

カノが鍵盤の上に指を滑らせながら尋ねた。

「入ってるけど……正直、あんまり、なじめない」

それを聞くと、カノはふふっと笑った。

「わたしも一緒。こうやって好きに弾いていたい。一日のうちに、いろいろ……教室のカーテンが揺れてはためくときの味とか、運動部のかけ声の味とか……感じるでしょ? そういうのを弾くと、心が落ち着くから」

最初は、何を言っているのかわからなかった。が、何日か音楽室に通ううち、どうやら彼女は音から味を感じており、その感じた味をまた、ピアノの音で再現しているのだとわかってきた。

「メモ取っていい? カノの言うこと、おもしろいから」
「ご自由に」

 そのうち、「あまりにいい音がしたんで……」と、スケッチブックとマーカーを胸に抱えたのんが音楽室に現れた。のんも絵と味、音が結びついているようで、カノと意気投合。以来、こうして名前のない集まりを続けている。

***

「どれが一番、『雨』の味に近いかゲ~~~~ム!」

のんがいつもの間延びした物言いで宣言してパチパチと手を叩き、カノが「おー!」と応える。

「音楽室でお菓子食べるなんて、先生に見つかったら大目玉だから。この集まりの危機だからね」

 わたしはそう釘を刺し、三人で買い集めたお菓子や飲み物を机に並べる。

「じゃ、まずこれから」

 わたしはまず、本命だと目している「わたパチ」の封を開ける。綿菓子に、口の中で弾ける小さなキャンディーが入った駄菓子。カノは「雨はパチパチ」と言ったが、わたしにとって「パチパチ」といえばこれなのだ。

カノはこわごわ、のんは「たぶんこれじゃな~いと思う」と言いながら、硬めの綿菓子をちぎって口に入れる。

「ふぎゃっ」

カノが妙な音を発し、口を押さえた。

「これ、パチパチしすぎ!」
「カノやん、はじめて食べるんだもんね~。びっくりするよね」

ふたりが共通して言うには、「『雨』で感じるパチパチは、こんなに強くない」とのことだった。

続いては、「ねるねるねるね」のソーダ味。カノにとってはこの知育菓子がひどく新鮮らしく、わたしの手元を興味津々にのぞき込み、「色が変わった!」「ふくらむの?」と反応する。

「お嬢様は駄菓子を知らないのか~」とのんがからかうと、「食べたことないだけ!」とカノは反論にならない反論をする。しかし、これも「食感が軽すぎる」と却下。

 結局、彼女たちが「こんな味」と一致したのは、小さな粒上のラムネ「ミニサワー」と、ガス入りのミネラルウォーターの「ペリエ」だった。

「こっちのラムネの味と、この炭酸の細か~いシュワシュワをあわせたら、『雨』って感じ」
「よく考えて見れば、レストランで出てくるお水の炭酸、『雨』かも!」
「カノやん、やっぱりお嬢様だよな~」

とのことで、わたしは「ミニサワー」を口に入れて噛み砕いてから「ペリエ」で流し込み、「雨」を味わった。

***

 三人並んで昇降口を出ると、雨がポツリと頬に当たり、あっという間に地面を濡らし始めた。

「傘、持ってない……」
「わたしは折り畳み傘が」

わたしが困り、カノがブランドものの傘を出すと、のんが「待ってて」と言い置いて、教室から何かを持ってきた。

「斉藤さんは黄色、カノやんは赤、わたしは緑」

渡されたのは、大きめのレインポンチョだった。雑貨店で三つセットで800円という破格だったらしく、のんは「こんなこともあろうかと」と用意していたらしい。

「わたし、黄色?」

 自分でいうのもなんだけれど、一番大人しいわたしが黄色というのは意外な気がしたけれど、のんは「うん、黄色。中立って感じ」とよくわからないことを言った。

「雨は、全身で感じるのが一番なんだよ」

三人でポンチョの裾をはためかせながら、外へ出る。校庭を横切れば、最寄りの駅までは水田が広がる。

 ポンチョごしに雨が肌を叩き、水田に次々波紋を描く。それだけのことなのに、傘を持っているときよりも気分が高揚する。

「あはは、雨! 最高にパチパチする!」
「わかる~」

それはふたりも同じらしい。カノがくるくると回ってステップを踏み、のんも不器用にスキップをして、できたばかりの水たまりを跳ね上げる。やがてゴロゴロと空が鳴り、稲妻が空を走る。

「きれい~!」
「稲光って、『ねるねるねるね』のぶどう味って感じ!」
「わからないけど、サイダーのほうが近くない?」
「カノやんはお嬢様だから、ぶどう味も知らないよな~」

鋭くて細い光がまた一閃。赤いポンチョが回転で雨粒を跳ね飛ばし、緑のポンチョが揺れる。田に並ぶ稲が雨にたわみ、その向こうにある低い山は白い煙のような雲に覆われている。

 わたしは立ち止まり、手を広げて、雨を全身に感じる。パチパチとか、味とか、わたしにはわからないけれど――。空に雲が垂れこめ、水滴が体を打ち、稲光が網膜を焼き、雷鳴が腹に響く。

――これをどう、書き残そうか――。

 このひと時を、味わっている。

「斉藤さん、早くぅ~~」

いつの間にかずいぶん先に行ったのんが手を振り、カノはわたしに構わず、ポンチョをひらめかせて何かを口ずさんでいる。

「待ってよ~!」

雷鳴に負けない声をあげ、わたしはふたりのもとへと駆け出した。

#ノート小説部3日執筆 『電気クラゲは安寧の夢を見るか?』 

クラゲは休むのが嫌いだ。先週は別部署の人から呑みに誘われたが、今日はそんなこともなく。
目覚めてしまった以上、貪れる惰眠もない。窓の前で横になって、ひたすら空でも眺めよう。と思ったが、空が暗いのでやめた。
結局、布団の上で意識の波間を揺蕩うばかり。仕事の用意をして出かけようとすると、実はそれは夢の中で、目を覚ませばいつもの天井。というのをひたすら繰り返している。気が狂う。だから休みは嫌い。働かせてくれ。

そんな願いが叶ったのか、業務用のスマホに電話がきた。相手は後輩だ。
「先輩すみません!お休みのところ申し訳ないんですけど!!」
音割れが襲う。軽く落ち着かせてから、状況説明を促してみる。
「雷吸っちゃって、今日は仕事ムリなんです!代わってくださいませんか?」
「ん、わかった」
即答する。

この後輩は電気ヒツジ。雷雲に扮して浮遊する西洋の雷獣。
こんな雨の日は湿気と電気を吸ってしまうらしい。クラゲたちの部署は電器類を扱う仕事なので、こうなったら休むしかない。
「とにかく、気をつけて。じゃあ」
電話を切って、支度を始める。うん、夢ではないことは確認済みだ。

――
臨時出勤です。おはようございます。
監視長(ここのお偉いさん)から心配されたが、たかが一週間フルで働く程度どうとでもなる。精神の安寧を得るには、むしろ毎日働かせてほしい。

仕事着に着替えて、作業の前にデスクへ。水と糖分を補給しに行く。部署のデスクはいつも通り静かだ。
「ん、おはようございます」
「おはようご……おいおい、また連勤か?」
働きすぎだと、軽くどやされた。それでも、クラゲは職場という海流が一番心地いいのだ。普段は静かで、荒れるときはとことん荒れる。そんな場所が好きだ。

「今日は雷雨の予報だ。外の作業は、本降りになる前に切り上げるぞ」
分かったので返事をする。“なるはや”で、いつも通りやればいい。

仕事は単純だ。設備の動作確認と、その調整。毎日ちゃんと確認しないと、最悪の場合施設ごと停電になる。なったことがある。だから重要なのだ。

そんな訳で、外の設備から見て回る。早めに終わらせるのは大事だけど、それで見回りが疎かになっちゃいけない。
一つ一つ、指差し確認、マニュアルを確認しながら見ていく。問題なければ丁寧に扉を閉めて、次の場所へ。

と腰を上げたところ。
「ウワーっ!!」
叫び声がした。声の方を見ると、電気ヒツジが宙を舞っている。湿気と静電気でパンパンに膨らんで、毛むくじゃらの風船みたいだ。
風で飛んでいる訳ではなく、雷雲からの電磁誘導とかそういうので飛んでいるらしい。らしいというのは、ちょっと前に後輩から聞きかじった程度の知識だから。
ちょっと待て、目の前に浮かぶアレはその後輩じゃないか?
「あっ!!せんぱぁい!!助けてくださぁい!!」
うん、後輩だ。クラゲを先輩と呼ぶのはあの子だけだ。

「ん、もしもし、D棟屋上。えっと、上空に、角谷くんが、浮いてます。救援を、求めます」
無線で連絡を入れる。応援を呼べることを確認してから、手元のものでなんとかできないか考えてみる。
修理用配電コード、いくつかの工具……使い物になりそうにない。

しかし参った。
電気を扱えるなら、もしかすれば誘導できるかもしれない。それこそ、電気ウナギやシビレエイみたいな方なら。だが残念なことに、クラゲは
電気クラゲ(カツオノエボシ)なので発電臓器は無い。

早くしないと、後輩はどんどん空へ吸い込まれていく。長いロープか何かを投げれば、掴まらせておけるかもしれない。そういえば、この棟には、垂れ幕を張るワイヤがある。長さも重さも充分あるはずだ。

ワイヤの先端に重り代わりの工具をつけ、外れないように結びつける。それを振り回し、加速をつける。
「せせせ、先輩!それ投げるんですかぁ!?」
「受け取れる、だろ」
少なくとも、怪我をしない程度のものを選んだつもりだ。取りきれず体に当たっても、膨れた毛で守られる。

それに、外すはずがない。クラゲが射出するものは、何だって当たる。当てる。確実に。

思い切りワイヤを振り回して、十二分に加速がついた。強くなってきた雨と風で軌道が変わることを見越して、しっかり狙いをつける。
「掴め!」
速度のついたワイヤは、ビュンと風を切って飛んでいく。真っ直ぐに、後輩のもとへ飛んでいく。
「うわぁっ!?」
後輩はしっかり工具を掴み、そこからワイヤを手繰ってくれた。ワイヤは欄干に固定されているから、掴みさえしてくれれば飛ばされる心配はない。
あとは、こちらから引っ張ればいい。

問題は、クラゲにそんな力がないことだけだ。いくら引いても手繰り寄せられない。投げたときは余裕があったワイヤも、今やピンと張っている。地に足つけるだけで精一杯だ。
「無茶しないでください先輩!」
そう言われても。雨がこれ以上激しくなる前に、電気ヒツジに雷が落ちる前に、ようやくできた後輩を失う前に、なんとかしないと。

閃光が走るのが見えた。まだ音が来ない。時間がある。
雨が白くなってきた。小さな雷鳴が来た。まだやれる。
ほんの少しだけワイヤを手繰れた。まだいける。
風に煽られてまたワイヤが張った。また引けばいい。

扉が開く音がした。誰かの声が聞こえる。増援が来た。
強くワイヤが動いた。もう手の感覚がない。まだ握っていられる。
手を離したくない。引き剥がされた。足がふらつく。
さむい。
……。

――
見慣れた天井だ。しかし家のではない。救護室だ。
ふと横を見ると、後輩がドライヤーで乾かされている。もこもこの癖毛が、少しずつしぼんでいくのが分かる。

「おはよう。目が覚めたかい」
目の前には監視長が立っていた。そろそろ怒られる覚悟を決めるべきか。
「角谷くんを救出したんだね。キミが居なかったらどうなってたことやら。お手柄だよ」
なんか褒められている。
「……当然の、こと。です」
後輩を助けるのは、先輩としての義務。それだけだ。
「先輩がいなかったら、今頃雷に打たれてましたよ!ありがとうございます!」
後輩からも感謝されてしまった。あとに引けなくなった。
「え、えっと、どういたしまして……?」

クラゲは称賛の言葉が苦手だ。腹の底から喜ぶことができない。喜ぶよりも先に、恐怖と卑下が出てしまう。
今は、自分のした行為への反省しかできない。
ワイヤの狙いを外したらどうするのか。投擲時の根拠のない自信は何なのか。増援が来なかったらどうしたのか。そればかり。

「……キミも怖かったろう。今日はもうゆっくり休んでね」
それだけ言って、監視長は出ていった。心配してくれている事は、なんとなく理解した。

体を動かしていないと、不安だけが渦巻いてしょうがない。だが、今は動ける状態じゃない。目を閉じれば、最悪の事態をシミュレートした幻覚を見てしまう。
窓の外で雷鳴が聞こえる度に、横で微睡んでいる後輩を見て安心する。
クラゲは“いい人”じゃない。だから休みたくない。休んでいいのは、もっと“いい人”だ。
だからクラゲは、休むのが嫌いだ。
[参照]

#ノート小説部3日執筆 かき氷が食べたいのじゃね/お題「雷」 

いつしか、雷は休日の夕暮れ時の風物詩になっていた。

「また鳴ってる」

 そういわれて、視線を向けるとちょうど遠くで雷が鳴っていた。

「雨雲、こっちに来るんだってさ」

 そういって、急に彼女は部屋のエアコンを切り出した。

「パソコンも落とさないと。逆流したらどうするのさ」

 どうするのさと、言われても困ってしまう。
 少し気乗りはしないが、彼女の言いつけには従っておくことにする。

「あーもー、困っちゃうよね。毎度毎度、雷が来るたびにこうだもん」
「考えすぎな気もするけどね」
「万が一が、実際に来たら怖いじゃん」

 それもそうかと思いながら、窓の外を一瞥する。
 暖かい湿った空気の中、外気とたいして変わらないであろう雨が滴っている。

「ちょうど、腹減ってたのにな」

 今夜何を食べよう――なんて、決め手はいなかったが、
 正直電子レンジ抜きで、調理はあんまり考えたくはない。

「なんで、オール電化にしたのさ」
「いや、自分からブレーカー落とすことなんて、考えてないから……」

 我ながら我が儘だなぁ、ため息をつきながら台所に向って、冷蔵庫を開く。
 中の冷気が残っているから、一時間電気を落とした程度では不都合は出ない。

「何もないの?」
「生憎ね。氷くらいは……」

「じゃあ、それにしよっか」

 そういって彼女は戸棚の中から、
 不意に「かき氷機」を取りして抱えた。

「前に来た時から気になってたの、これも氷でしょ?」
「シロップないんだけど」
「実は、シロップはもうかってあるのだ~」

 そういって、軽く冷蔵庫を開けた彼女がシロップを取り出す。
 プラスチックのペットボトル。
 200円もしないのか――あるいはこれは、廉価品なのか。

「せっかく氷も買ってあるんだし、食べようよ」

 そういって、彼女に言われるがまま、
 氷の袋と、そうめんのつゆ鉢を2つもってリビングへと向かう。

 空は暗く、時より、ピシャっと轟音が鳴った。
 ゴロゴロと、音が鳴り、時たま近場に落ちた時、地面が揺れる。

 その背後で、ゴリゴリと、彼女が氷をかき氷機の中に放り込んで回し続ける音が響く。
 静寂、いや、雑踏の音を音として認識していないだけだ。

 蝉の声乏しい夏。
 時折鳴る雷、地響きのような雷鳴。

「夏って、こんな感じだっけ」
「なんでもいいから、手伝ってよ」

 そういって、立ち上がった彼女の代わりに、かき氷機のハンドルを回す。
 微妙な抵抗と共に、ガリガリと削れた氷がつゆ鉢に溜まっていく。

 時より、器を見るたびに、氷が軽やかに積もるのがわかる。
 これがなかなか悪くない。

「まぁ、楽しいか」
「年に父℃くらいなら、」

 一人一個、自分で作った分のかき氷と銀色のスプーン。
 真っ赤に染まったシロップからは、多分いちごの香りがした。

 一口、薄暗い部屋でかき氷を食べる。

「甘いね~」
「甘いな」

 削られた粗い氷を、一口。 
 舌の上で、すっと溶けていく。

 噛むべきか、溶かすべきか、迷う暇もない。
 甘い単調ないちごの味と冷たさがが、徐々に熱がこもりはじめた室内には嬉しかった。

 別にこの味が、いちごの味じゃないことは分かっている。
 けれど、甘い香り、酸味、すべてが混じるとそう表現するしかなくなってしまう。

 口の中に広がった甘さの感覚派、すぐに冷たさに取って代わられる。
 涼しいというよりは、背筋を突き抜けるような氷の感触は夏にはありがたい。
 
 だからもう一口、流れるようにかき氷を口に運んでしまう。
 窓の外を見ると雷が降り注ぎ、明らかに空気が震えるのがわかる。

 明らかに稲光とわかる閃光と轟き。
 それほど近くないのに、雷は年々強くなっている気がする。

 いや、気がするだけだ。
 ほんのりとしたいちごの甘さを掬いつつ――

 キンと頭の中を通り過ぎるような、鈍い痛み。

「あ……」
「どしたのさ?」

 黙々と食べる彼女を背に、頭をガンガンと叩く。
 さすがに、何が起きたのか察してもらえたようで、くすくすと声が漏れているようだった。

「一気に食べ過ぎなんじゃないの?」
「なんかさ、すぐに味気なくならない?」

 まぁ、そうかもね。
 とこぼしながら、ゆっくりとかき氷を彼女は口に運ぶ。

 気づけば、彼女のかき氷は再び、真っ赤に染まっていた。

「あ、バレちゃった?」
「別に何度もやるわけじゃないから、いいんじゃない」
「もっと、突っかかってくれてもいいのに――」

 不満そうに、視線を向ける彼女の期待の視線を浴びながら、もう一度シロップを掛ける。
 一口、やっぱり広がるのは、溶けかけた氷と、シロップの味。

 ルビーのような赤色が、暗がりの部屋でてらてらと光る。
 少し食べるスピードを落としてみるが――やっぱり、味はすぐに消えた。

「どうだった?」
「変わんないよ」

 そういって、黙々と食べ進めるとかき氷はすぐに消えてしまう。
 むしろ胃に物が入ったからか、食欲は驚くほど湧き上がり

 代わりに、どんよりとした空から雷は、影も形もなくなっていた。

「何かつくろっか?」

 そういう彼女がブレーカーを上げる。
 エアコンの涼しい風を浴びながら、テレビを付ける。

 遠くオリンピックの中継を眺めながら、何を食べたいかを思案する。
 どうせなら、濃い味の食べ物が良い。
 じゃあなんだ……何を食べようか。

#ノート小説部3日執筆  お題「雷」  雷様 

「昔さ、雷めっちゃ怖くなかった?」
「わかる〜めっちゃ怖かった」
「私、布団被ってたわ」
「うちは、姉ちゃんが『雷でへそ出してたらへそ隠さないと取られるよ』って言われたからさー夏でも服の裾ズボンに入れてたわ」
「何それ可愛い〜」
「可愛いよね〜」
「今となってはへそなんて取られないってわかってるから怖くもないしね」
「そうそう、雷が当たる確率なんてすごい低いらしいからね」
「まじ? じゃあ落ちる音ってどこに落ちてるの?」
「さあ? 鳴ってるだけじゃない?」
「それならいいけどさ、雨で登校するのまじだるいわー」
「それ」
 4人席に座ってる女子高生が話している。雨の中、進んでいる電車の中で。
 電車の中は静まり返っているので、彼女らの声が通って聞こえる。
 でも、うるさいほどではない。大声で話していないからだろう。
 私は、彼女達のすぐ後ろの2人席の窓側に座っていた。隣にはスーツ姿の女の子が真っ黒い鞄に顔を埋めるように寝ている。就活中なのだろう。何もかも新しく見える。自分の就活時代も大変だったなと懐古するのもすぐにやめた。自分の大変は彼女とは違う。
 窓に映る私は何も言わない。それが私を肯定してるようで、否定してるように見える。
それがあの日の母に見えて、思わず奥歯を噛み締める。母と私は違うと言っても血は繋がっている。私の顔が母に似ているのは仕方ない。

「なんで家を出るの」
「別に母さんに関係ないでしょ」
 その言葉を聞いた瞬間に、私は打たれていた。
「私の娘なのに関係ないわけないでしょうが!」
 母の怒った顔より、打たれた頬が痛かったのをよく覚えている。
「大学は外に出してやったんだ、就職はこっちでいいじゃないか」
 父はこっちを見ずに言ってきた。こっちを庇う気はないし、答えなんて分かりきっているから、視線も向けない。
 だから、家は嫌いなんだ。
「こっちで就職するなんて、農家か商工会しかないじゃない」
「そうだ」
「父さんの下で働けって?」
「そうだ」
「ふざけないで。私も就職先を選ぶ自由ぐらいあるの」
 そう言ったらまた打たれた。母だ。母は私をキッと睨みつけて、「お父さんに言い返さないの!」と言ってきた。
 ヒステリーとはこのことだなと学校で学んだことが頭によぎった。
 父さんも、自分に反抗してきたことに腹が立ったのか、こちらを見てきた。
「ここにいたら、生贄にされること分かっているのにいるわけないでしょ」
「あんた、雷様も馬鹿にして! ああ近所にどんな顔すれば……」
 
私の住んでた地区は雷様を信仰しているという因習めいたことがある。昔は、普通に干ばつを救ってくれた雨を連れてきた雷様を信仰していたが、村を出る人が多くなってしまって、雷様に願ったそうだ。それが生贄。若い女を雷が鳴る時に雷様を祀る神殿の前に立っていれば、必ず雷が女に当たり、女が老年になるまで、子を産み続ける。そんなことあるわけないと公民館の図書室で調べたら、一番近い頃でバブル期が終わった頃。雷に当たった女の名前には覚えがあった。大叔母だからだ。いつか母が見せてくれた、老けた大叔母の姿の周りには年がバラバラの人がいた。その時の私は親族なんだと思っていたが、写真を自慢げに見せる母が、大叔母の抱いた赤子を指さして「最後の子なのよ」と言った言葉。全て現実と理解した私は、胃液が迫り上がってきて、急いで公民館から外に出て、隣にある公園で吐いた。それを見て、タオルを差し出してきた、赤子を背負っていた人が|真子《まこ》という女の人で、道中に話を聞いていたら、最後の子であることが分かった。再び迫り上がってくる胃液を気合いで戻しながら、家に帰った気がする。真っ青の娘を見て、母は心配してたが、タオルを「真子さんに借りた」と言うと「真子ちゃんにあったの!? どうだった? 噂ではもうお母さんになってるって聞いたんだけど」と笑って聞いてきた。実の娘が吐きそうになっているというのに、だ。それが見えてないかのように、私に聞いてきた。「元気でお母さんしてたよ」小さい声で返したが、母は聞き取れたらしく、父に報告しに行った。私は母とは別にトイレに行って全部吐いた。公園で吐いたから、胃液しか出なかった。トイレから出たら、母はお歳暮で貰った、綺麗な白いタオルを持って「真子ちゃん、これで喜ぶかしら」と言ってた。「タオル、返さないの」と聞いたら、「あんたが触れたものを真子ちゃんに渡すわけにはいかないでしょ」これで、私は実の娘より大叔母の最後の子が大切なんだと知った。軽い絶望だった。
 だから、もう期待することをやめたのだ。親もこの地区も。

「そのままの顔すれば? 自分の娘は雷様なんか信じてませんって」
「あんた!」
 再び打とうとした母に、私は、
「そうやって暴力を振るっているっての方が母さんの立場悪くなると思うけどね」
 母は睨み、上げた手を下ろした。
「お前、逃げるのか」
「逃げる? 違うよ父さん。捨てるんだよ」
 そこで、父が困惑した目を向けてきた。化け物を見るように。
「この家も、この場所も、全て捨てて、新しい場所で生まれ直す」
「そんなこと許されるわけないでしょ!」
 叫ぶ母はこんなに小さかったかと思った。父もこんなに老けていたかと思った。
 あぁ私、本気でこの人達を見捨てる気なんだな。
「母さんに許しを乞うているわけないじゃん。私が許してるのになんで母さんの許可がいるの?」
 母が「ひっ」と怯えた目をしたのを見て、もうここにいる必要はないなと思った。
「じゃあ、さようなら」
 家に残してた荷物は少しだった。すでに玄関に置いていたそれをとって、この地区には珍しい重い玄関の扉を開いた。
 最後に母の「お願い許して」みたいな声が聞こえた気がするが、扉が閉まる音でかき消された。

いつの間にか、女子高生4人はいなかった。少し、感傷に浸りすぎた。
窓に映る私は母の面影を残していない。
|私《いけにえ》が外に出たから、限界集落の一覧に載るようになって何年だろうか。
もう、無いのかもしれない。どうでもいい。
私は、私として人の密集したこの土地で骨を埋めるのだから。

#ノート小説部3日執筆 お題【雷】 

「天と地をつなぐもの」



 室賀と眞壁の二人は、休日ということもありリビングで思い思いに過ごしていた。特に会話もなく、室賀は本を読んでいるし、眞壁は携帯電話を操作している。
 夏の暑さを忘れさせるクーラーの効いた部屋は、眞壁の基準で温度設定がされているため、室賀はいつもブランケットを被っている。本を読んでいた彼は、不意に窓の方を向いた。近くにいた眞壁はそれに気が付き、どうした、と声を掛ける。
「……いや、多分だけど、夕立が来そうだなって感じで……あ、洗濯物を一応しまっておこう」
 そう言うとブランケットを脱ぎ捨て、洗濯物用カゴを引っ掴むとベランダに出る。二人分の洗濯物を手際よく取り込んだ。
「…まぁ、乾いてたからいずれ取り込む予定ではいたけど」
 そう言うや否や、空では黒い雲がずんずんと迫り、低い音を響かせ始める。
「……当たりだな、雷を伴う強い雨が局所的に降るでしょう、ってやつだ」
 カゴを床に置き、いそいそとソファに戻るとブランケットを身に纏う。そして洗濯物が台無しにならなくてよかった、と再びソファで寛いだ。畳むのはまだ後でいい。
「……いつも思うけど、何で察せられるんだ? 天気予報じゃ曇りのままで雨予報に更新されてないのに」
「……まぁ、なんとなくっていうか……元々、前世でも農業しながら寺子屋やってたし、天気に左右されまくるのが当たり前みたいなところはあったし、常々天気の様子を観察してたからかもな」
 特に現代は変化が激しいからどうかな、と笑った。今の方がもしかしたら察知するの難しいかも、と付け加えながら。
「それに、雷が落ちると稲が豊作になるって話があるだろ? だからおれはもともと苦手じゃないっていうか、むしろ頼れる隣人みたいな感じだったな。ずっと昔から、敬遠するより感謝する存在だよ。
 「雷」は“雨”の下に“田”って書くだろ。「稲妻」は“稲の妻”だし、なんか稲作農家には親近感あるっていうか」
「……なるほどな」
「……その感じだと、眞壁はあんまり歓迎できない感じか」
「別に、親近感もなければ苦手意識もないが……この現代で言えば、パソコンの最大の敵だろ」
「……うーん、それは確かにそうだった」

 稲作してた頃は本当に大歓迎だったが、システムエンジニアをしている今では以前ほど歓迎していられないかもしれない。

「……確かに、データが飛んだらしねる」

#ノート小説部3日執筆 お題【雷】 魅力的な相棒の横顔(ふんわりBL風味) 

「くそ……視界が悪いな」

 俺はそっと毒づいた。
 天候など関係ない。俺たちは雷雨の中、泥だらけになりながら魔獣と戦っている。聖女の神聖魔法や雷だけが周囲を照らす。
 戦いの場としては最悪極まりないが、魔獣は待ってはくれないのだから戦うしかない。

 普段は背中を合わせ、互いに剣を構え、小刻みに神聖魔法を使って……と地道な戦いをすることが多い。しかし、今回は悪天候だ。
 多少ジークヴァルトに無理をさせてでも、俺が一気に片をつけた方が良い。視界の悪い中、俺はそんな判断を下した。

「ヴァルト!」

 俺の声に合わせ、魔獣に向かう騎士。俺は呼んだだけなのに、勝手に俺の考えを読んで行動している。すべての考えが筒抜けになっているのではないかと思うくらいの連携ぶりに、驚きを覚える事すらある。
 彼が囮になっている間に俺が詠唱する。ジークヴァルトが相対するのは本命ではない。本命は、もっと奥にいるデカいのだ。

 俺は彼が剣を振りかぶり、魔獣の前腕を切り落とす姿を見守りながら詠唱を続けていた。
 その横顔は凛々しく、また雄々しい。だが、獰猛な動物というよりは――淡々と弱者をひねり潰す強者の顔をしている。

 俺の鼓舞を受けて能力を最大に引き上げられている彼は、まさに負けることなど知らないとでも言うかのようだ。
 頼もしい。雷に照らされた男の横顔を見ながら、こんな状況下なのに頬をゆるませる。

「聖なる御旗のもとに集まりし者に加護を与えん!」

 俺はジークヴァルトにダメ押しの加護を与えた。目立ちすぎたジークヴァルトに魔獣が群がり始めたのが見えたからだ。詠唱の中断は手痛いが、彼が動けなくなれば結局同じ事だ。
 ジークヴァルトの背後から飛びかかった魔獣を出迎えるべく、器用に剣を翻し、襲撃者の勢いを利用してそのまま切り伏せる。

 俺たち聖女の神聖魔法は人間を犠牲にはしない。それを分かっているからこそ、彼は俺の目の前で魔獣の興味を引き続ける。
 致命傷は与えずに次の獲物に襲いかかり、かの者らの敵対心を煽り、集中的に攻撃される的になる、ということをジークヴァルトは実に効率よく行っていた。

 大立ち回りを行うのは楽な仕事ではない。背後の俺の存在を隠す為とはいえ、よく動く。疲れを知らぬかのように大剣を振り回す姿は、数多の騎士の中でもダントツに目立っている。
 ジークヴァルトがいるならば、彼にすべてを任せても大丈夫だ。彼の陰に隠れ、俺は大技を成功させる為だけに集中した。

「――女神の代行者たる聖女が命ず。正義の雷よ、断罪の鉄槌よ、邪悪なるものへ罰を与えよ!」

 俺の祈りの声が力となり、極大の雷を生み出した。それらは大きな地響きを伴って落下する。カッと眩い光が周囲を焼く。
 薄目でそれを見ていると、ジークヴァルトがちょうど目の前の魔獣を仕留めているところだった。
 彼の大剣が魔獣の首筋に埋まっている。神の雷は奥にいる大きな魔獣へ。それに気を取られた魔獣はジークヴァルトやその他の騎士によって刈り取られていた。
 力なく大地へと倒れ込むそれらを確認し、俺はほっと息を吐いた。

「負傷者は……やっぱいるな。聖なる息吹よ、安らぎの風よ、勇猛なる者へ癒しを与えん」

 気合を入れ、意識的に神聖魔法の範囲を広げていく。祈るように――いや、これは祈りだ。俺は命を繋ぐ為、広範囲の癒しを行った。



 ジークヴァルトが雨に打たれながら詠唱している。魔獣を倒しきった今、俺たちを照らすのは雷の光と、ラウルの生み出す神聖魔法の光だけだ。
 雷の光とは違い、ラウルの神聖魔法は柔らかな光を生み出している。見るからに癒しそのものといった光に照らされる彼の横顔は、美しかった。

 女性らしい、という意味ではない。慈愛を感じさせる表情でもなく、自信――いや、覚悟だろうか――のある表情だ。
 きっと、目を閉じていなければ生気にあふれ、大多数の人間の心を鼓舞させるような力強さを感じたに違いない。

「ん? どうした?」
「いや……」

 目を閉じ、祈るように手を組んでいたラウルがそっと頭を上げる。その瞳に自分が映り込んでいるのが見え、ようやく自分が無意識の内に彼に接近してしまっていたのだと気づく。

「急に近づいてきたから、何かあったのかと思ったんだけど」
「……そういうつもりはなかったんだが」

 ラウルの疑問を正直に答えると、小さく見開いてから笑い出す。

「きみね、本当に俺のことを大切にしてくれるんだなぁ」
「当たり前だろう。お前は俺の聖女で、相棒なんだ」

 背景に雷を添えた男は、そのおどろおどろしさとは真逆に優し気な笑みを浮かべる。雨に濡れて雫を垂らす髪に手を伸ばす。
 指が髪に引っかからないよう、慎重に触れるとラウルはそっと目を閉じた。

「きみが相棒で良かったよ」

 濡れて邪魔そうな長い前髪を後ろに撫で、普段は隠れている額をあらわにする。年相応、というよりは若作りで瑞々しい肌が濡れているのを拭うが、雨の中でやったところでまったくの無意味だった。

「ラウル」
「ん?」

 俺に肌を撫でられるがままになっている男が口元をゆるめながら反応する。

「そろそろ戻ろう。これ以上はお前が風邪をひいてしまう」

 長時間雨にさらされていたからか、あれだけ動き回っていたというのにも関わらず、彼の肌は冷え切っていた。

「他のやつらは撤退したか?」

 目を閉じたままの彼に聞かれ、俺は周囲を見渡す。魔法を使う余裕が生まれた騎士たちが生み出した松明替わりの魔法が引いていく様子が見える。
 自分たちの位置からだいぶ離れているそれに、彼らの撤退が順調であることを理解した。

「ああ。もうそろそろ拠点につきそうだ」
「そっか。じゃあ、良いな。戻ろう」

 ラウルの目が開き、俺と視線が交わる。前髪がない分、さっきよりもしっかりと彼の顔が見えた。

「ヴァルトこそ、びっしょりじゃない?」
「そんなことは……いや、同じくらいだろう」
「あー、まあ。同じ時間外にいるんだもんなぁ……そりゃそうか」

 何が楽しいのか、彼はへらりと笑って片手を伸ばしてきた。何の疑問もなく、差し出された手を握って引き上げる。
 さっと立ち上がったラウルが体の向きを変えながら撤退を告げた。

「雷に打たれる前に、早く戻ろっか」

 ラウルはそう宣言するなり、直ぐに歩き出す。握った手を放すタイミングを失った俺は、そのまま彼に手を引かれて拠点へと足を向けるのだった。

#おっさん聖女 #おっさん聖女の婚約

#ノート小説部3日執筆 雷の味 (絶対マネしないでね!) 

雷の味

 ここは浅草、浅草寺の門前。セミの声が高らかに響いている。
 暑さに打ち水をする横で、雲の行方を気にする人々がいた。
 見ればあちらに入道雲がもくもく出てきて、だんだん暗くなってきた。
 これは夕立がくるかもしれない。
「お、そんな季節かい?」
 行き交う人々が店をのぞいて、楽しみだなあと声をかける。
「ああ、そろそろ鳴るころかな」
 店主は雲の来るほうを見て、長い竹竿を出してきた。物干し竿より長い竿だ。

 それから一刻も経たないうちに、黒い雲がやってきた。
 重く閉ざすような雲が一面に垂れ込め、すぐに雨粒が落ちてくる。
 それに混じってゴロゴロ……と音が近づいてきた。
 それを聞いた江戸っ子たちは激しい雨に我先にと飛び出して行った。
「雷だ! 雷が来たぞ!」
 男たちは半裸になって竹竿を担いで走っていく。
 前も見えないほどの雨の中、細い雷が一筋光った。

 ピカッ! ゴロゴロ……。ドーン!
「落ちた!」
「あっちだ!」
 雷の真下にまできて、どんよりとした低い雲を見上げる。
 その雲を長い竹竿の先でつきあげた。
「そら!」
「うらうら!」
 つつきまわすと雲はちぎれて穴が空き、ゆっくりと空から落ちてきた。
 もくもくとした雲のかけらは、キラキラとした糸のような雷をまとっている。
 竹竿で叩き、余分な雷を吐き出させれば、雲はようやくおとなしくなった。
「うっへえ、ビリビリしやがる!」
「これがいいんじゃねえか!」

 雲を担いで戻ると、店のものは大きな鍋に水飴を煮詰めていた。
 砂糖を入れ、沸騰させよく混ぜる。ねってねって、だんだん白くなってきて……。
 そこに雷雲をちぎって入れた。バチバチとまばゆい火花が散り、ゴロゴロと鍋が鳴る。
 水飴が雷の糸を引くようになったら、煎った蒸し米に混ぜる。
 大きなしゃもじで手早く絡めて、餅のように手で叩いてまとめていく。
 冷えないうちに手早く型に伸ばして大きな包丁でザッザッと切って一口大に。
 刃を入れるたびにバリバリ音がして割れた。

 それをすくって袋に詰めると、待ちかねた客が寄ってくる。
「さあ、出来立てだよ。ザクザクバリバリだよー」
 まだほんのり温かい菓子は、香ばしくて歯ごたえがいい。雷の味がする。
「これを食わなきゃ夏がこねえや」
「江戸の夏といや、雷おこしだからな」

 そう、夏は雷おこしの旬と言われるのはこういうわけだ。
 残念ながら、今は雷の入っていないものが「雷おこし」として売られているがね。
 雷入りのを食べてみたい? やめとけ、あれは命知らずの江戸っ子の食いもんだよ。

『雷は塩にぎりとなりうるか?』 #ノート小説部3日執筆 お題「雷」 #みづいの スピンオフ 

「律月さん、稲妻って聞いたことある?」
 昼のワイドショーが先日の豪雨被害を特集している中、漣は唐突にそう尋ねてきた。わたしは四個目の塩にぎりのパッケージを破り開けながら首を傾げる。
「聞いたことあるけど、それが何」
「稲妻……雷が多いとね、豊作になるらしいよ」
「ふーん」
 もぐもぐ。咀嚼を止めることなく話を流す。漣はわたしの態度に怒るでもなく「まぁ興味ないよねー」と笑った。
「わたしには関係ないし。……って、言い方悪いけど」
「今更だなぁ。でもさ、今年雷多いのがもし律月さんのせいだったらどうする?」
「は? それ、どういう意味」
 仮定とはいえ失礼極まりない台詞を流すことはできず、思わず低い声で威嚇してしまう。それでも漣は動揺を見せずに笑っている。何なんだ。
「だってさー、律月さんって『白米殺し』って呼ばれてるんでしょ? 神様とかその辺の人が『これはマズい』って危機感覚えて雷鳴らしまくってたら面白いじゃない」
「わたしは全然面白くない。失礼なこと言わないで」
「あはは、ごめんなさーい」
 反省しろ。睨みつけたくなるが、この男相手では無駄でしかないだろう。わたしは諦めて話の腰を折ることにした。
「で、突然どうしてそんなことを言い出したの」
「ん?」
「稲妻がどうとか、漣はそんなことに興味なさそうなのに」
 穏やかに見せかけて、怠惰を身に纏う男。それがこの男――薬師川漣なのである。自分に関係しない物事をいちいち記憶しておくような性格でも、ふとした拍子に雑学を披露するような性格でもない。
 わたしの疑問に、彼は小さく笑いながら「大学でね」と答えた。
「民俗学? みたいな講義があってさ。なんとなく覚えてたんだ」
「そう。珍しいね」
「本当に。俺も自分でそう思うよ」
 漣はどこか遠くを見るような目をする。どこか寂しそうな光を宿したその目は、直後普段の怠惰な目に戻った。
「どうしても忘れられなかったのかもね。人々に恐れられていても、疎まれていても。時代が変われば――希望になりうるかもしれない、って」
「……漣」
「なーんてね。まさか信じちゃった? 単なる偶然だよ。あとは知り合いがそういうのにうるさ……詳しいから」
 適当に、いかにも通常運転のように振る舞う彼だが、その声に覇気はない。元々そんなものとは無縁の男だが、それにしても迷子のように揺らいだ声をしている。
 仕方ない。わたしは諦めた。こと薬師川漣の言動において、わたしは諦めてばかりいる。
 それが彼のためになっているのかはわからないけれど。それでも――漣が必死に築いた心の城壁を無遠慮に崩すような真似だけは、したくなかった。
「じゃあ、わたしがもっとご飯食べれば雷がいっぱい鳴ってみんな幸せ?」
「うーん、現代的な感覚だと『雷が鳴る』のはあんまりよろしくないんだよなー」
 むしろ律月さんは食べすぎ。漣が呆れたように笑う。失礼な、わたしはいたって常識的な分量しか食べていないというのに。
 そう反論すると、漣は目を細めて見返してきた。あのね、と言葉が紡がれる。
「律月さんの食べる量が常識的だったら、今頃おかわり自由の店は滅んでる」
「そんな……!」
「え、膝から崩れ落ちるレベルでショックだったの?」
 漣は目を瞬かせた。ほら立てる? などと言いながらわたしに手を差し伸べてくる。面倒くさがりを自称しているくせに、なんだかんだ面倒見のいい男だ、と内心感心した。
「……あ」
「何、どうしたの」
「あれ、虹だよね。ずっと晴れてたのに……」
「あー……。正確には虹じゃないよ。何だっけ、名前は忘れたけど、確か雨が降る前兆とか」
 なんて不吉な。がっかりしつつも思い出した。……雷は、豊作を齎す。漣曰く、だが。
「じゃあお米のために喜んでおく。やったー」
「律月さんは夢がないなぁ」
「漣には夢があるとでも?」
 第四班で一、二を争うひねくれ者がよく言う。そんな意図を込めて聞き返すと、彼は「あはは、論破されちゃった」と笑った。
「俺も夢とかないけどさ。まぁ、雷みたいな現象でも誰かの幸せに繋がるならいいよね」
「そうだね」
 漣もわたしも他の面々も、きっと万人に好かれ愛されてきたわけではないはずだ。それでも、ほんのわずかな人だけでも幸せにできたなら、救えたなら。――それは、幸せなことだと思う。
「音島さーん、薬師川くーん! 傘持ってきてる?」
 コンビニの袋をガサガサ言わせながら、詩音が戻ってきた。ハンカチで身体を拭くような仕草を見せ、困ったなぁ、と呟いている。
「急に雨降ってきたんだよ。……はぁ、雷鳴ったらどうしよう……」
「詩音は雷苦手?」
「苦手ってわけではないけど、好きでもないかな。データ飛んだら怖いし……」
「そっか。人それぞれ理由はあるよね」
 昼食を摂るため自分の席に戻っていく詩音を見送りながら、わたしは漣と目を合わせて笑う。秘密の共犯者、そんな言葉が脳裏をよぎった。
 他の誰もが雷を疎んでも、わたしたちには雷を嫌いになれない理由がある。小さな優越感のようなものを抱きながら、わたしは五個目の塩にぎりに手を伸ばした。

『神様の言う通り』 #ノート小説部3日執筆 お題:雷 #ある夭逝した天才の記憶 スピンオフ 

『……かくして研究都市トニトルスは空中都市となり、雷様の雷雲により供給される電気エネルギーを活用して比類なき科学技術大国となったのです……』

 動画授業ってのは退屈だ。
教科書(インストール)式と違ってこの時間を拘束されないといけないし、俺が退屈してる顔を見て雑談を挟んでくれたりもしない。だいたいこんな歴史、今更授業でやらなくたってトニトルス中の小学生が知っていると思う。なんで高等教育に進んだ俺がこれを見せられているかというと、実はこれ、技術科の導入授業なのだ。
 つまり、技術に興味を持ってもらうために、皆様ご存じの〜をかれこれ三十分やられているというわけである。
 視界モジュールのど真ん中を断りもなく占拠され不便に感じながら、テーブルの向かいに声を掛けた。
「リノ〜! 技術科の第一講ヤバい暇なんだけど」
 まあ返事など期待していない。俺の天使は二つ年下の十三歳だが、もう高等教育まで終えて、今は卒論の名目で色覚補正モジュールの研究をしている。黙って作業しているということは、忙しいんだろう。
「技術科……? ああ、あの動画見ないといけないやつか」
「え、俺の話聞いてたの?」
「は? お前が僕を呼んだんだろうが」
「そうだけど、なんつーか、邪魔してごめん」
「今はヒトモデルシミュレーションの結果待ち。暇だから遊んでたところ」
「え、そうなの!? じゃあお話ししよー!」
「馬鹿は授業真面目に受けろ」
「さすがにリノとずっと一緒にいる俺が技術科落とすようなことはないよー! 大丈夫!」
 俺がそう反論すると、リノは黙ってしまった。顔は見えないけど、多分照れてるんだと思う。ものすごく口も人当たりも悪いが、リノは何だかんだ、俺のことが大好きなのだ。

「……クリス。雷の剣ってあるだろ」
 ややあって、リノが雑談を振ってきた。
「え、あの国宝の?」
「そう、世界を救うっていう伝説の。武闘会でたまに賞品になるやつ。あれ、なんで贈られるか分かる?」
「いや、そういえばなんでだろうな? 国代表の戦士の栄誉を讃えて?」
「そう見えるよな。……あれ、実は雷様の権能がそっくりそのまま移されているらしい」
「……どういうこと? 雷様になれるってこと?」
「僕、電気電子の一級技術士の資格をこないだ取ったんだけどさ。ああ、いちいち驚くなそんなことで。それより、その時の開示データで雷の剣についての解説がされてて。
 アレがあれば、雷雲とトニトルス特有の電場が無くても、それらを再現できるらしい。つまり、戦地に赴く戦士が、僕らの技術の粋、ナノマシンによるモジュール群を十全に動かせるようにするためのはなむけだった、というわけ」
「……なるほどー! 思ったより実用的な贈り物だったんだなー」
 物量戦争は、人の少なくなったこの世界で絶えて久しい。国同士が不穏になった時に戦争の代わりとするのが、代表となる戦士同士の一騎打ちだ。だからこの国でも十年に一度武闘会が行われるし、その優勝者は戦士として実際に死地を経験することもある。最近は近隣諸国との緊張もないから、雷の剣が贈られるような戦士同士の本気の戦いはなく、国際交流試合が時々開催されるくらいだけれど。
 だがいざとなったら、雷様は戦士をむざむざ殺させるような真似はしないらしい。医療モジュールさえ動けば、どんな怪我だってすぐに治る。武闘会では「医療モジュールが無ければ死んでいた」と判定されると負けになるが、実戦ではそこで終わりではないということか。
「それだけじゃない。雷雲も操れるから、雷を落とせるし、雷雲が無くても雷の剣から雷撃が出せる」
「かっ……けぇー! え、それ過去の動画とかないの? 見てみたいなー!」
「……僕は、見た。なあクリス、この贈り物、嬉しいか?」
「え、だって最強じゃない?」
「そうだな……」
 沈黙が訪れる。動画授業も終わり、正面からリノの顔を見ることができた。金色の長い睫毛が、揺れていた。
「……それでもトニトルスの戦士が負ける動画があった。複数人と立て続けに戦いになった時のやつだ。雷の剣は、最後には戦士の体力を奪うだけの魔剣になっていた。雷の力は魔法じゃない、蓄積されるエネルギーには限界がある。そこから先は、酷かった。戦士の体力が代わりにリソースとして使われているようだった。見るからに消耗していって、でも医療モジュールを切るわけにもいかないから、戦士は雷の剣を手放せなくて……名誉の死、になった」
「リノ……」
 俺は思わずその小さい顔に手を伸ばしていた。戦士に雷の剣を与えるのはこの国の守り神、雷様……つまり、俺の祖父であり、リノの父親でもある不老不死の半人半神、カミナの所業だった。
「あんなの、ただの人に持たせるモンじゃない。カミナはやっぱり、僕らのことを……」
「聞かれてるぞ、雷様に」
「分かってるよ……ただ僕は、やっぱりカミナのことは」
「リノ、言わなくていい」
「いい。カミナなんか、嫌いだ。いつも僕らを監視して。僕の記憶を消すつもりなら消せばいい! 僕は……いつかあいつを倒す」
 不敬極まりない神の子の言葉。しかし、何も起こらない。聞いていない筈はないのだ、トニトルス中の大気に雷様のナノマシンが遍在して、この国の治安を守っているのだから。
 雷様は神として、国民である俺達を愛している。そして多分、俺やリノのことは、大切な子や孫としても愛そうとしてくれている。俺達がどれほどそれを信じられなくても。
 窓の外を見る。蒼天の向こうに雷雲の壁。ピシャンと大きな稲妻が走った。あの規模はきっと雷様が、他国の偵察機か何かを撃墜したのだろう。不穏さはあるが、俺達はこの雲の内側で、俺達だけに与えられた幸福を享受している。
 世界で一番幸福な国。雷様に愛された者達は、リノや彼の叔父のように、雷様に反抗したとしても排除されない。雷様が人を死に追いやる時は、他に手段が無い時だけだ。雷の剣だって、戦士を救うために与えているのは間違いない筈だ。
 俺は、そう信じたい。
 だってこの国は、良い国だから。
 俺の大切なものは全てここで守られているから。
 リノの才能もこうやって十分に伸ばせる理想郷なのだから。

「……俺は、リノの記憶が消されるなんて、嫌だよ」
 雷様が何もアクションしてこないので、俺は仕方なく俺自身の言葉で説得を試みた。
「僕も、……怖いよ。でもあいつに負けたくない……」
 雷様の権能を抜きにしても、カミナは稀代の天才技術者だ。リノは人としても技師としても、父親に負けられないのだろう。
「……脳のバックアップ取って貰おうかな、叔父貴んとこで」
 天使の顔を持つ十三歳が、悪ぶった笑みを見せる。
「そんなことできんの?」
「事故った時のための脳細胞補完モジュールってのが出てきててね。僕がカミナに反抗しなくなったら……クリス。お前が気付いて、僕を救ってくれ」
 リノの丸い大きな目が真剣に俺だけを見つめてきた。
 色々と、反論したいことはあるけれど。
「……分かった」
 俺は理屈や保身よりもまず、リノのことが大切で、リノの望むことなら何でも叶えてやりたくて。

 雷のようにうつくしく、儚く、危うく、激しい金色の獣。
 俺にとっての神様は、きっと、リノのことだった。

#ノート小説部3日執筆 『仕事は分割するもんだから、キミは休んだ方がいい』 

僕は滝沢ユウ。オランウータンの合成半獣。仕事は半獣保護施設の喫煙室の受付。
いつものクセで通勤道を歩いて、いつものクセで連絡アプリに朝の業務開始連絡をしたら、監視長から『キミ今日は休みでしょ』と怒られた。落ち度は、言われるまで気付かなかったこっちにある。
そんな訳で自宅にとんぼ返りして、すこぶるヒマである。

平日とはいえ、旅行する気力は起きない。だからといって自宅にいても……という感じ。
熱中してコントローラを握りつぶしたトラウマのせいで、ゲームやネットは苦手だ。本は無いから読めないし、テレビはつまらないのでどうしようもない。

そうだ、せっかくヒマなのだから、同じようにヒマな奴を探そう。職場にはワーカホリック気味な方々がいる。回遊魚でさえちょっとは休むというのに、ああいった輩は常に仕事を、なにかしらの作業をしていないと落ち付かないのだ。僕もその一人だからよく分かる。
そしてそういった輩がなぜ休めないかというと、休日にやる事が無いからだ。これも現在そうだからよく分かる。
ならやる事を作ってしまえばいい。誰かに誘われたなら、重大な理由が無いかぎり、断られやしない。誰かの誘いは断りたくないから、よく分かる。

そうと決まれば、さっそく連絡アプリを開く。全体連絡のグループを見ると、やはり僕と同じように、監視長から『今日は休みでしょ』と言われている職員がちらほらいた。

その方々の個別チャットに、同じ文章を送りつける。
『せっかく休みなんですから、一緒に遊びませんか?』
幸いにも、何人か快諾してくれた。全員分の話を取りまとめた結果、昼から僕の家で呑むことになった。こういった少数での集まりで、幹事をするのは慣れている。
それにしてもみんな返答が早い。いくら午前中とはいえ、仕事じゃないんですから。

送ってから気付いたが、みんなそれぞれ違う部署の方だ。
まあいいだろう。部署は違えど職場は同じ、なんとかなるはずだ。とりあえず今のうちに、お菓子や飲み物を買い込みに行くか。それが終わったら部屋の清掃だ。

――
「さて、これで全員揃いましたね?」
普段はだだっ広いだけのリビングが、今やぎゅうぎゅうに埋まっている。
「あれ……思ったより少ないですね」
「何人いても、ワシは酒が飲めりゃいいからねぇ」
「むゅ、みんなでおやつ。する」
「まあまあ!せっかく誘っていただいたんです!楽しみましょうよ!」
厳しそうな
軽走馬(サラブレッド)のお兄さんから、ドカタっぽいヒグマのおじさま、明らかに眠そうなクラゲの青年、尻尾をずっと振っている大型犬のお姉さんまで、全員がほぼ初対面。
年齢も所属も違う、ホントに共通点が職場しかない集まりだ。

「皆さん。お集まりいただきありがとうございます。え〜、今日一日のお休みに、乾杯!」
やや拍子抜けの音頭と共に、一斉に手元の飲み物を掲げる。コーラ、缶ビール、カップ焼酎、紙コップに入れた洋酒。飲み物も十人十色だ。

皆が一口呷った頃合いで、さっそくお菓子を勧めていく。
「お菓子用意したんですよ〜!ポテチもいろいろ味あるんで!」
すると皆、カバンやレジ袋を取り出す。どうやら考えることは同じだったらしく、各々がお菓子を持ってきたみたいだ。
「あ、クッキー持ってきたんです。いっぱい入ってるので良ければ」
「アタシはチョコです!ミルクとビターあるんで、お好きにどうぞ!」
「んと……、ラムネさん、グミさん、ある。」
「おっ、お菓子バトルかぃ。俺は……酒のツマミしかねぇな。ほれ、これは鮭とば、イカもあるぞぉい」
皆が思い思いのお菓子(?)をテーブルに広げる。あっという間にテーブルが埋まり、すでにコップを置くのに一苦労するまでになってしまった。みんな結局床に置いてるので、僕もそれに倣うとしよう。

「甘いお菓子が多いので、お茶でも淹れましょうか」
「あ!大丈夫です!ペットボトルのやつたくさん持ってきたので!!」
そう言って大型犬さんは、ビールを置いてから保冷バッグを取り出した。中身は大量のペットボトル。お茶と名のつくドリンクはほぼあるといっていい品揃えだ。この暑い中これを持ってきたのはすごい。大変だったろうに。
「アタシの
飼い主(コマンダー)が『熱中症予防に』ってめちゃくちゃ仕送りしてきて、まだ余ってるんですよぉ」
聞いたら、また来週箱単位で届くらしい。とても一人で消化できる量ではないだろう。ありがたくいただいておこう。
「私もお茶いただきます。ありがとうございます」
「ん、ぼくも、もらう」
「ワシもいただくよ。ありがとなぁ」
みんな思い思いにボトルを取っていく。それでもお茶はまだまだある。

「ところで、どうしてクッキーを?」
洋酒を呷っていた軽走馬さんに訊ねてみる。僕のものも含め、近所で買えるものばかりだが、このクッキーはかなり高めのやつだ。缶入りだし、一枚一枚が大きい。
「お土産で貰ったものなんです。なんか、一人でこれ食べる勇気なくて。こういうイベントなら皆で食べれるし、いいかなって」
なるほど、たしかに貰い物は食べるタイミングを見逃しがちだ。皆で共有するほうがちょうどいい。

「おつまみ、おいしい。コーラと、合う。」
「ホントか若ぇの!どれ、ワシもコーラもらってみるか」
「んむ、お酌、する。」
「おや、悪ぃねぇ」
ヒグマさんとクラゲさんは、おつまみとコーラで談笑している。さきいかを口に運びながら、空いたワンカップにコーラを注いでいたりする。

僕はというと、いろいろ話を振ったり振られたりしながらジュースを飲んでいた。共通の話題は、飲み食いしていれば、後からいくらでも湧いてくる。ただ、大体は仕事の話だ。
「監視長って、アタシたちには休めって言うくせに、自分はぜんっぜん休んでませんよね!」
「む、後継ぎ、いない、仕方ない」
「先代さんに戻ってもらうにしても、面倒事が増えるからねぇ」
「嫌ですよ。また監獄に戻るのは」
こんな調子。根底に仕事が潜んでいるせいで、思いきりリフレッシュができない。こればかりは、もうどうしようもない。

合成半獣は生きる場所が少なすぎて、衣食住を満たすには働くしかない。そして必死に探した結果、人間からいいように使われるのだ。命からがら逃げ延びて、保護施設に飛び込んだ者だっている。他ならぬ僕だ。
保護施設(うち)の職務環境は圧倒的にホワイトだが、それでも過去の苦痛がフラッシュバックするもので。僕も、初めての休日は、いつ呼び出し電話が掛かるかとビクビクしたものだ。

コップなみなみの飲み物を一気に飲む。喉が冷えて、酔った思考が少しだけはっきりする。
「まぁまぁ、今日は仕事じゃないんですから。飲んで食べて、忘れましょ!」
せっかく、職員の心配をしてくれる環境に身を置いたのだ。これを享受しないと損だ。せめて休日くらい、楽しくありたい。
「それもそうですね。楽しみましょう」
「おやつもお茶も、まだまだありますよ!」
「む、ポテチ、新しいの開ける」
「ツマミもまだあるぞぉ!」

そんなこんなで、仕事中毒たちの宴会は夜まで続いたのだった。

――
おはようございます。滝沢ユウです。業務開始します。
『えっと、キミ今日も非番だよね?』

#ノート小説部3日執筆 「パエリアが食べたかったんだよね」 お題:わけあいっこ 

音希宅のこんふぃ、フィオは人間の食べ物が好きだ。
成り行きで飼うことになったのでこんふぃのことなど何もわからず、自分と同じ食べ物を与えても本当にいいものか迷って原生生物研究所のサイトなどを確認してみたが、火星のこんふぃは雑食で、猫やなんかと違って特に与えてはいけない食品はないらしかった。
まぁ飲食店を経営しているこんふぃなんかもいるから当然といや当然である。
ただ、フィオは身体が小さいので、海老やムール貝みたいな大きくて歯ごたえのある食べ物はまだちょっと苦手らしい。
そういうわけで、宅配ピザ屋の「パエリア始めました」の広告を見ながら音希は真剣にどのパエリアを食べるか考えていた。
最近はパエリアのような大皿料理でさえ1人前から届けてもらえるからありがたい話である。
パエリアといえば魚介が鉄板だが、これは前述の理由により却下。細かく切ってやればフィオでも食べられないことはないが、包丁を使ったりなんだりがめんどくさいから宅配に頼るのである。そういう手間を掛けずに食べられるものがいい。
あと、食事の後はアクセサリー製作に戻る予定なので、貝や海老を殻から外す作業で指先に脂をつけてしまうのは避けたいという事情もあった。石鹸でしっかり洗ったつもりでも意外と脂は残るのである。
そうなると自然と選択肢は絞られ、メイン具材は肉一択となった。
さて、ステーキたっぷりパエリアとベーコンのパエリア、どちらにしたものか……
「フィオはどっち食べたい?」
一緒に端末を覗き込んでいるフィオに聞いてみる。
「ぷにゃ!」
するとフィオは迷わずステーキパエリアの方をタップした。
やはり肉か。牛肉はこんふぃをも魅了するか。
音希はフィオと気が合ったことに密かに喜びながら、ステーキパエリアの1人前サイズを注文し、届くまでの間再び作業に戻ったのだった。

そして30分後。
焼きたて熱々のパエリアが段ボール製のケースに守られたアルミ皿に入った状態で届けられた。
焼けた肉とにんにくの香りが食欲をそそる。
ひとりと1匹は同時に感嘆の溜息をついた。
……いや、浸っている場合ではない。せっかく熱々で届けてもらったのに熱々を食べずになんとする。
音希は急いで自分用とフィオ用の食器を取り出してパエリアを分け始めた。
フィオの分は具材をスプーンの腹で潰して小さめにしてから盛りつける。トマトの皮は除けておく。
そして残った分を自分の器に適当によそって。
「いただきます」
「ぷにゃにゃにゃにゃ」
食前の挨拶を済ませるとお互いざくっと一匙掬って口の中にパエリアを放り込んだ。
トマト汁と牛スープがよく染み込んだ米が口の中で旨味を弾けさせる。
一口サイズのステーキ肉は脂身こってりのお安い肉だったが、よく炊けてほろりと崩れては牛脂とともに絶妙のハーモニーを奏でる。
これがもしクリームベースだったら胃もたれ必至だが、トマトベースのさっぱりした風味が牛肉の脂感を程よく緩和してくれていた。
直火焼き特有のおこげの香ばしさもたまらない。
音希とフィオは一心不乱にパエリアを貪った。
肉厚のパプリカはジューシーで。
よく火が通った玉ねぎは程よく甘く。
にんにくと胡椒で少しぴりりとスパイシーな米と肉を合わせると、口にすればするほど食欲は増す一方で、一人前でも少し余るかもなどと甘い考えを持っていたことを音希は恥じた。
フィオの求めに応じて幾度となくおかわりを盛り、自分の器にも同様に追加し、気がつけばパエリアの皿はすっかり空になっていた。
「ふー……ごちそうさまでした」
「ぷにゃんにゃ」
食前と同様に手を合わせて食後の挨拶をする。
食事は腹八分目に留めるのが良いとされているが、何となく口寂しさが残っていることに耐えかねて、音希はフィオにこう提案する。
「冷凍庫にシャーベットがあるけど、食べる?」
フィオが快諾したのは言うまでもない。
音希はどちらかといえば食が細い方で、今までならパエリアは半分翌日の食事に回していただろうし、食後のデザートを食べようなんて気にもならなかった。
それが今やこうしてパエリアを平らげた後にシャーベットに舌鼓を打つようになるとは、やはり誰かと分け合う食事はそれだけ楽しく美味しいということなのだろう。
その幸せな時間は暫しの延長戦を迎えたのだった。

おわり

#ノート小説部3日執筆  「わけあいっこ」神の子 ⚠️性暴力  

「貴方達は子なのです」そう言いながら、"母"は柘榴を剥く。当然のごとく大きい方と小さい方に分かれるそれを差し出した。
 これは絶対に平等ではない。実際に自分のところに運ばれたのは小さい方だからだ。横目で相手を見ると自分より大きな柘榴を食べている。
 自分も不自然にならないように実を取って食べ始めた。相手が食べ終わり、自分もあと少しで食べ終わりそうになったときに"母"はこう言った。
「〇〇、隠しているようですが、貴方は嫉妬しましたね? 同じ存在である●●に」断定する"母"に言い訳は通じない。
「ですが、母はそのことを予測していました。この世界は平等ではありません。柘榴を分けるのも不平等が起こります。貴方は不平等側の痛みを理解するのです。そのために、」柘榴は小さい方を渡しました。にこりと悪気もなくそう語った“母”に、怒ることはない。諦めにも似た感情で何も言うことがないからだ。“母”は演技がかった声で両手を広げ高らかに声を上げた。「これで、貴方達は正式に一つの存在になりました。神の子の誕生です」小さく古ぼけた教会には誰1人もいなく、“母”の声を讃える拍手も当然起きない。自分達は揃って無言で“母”を見つめるだけで、「すごい」とも「最高」とも声を出さない。そういう規則だ。明日の生誕祭を迎えれば、自分達は“母”よりも神聖なモノに成り果てるのだから。
「では、明日は聖堂で貴方達の生誕祭があります。それまでも、貴方達は2人で1人、逃げるようなことはあってはいけませんよ」
 “母”は自分達に釘を刺して言ったつもりだろうが、生まれてからずっと神の子として育てられた自分達に逃げるという選択肢はない。音も立てず静かに“母”が教会を出て、馬車に乗ったのを音で聞き取って、小さくため息をついた。
「おい、ため息をつくな」「ごめん」「あやまるな」「うん」
 自分達は2人で1人。自戒をするならともかく、謝ることは他者にすること。自分ですることではない。
「帰る、これは自分が持つ」「じゃあこれは自分が持つ」
 小さなカゴ2個に入っているのはりんご1つとパン1つのカゴと、もう一つに入っているのは瓶のぶどう酒とカゴの底にいるヘビ。このヘビは無毒ではなく、猛毒なことを知っている。だから、逃さなければいけない。“聖書”と呼ばれるモノ曰く、蛇に唆されて実を知恵を付けたのが人間らしい。だが、この国では「蛇に唆される」ことは罪となる。自分の手で知恵をつけてこそ、神の子であるということらしい。“パン”も“ぶどう酒“も全て“聖書”に書かれていたモノだ。どれも神の子が生誕祭の前日に食すようにと。相手というと二人称になってしまうから、自分というが、自分は勇敢なところがある。人が嫌がることをやる。正義感の強い自分だ。だから蛇の入ったかごを1人で持って行ってしまった。自分はそれに追いつこうと、軽い食べ物の入ったカゴを持って後ろをついていく。走れば追いついて横に並べるが、自分は“母”に言われた通り不平等の痛みを知るもの。無理に走らず。ただ背中を追った。 “母”の言葉を都合よく使っているのは自分でもわかっている。先を歩いている自分もわかっているだろう。不平等の痛みと言いながら、蛇のカゴを持たなかったのは弱さゆえだ。自分は自分の一瞬でも怖がった顔を見たのだろう。だから請け負ってくれた。自分は強いから。それに対して自分は強い自分に守られている。こういうとき、1人であればと思ってしまう。そう願ってしまうことはいけないことなのに。先に行った自分が、こちらを見て待っている。ああ、もう森の中か。日差しが丸く差し込むところが神の子の住む家だ。多分これで最後なんだと思う。自分が待っていたのは鍵を自分が持っているからかと思ったが、ヘビを逃がすためだった。自分がかごを持ってしゃがむ。それに倣って自分はかごを抱えて座る。ヘビが実を食べたら大事になると“母”に教えられたからだ。自分が、ぶどう酒の下に敷かれた白い布をゆっくりと剥がす。そこからヘビが舌を出しながら、出てきた。ゆっくりゆっくりと。ヘビが自分を見ているような気さえした。自分は急いで家の鍵を開けようと立ちあがろうとしたが、自分の手がしっかりと背中を押さえつけたから立ち上がれなかった。自分が逃げようとすることを自分はわかっていたのだろう。ずるい真似をすると。そうなれば自分は他人になる。それだけは避けなければいけないため、自分は1人になるため、立ち上がるのをやめた。ヘビが動き出す。自分は息を止めていたし、自分も音を一つも出さなかった。それのおかげで、ヘビはこちらに気づかず、森の奥へ這いずって行った。それを見た自分は立ち上がって、こちらを見下ろしてきた。腰を抜かした自分をわかっていたのか手を差し出してきている。自分はもちろん立ち上がれないので、手を握って持ち上げた。自分は力が強い。自分よりもだ。理由はわかっている。でもここは1人しかいないことになっている。だから自分は不平等側。持っていない側なのだ。だから仕方ない。鍵は開く。そして1人。自分と自分は家に入る。そして宝物をしまうように内側から鍵をする。自分が。なぜ、自分が内側ではないのか疑問に思ったが、自分を守る術がないと考えれば、そうだ自分は納得した。 その納得を後悔したことなんて、なかった。
 左右対称のように端にベッドがあり、中心に机があって、椅子が左右にある。包丁でリンゴを真ん中で切る。“母”はザクロを手で分けたが、あれも“母”だからだろうか。自分ではできないだろうな。自分にはできるかもしれないが。自分はぶどう酒をコップに注いでいた。何も飾り気のないコップだ。それに見慣れない紫色が入って行く。見ていると、自分と目が合ったので、慌てて、リンゴをもう2度切る。半分でも自分達は文句は何もないが食べるなら食べやすい方がいいだろう。リンゴ2片、皿に盛り、机に並べた。自分はもう座っていたので、自分も座る。自分がかごから、パンを取り出した。1人分のパン。自分がなんとか分けようとしようと力を込めたとき、自分の手が伸びて、パンを二等分にした。その片方を見ることなく差し出された。これが、平等。眩しくて仕方ない。自分がやれば“母”と同じようになっただろう。なるほど、嫉妬。これじゃ1人にはなれない。これを食べ、寝たら、忘れよう。こんなもの持っていたって仕方ない。
 手でリンゴを2片食べ、パンを食べる。リンゴはみずみずしいがパンは乾いたものだった。それでも口にしなければいけない。全部食べ終わった後で、残された、ぶどう酒を見る。これはパンにつけて食べた方が良かったのではないか、と思う。だが、自分も同じようにリンゴとパンを食べ、残すはぶどう酒だったようで、目線があったかと思うと、自分はぐいっと飲んだ。自分はぶどう酒の匂いだけでも苦しいので、チビチビと飲んでいた。その様子を自分が見ていた。時計なんてないのに、自分を待つのが嫌なのか自分は自分の残ったぶどう酒を一気に飲んだ。そして、自分を見た。いつもの自分を見る目ではない。
 恐ろしいことが起きた。自分は最後に罪を犯した。自分を私に戻した。
でも、明日は来る。ずっと彼と1人だ。自分は、何

#ノート小説部3日執筆 お題:わけあいっこ『病めるときも健やかなるときも』 

「我こそはくじ運強い! って子はいる?」
 ビャーンという効果音が付きそうなほど、我らが『春の女神』が叫んでいたら、それは確実にご両親絡みである。
 鳳ななは春組のトップ娘役という地位にありながら、少しも驕らず下級生にも上級生にもとても親しみやすく接している。ほんわかと周りを和ませるさまはまさに、春の日差しのようだ。それゆえファンたちからは『春の女神』と呼ばれれている。
 しかしそんな女神さまにも、愛すべき欠点のようなものがある。それは彼女が『両親の重度のオタク』であること。
 彼女の両親は演劇業界でも有名な二人である。まず、父親の鳳謙二郎は元北斗歌劇団の伝説の男役トップスター。そして母親の鳳きょうかは元南斗歌劇団の男役スターである。退団後、舞台で共演したことをきっかけに愛し合うようになり、そして、ななが生まれた。
 現在も役者として第一線で活躍する両親の背を見て育ったななは、迷うことなく母と同じ南斗歌劇団に入団し、そして春組のトップ娘役にまで上り詰めた。インタビューでも謙虚な姿勢を崩すことなく、両親のおかげだと彼女は言う。偉大な両親のように皆から愛される演者になりたいと、ななは予科生の頃から心に決めていた。
 ななは幼いころから両親の舞台作品は毎回観劇してきた。音校に入学してからも隙を見て両親の舞台を観劇しに行っては、担当さんに怒られたりもした。それでも、彼女は少しも懲りることはなかった。親離れできていないと周りから揶揄されていたが、テレビ番組に両親が揃って出ていたとき、彼女は早口でいかに両親がすごいかを褒めたたえ、
「尊い……」
 と涙を流しながら拝んだのだという。要するに、彼女のこれまでの言動は両親を『推し』として見ていただけなのである。同期生や上級生たちは『オタクならしかたない』と全てをあきらめたのだ。
 そして、現在。彼女は四角い缶が大量に入ったバッグを持って稽古場に現れて、くじ運が強いものはいるかと先生方や組子たちの前で叫んだのだ。
「あれ、ななって昨日オフだっけ?」
「きょうかさんたちの舞台見に行ったみたい……。あんなに散財しちゃって」
 もはやその光景に慣れた様子を見せるのは、ななと同期の紅アキヲと桜花桃李である。アキヲは男役トップスター、桃李は二番手と南斗歌劇団にしては珍しく同期でトップと二番手を占めているのである。
 ななが持っているのは、両親が出演している舞台の公演グッズの一つで、缶のなかにクランキーチョコが五つと出演者のカードがおまけで入っている、いわゆるブラインド形式というやつで、あけてみるまで、中身がなにかわからない。
「アキって何個もらった? 私は四個」
「そりゃいいなぁ。ワタシなんて六個だ」
 すでに昨日の時点で、アキヲと桃李に『ハズレ』のカードが入っていた缶を押し付けていたのである。
 なな曰く
「おすそわけだから!」
 そして、今日も組子たちに『おすそわけ』をするために大量の缶を持ってきたのである。
 美味しいものはわけあいっこしないたくとね、と普段の彼女なら言うのだろうが、どうもそういった余裕はなさそうである。すでに十個ハズレているので、あとは運の強い組子たちに任せようというのだろう。同期や上級生ならともかく、下級生たちには荷が重すぎる。
「やっぱ、ブラインド形式は悪しき習慣っすよ。誰も幸せにならんす」
 そう言うのは、研三の男役オタちゃんこと緒多クイナである。彼女は生粋のアニメオタクで、カバンにも化粧前にもアニメグッズを並べているような子だ。フランクなしゃべり方で、明らかに研十五の風格を持っている。
 そんなオタちゃんは稽古場の端で腕を組んで立っている。
「オタちゃん、パパかママをひいてよぉ」
「ムリっす。ウチ、マジでくじ運ないんで。絶対、外れます」
 トップ娘役で上級生でもあるななにもフランクな姿勢を崩さない。オタちゃんは『推しのグッズは金を出して買う派』なので、ブラインド形式の商品には一切、手を出さないのだ。
「お菓子食べていいからさぁ」
 ななはぺたんと座り込んで号泣してしまう始末。こうなると、事態を収拾させるのは同期の仕事。自然とアキヲと桃李に視線が集まった。
「なな、フリマサイトで買おうよ」
「ノン! パパとママは自引きする!」
「……春の女神から自引き、なんて言葉は聞きたくないなぁ」
 アキヲの申し出にもななは首を振り、桃李からは呆れられてしまった。
 缶はどうやら二十個近くあるようだ。
「いっそ、一人一個開けてもらう?」
 ななが閃いたとばかりに顔を上げると、組子全員が顔を逸らした。先生方もあからさまにほかのことをし始める。
「なな。アナタもトップ娘役なら、そういうのを組子に押し付けたらあかんえ」
 とうとう見かねた組長のアランさんが口を挟んだ。
「アナタはトップ娘役という地位を手に入れるだけの運を持っておるんやから。ご両親を引き当てるぐらいの運も持ってるはずや。自分の力でなんとかしなさい」
 アランさんにそう言われてしまっては、ななも反論することもできず渋々と頷いた。
「じゃあ、あけてみる」
 ななは正座をして、缶をひとつひとつ開けていく。全十五種類のうち『当たり』は二種類。愛する両親だ。
 どれだけ缶を開いても両親は顔を出さない。夏休み最終日まで宿題をため込んだ子どものようにべそをかきながら、缶を開ける。残るはあと二つ。
 これで外れたら、また劇場に行かねばならない。それはそれでやぶさかではないが、気持ちとしてはここらで当てたいところである。
「なな、きっと大丈夫。ワタシがついてる」
「なんか当たりそうな気ぃするよ。イケるって」
 同期二人からの激励を受けて、ななは力強く頷き。二つの缶を同時に開けた。
 果たして、ななの苦労は報われたのである。
「やったー!」
 稽古場全体に響き渡らんばかりの大声で、ななは歓声を上げた。見事、両親のカードを引き当てた彼女は、くるくると歌い踊ってから、それらを床に並べて拝んだ。
「おめでとうございます」
 組子たちが一応は祝ってくれるが、やれやれといった空気が漂っていた。それでも、嫌いになれないのが『鳳なな』という女性の愛嬌であり魅力なのである。
「みんな、ありがとう! チョコクランキーはみんなでわけあいっこして食べてね」
「……ま、女神さまがそういうんなら。みんなでいただこか」
 アランさんがフォローすれば組子たちは元気よく返事をした。
 これで稽古に入れると先生方も安堵する。
 しかし、
「でも、もう一枚……いや、あと二枚はほしい」
「それでは、お稽古を始めますよ。今日は本読みから」
 不穏なことを言いだしたななの言葉は、演出家の先生によって遮られたのだった。

#ノート小説部3日執筆 弊創作CPのわけあいっこ 

防災行政無線の夕焼け小焼けが秋葉原の街にも遠く響く。
 日中の暑さが僅かに引くのを感じつつ、黒地に派手な蛍光色の意匠が施された缶飲料の中身を一口喉に流し込む。強めの炭酸が喉を刺激する。味は――。
(……次は無い)
 悪くはない。だが、率先して飲もうとは思わない味。巡回か栞の付き添いで行くゲームセンターでよく飲まれているのを目にするが、常飲すれば確実にどこか悪くしそうな予感のする味。それが同じ自販機に並んでいた他の缶より一回り大きい缶になみなみと。捨てる気はないが、飲みきるのも正直苦しい。
 溜め息と共に広くはない空を見上げ、高層建築の硝子に反射する夕陽の眩しさに思わず空いた手で目の上を覆う。――こうしていても仕方がない。帰る前に裏路地を軽く巡回しながら少しずつでも飲み進めよう。定時で退勤する地元の会社員が、まだまだ遊び足りなさそうな子供とその手を引く親が、今から開店するメイドカフェ(今となっては"コンセプトカフェ"に取って代わられた言葉だろうか)のちらし配りが行き交う裏通りに歩を進める。
「お、梓さん!今あがり?寄ってく?」
「今あがった。今度栞がいる時に。……酔客と暴漢はすぐに通報を。それから日が暮れた後の熱中症にも注意を」
「ありがとね!お疲れ、また今度!」
 巡回の仕事で知り合った街の住民との会話。この時こそ自警団の一員としてこの街に生きている事を実感する。
 手を上げて別れ、缶の中身をもう一口。
 (……美味しいのか?)
 やはり変わらず常飲したくはならない味だった。

 夕暮れの芳林公園。
 遊具で遊ぶ子供たちと、それを見守りつつ井戸端会議に花を咲かせる保護者たち、そして喫煙所を目指すスーツ姿の男たち。それらを横目に空いた長椅子を探して腰を下ろす。通りの喧騒から少し離れた公園のその光景を眺めながら、一向に減る気配のない缶の中身をさらに一口。
 ……休憩時間、自警団員が話の種にしているのが気になって買ったはいいが、早くも後悔していた。決して不味くはないが、一本まるごとは苦しい。子供の目がある手前(目が無くとも)捨てるわけにはいかず、ちまちまと飲んでは深くため息。
「あ、千歳の兄ちゃん!どうしたんだ?リストラ?ニート?伊吹の姉ちゃんに見捨てられた?そのモンストロもセンベツってやつ?」
 今から帰りであろう顔馴染みの小学生からもこの言われよう。余程酷い顔で飲んでいたのだろうか。
「全部違う。何処で覚えたその言葉」
「ジョーダンだよ。そんな顔してると本当に逃げられちまうぞ!」
「相手が俺だから良かったが今の時代冗談で済まされない言葉は多いからな。……気をつけて帰れよ」
「わかってるって!じゃあな!」
 その背中を見送ってもう一口……もうこれ以上は帰宅前に自主的な芳林公園清掃作業が必要になるかもしれない。
 水滴の付いた缶を額に軽く押し当て小さく息をひとつ。俯いて静かに目を閉じる。

「……モンストロ、ですか。あなたも随分なものを飲むようになりましたね?梓」
 頭上から降ってきた声。俯いた視界に黒いブーツと深藍の袴の裾を認めて顔を上げる。
「……栞も上がりか」
「そうです。……それ、大方なんとなく買ったはいいけど飲みきれないとかそういう話でしょう?」
 静かに隣に腰を下ろす。その膝の上に置いた紙箱がこちらに寄せられる。
「モーリスさんのロングポテト、よかったらどうぞ」
「……では栞にはこれを」
 まだ中身が半分は残っているであろう缶を差し出す。やっぱり、と言いたげな呆れた表情を浮かべつつも受け取ってはくれた。それから一口飲んで一言。
「毎日飲んだら一瞬で病院送り、それから一生ものの病気持ちになりますよ、これ」
「だろうな」
 そうだろうと思った。これを常飲しようとする人の気が知れない。納得しつつ紙箱から塩を振った細長いポテトを一本つまみ上げ、三口に分けて食べきる。素朴な味付けだがその塩気が疲れた身体に心地よかった。続けてもう一本に手を伸ばす。
「お昼、ちゃんと食べたんですか?」
「当然。栞が握ってくれたおにぎりだからな」
「……じゃあ水だけじゃなくて塩分は」
「……そのおにぎりが最後だったかもな。栞こそ」
「これはおやつですよ」
「夕飯食べられなくなるぞ」
「梓よりは食べられますよ」
 ポテトをつまんでは一言、齧って飲み込んではまた一言。外でこうして二人同じ皿の物を分け合って食べるのはいつ以来だっただろうか。
「そんなに気に入ったのならもう一個買って夕飯それにしましょうか?」
「夕飯がこれだけは無いな」
「当然です。ちゃんとしたのを食べないとバテますよ」
「……何か飲み物が欲しい」
「家で麦茶とミントティーがよく冷えてますから。好きな方を選んでください」
「……そうする」

 暫く何気ない会話と沈黙を繰り返しつつポテトを消化していたが、気付けば箱に残ったのは一本のみ。伸ばした手がその上で止まる。それは栞の方も同じだった。
 元はと言えば彼女が買ったもの。黙って手を引いて譲る意思を示す。当の栞自身は一瞬考えたようだったが、すぐその残りの長い一本をつまみ上げた。だが。
「半分こです。……どうぞ」
 そのまま口には運ばず丁度半分あたりの位置で折り、その半分をこちらに差し出す。
「そういう事なら」
 断る理由も無くその半分を受け取る。そして同時に最後の一口。それを飲み込むのもそうかからなかった。
「……ご馳走様」
「はい、ごちそうさまです」
 紙箱のポテトも大きな缶飲料も空にするのも二人であればすぐだった。合流した時に比べればかなり日が沈んできてはいるが、まだ完全な日没までは時間がある高さ。
「ところで梓は」
 長椅子に腰かけたまま栞が口を開く。
「どこか食べに行きたい所はないのですか?」
 少しの間の思案。
「……どこかの縁日なら今からの時期お前と分けあって食べるにはいいかもしれないな」
 素直に思った内容を口にしていた。
「では人混みでバテないようにしてもらわないと」
 小さく笑いながら続けて一言。
「結局私一人で食べるようでは面白くないでしょう?」
「違いない……さて」
 栞から空の箱と缶を受け取って立ち上がる。
「帰るか。……今日は水風呂がいい」
「ダメに決まっているでしょう。そんなことをするからすぐ具合悪くするんですよ」
 同じように立ち上がって袴の尻を払いながら、呆れたように言葉を返される。
「……なら今日の夕飯は軽い物がいい」
 わざとらしく肩を落としながらもう一つ要望を出してみるが、こちらに関しては否定されなかった。
「そこは同意見です。軽めでさっぱりしたもの。ハナムラに寄ってから帰りましょう。さ、行きますよ」
 栞に続く形で人もまばらになりつつある公園を出る。
 小学校と幼稚園の並ぶ傍に、一日の終わりを迎えようとする店とこれから一日が始まる店が混在する通りを往く。
 ――食べ物だけではない。栞とはこの先も喜びも痛みも分け合いながら生きていく。今までそうだったように、これからも。

#ノート小説部3日執筆 わけあいっこ 

わけあいっこアイス

 横から「ちょっと分けてー」と言われた。答える前に一口食べられた。
 これは、私が買った、私のために買ったちょっと高級なアイスだったのに。
 今季の新商品。気になっていた味。ずっと楽しみにしていたのに。
 こんなのひどい。思わず子供のように泣きたくなった。
 それなのに相手は何にも考えずに飲み込んだ。せめてもっと味わえ!
 昔っからそうなのだ。人にカニをほじらせといて自分は食べるだけ。むかむか。

 そんなわけで絶賛ケンカ中である。ぼたぼたこぼれる涙でアイスの味はわからなかった。
 「そのくらい、いいじゃん……」と言われたらもう、顔も見たくなかった。
 「許してよー」と言われて買ってきたアイスが150円のアイスだったので口を聞かなかった。

 そんなことを友達に言うと「くだらないなあ」と笑われた。
「こっちは真剣なの! そりゃアイスだけど、たかがアイスって思われたくないじゃない」
 「まあねえ」と友達は笑った。
「この歳になるとどうでも良くなってこない? あーそういう人だもんねーって」
「だいたいのことはそうなるわよ。でも今回はダメ! 許せない!」
 アイスひとつで怒りすぎだとも思ったが、降り積もった火薬に火をつけたのはあいつのほうだ。
「もうアイスと結婚したら? 冷え切った関係になるけど」
「冷えてるからこそ甘くてしあわせなのよ」
「あはは、それはそう。で、冷えてるの? その相手と」
「うーん……熱々ではないなあ。平凡で気のきかない同居人って感じ」
 「そ」と友達はそっけなく返し、
「ま、冷えてたほうがいいものってあるわな」

 帰ってくると、そいつは珍しくしょんぼりとして待っていた。
「ええと、ごめん」
「……うん」
「君が美味しいと思うものを知りたくてさ……」
「へえ〜……そう思えない雑な食べかただったけど」
「美味しかったよ! だから、俺が美味しいと思うの、買ってきたんだけど」
「たしかに値段の割にはめちゃ美味しいけどね!? スーパーカップのバニラ!」
 もう十何年も、同じことの繰り返し。この後も……。この後も?
 ぺしっと薄くなってきた額を叩く。いい音がした。
「これで痛みわけ」
「……うん」
「こんどパピコ買ってくるから。たくさん。それなら分けてもいーよ」
「あ、あれも美味しいよねー。チョココーヒーがいいな!」
 分け合うことは諦めである。
 自分の一口を諦めれば違う味の一口を味わえる。
 それが割に合うかは別として。
「そんで高いアイスはいないとき食べる! 絶対そうする!」

 病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も。
 愛している時も憎んでいる時も、敬う時も蔑む時も、慈しむ時もぞんざいな時も。
 私たちはいろんな味を分け合いっこするだろう。
 時に分かち合えないこともあるけど。
 それでも、この人と一緒にアイスを食べようと思ったのだ。

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