たまたま耳に入ったNHKラジオ第一のラジオドラマ、新聞社整理部の降版時間直前の何とも懐かしい怒号が飛び交っていて、若いころは紙媒体だった私は反応せざるを得ませんでした。
私のころはもう写植機から出力の棒ゲラを倍尺片手に切り貼りする時代ではなく、面担が直接PCモニタで組み付けていました。データを降版するとすぐ輪転機がある1階に駆け下り、出てくるシルバーマスターの出来を見ながら機長に渡していたあの頃も、気付けば遠い遠い昔になりました。
編集局の下から今は無きハマダの輪転機の音が響き始めると、一服してから次の担当面に取りかかったものです。
当時の整理部は各社とも日陰な不人気セクションの代名詞で、組版も大好き人間な私は変わり者の部類でしたが、先日聞いた話では、いまの記者にとっては決まった時間に帰宅できる整理部が一番人気だそうで、時代も変われば変わるものです。
本業がまさに斬るか斬られるかという場面もあったりして半月ひと月があっという間に過ぎてしまいます。とはいえ若くもない身、この日々もいつかは終わりが来てしまうことは自明の理です。4年前に描いたものをBridgy Fedのためしを兼ねて。『Discontinuity』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2020/03/discontinuity.html
#たゞ玉響の夢
仕事がてんやわんやの中Twitterは放置のまま先月末で投稿を取りやめましたが、動画もYoutubeチャンネルを廃してFediMovieに移してサイトからのリンクも修正し、メディアはいちおう下記の通りの体制となりましたので改めてまとめました。
2月のBluesky開設告知広告は昭和30年代末の活版印刷をイメージしましたので、今回はそこから数年あと、昭和40年代半ばの写植組みオフセット印刷風を目指してみました。
空白期間だったあいだ、以前『たゞ、玉響の夢』2話分のPVを公開していたチャンネルをYoutubeからFediMovieに移しました。
今月も気がつけば旧Twitterは混乱の度をまたひとつ深めそうな発表があった由ですが、そんな状況を尻目に大手SNSからはひととおり脱出できたかな、という感じです。
https://fedimovie.com/c/movies.sozertsaniye/videos?s=1
4月になっても地味に仕事が多く、しかも若い頃にはなかった季節の変わり目で体調崩しつつとあっては如何ともし難いところです。
久々に町並みの背景をちゃんと描いてみました。竹本家の近所で、府立紹鴎森高校(を想定している場所)から徒歩11分の通学ルート途中にあたります。
このあたりは4年ほど前にひと区画まるごと更地になって周囲から浮いた高級そうな4階建てのアパートが立ちました。 #たゞ玉響の夢
『南神合町』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/04/blog-post_21.html
ことしは特に3月に輪をかけててんやわんやの日々が続き、気がつくと4月になってしまいました。あの年のユキヤナギは、ことしよりも早く花が咲いていたように思います。それからもう9回目の春が来ました。
「ユキヤナギ」#たゞ玉響の夢
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/04/blog-post.html
世間の事どもに接し続けなければならない稼業を続けていますと、一瞬の刹那に過ぎない今を、絶対で永遠のものと思い込んでしまう、人の哀しき性故の出来事に、世界は満ちていると感じます。
その刹那の瞬間でも、とてもとても長く感じた子どものころ、若いころの感覚が成せる事なのでしょうが、だからこそ古今東西の老若男女は、過ぎゆく刻のあまりの早さに気づくある年かさに達すると、感覚と現実との相違に戸惑い、哀しみ、そしてなにがしかの抵抗を試みたりしてきたのでしょう。
きょうもまた、その戸惑いと哀しみを心の隅にしまいつつ、僅かばかりの抵抗を試みる一日が過ぎてゆきます。
『春の午後』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/03/blog-post.html
#たゞ玉響の夢
「老害」がクローズアップされているようですが、振り返ればいま70代の全共闘世代が「プチブル」、いま還暦前後の新人類世代が「マイ・ウエイおじさん」などと言って、それぞれ前の世代を白眼視してきたことを思い出します。
実際たった10年ほど前までは団塊や全共闘世代を「勝ち逃げを決め込んでいる老害」と批判していた後輩が、今や精神弛緩した有り様に見事に変わり果てているのをみると慄然とする思いです。
「死」を筆頭に、人生いつ何が降りかかるか分からず、切り拓いたと思った場所も時代環境の変化で一瞬にして無価値になり得るという不安定な立場にいる現実は、今の20代30代の皆さんとまったく変わらないのですから、此の世を身罷るまで、必死に生きる緊張感というものを忘れてはならないと、つくづく思います。
Blueskyにアカウントを開設しました。こちらのMastodon(Fedibird)は日記的に、Blueskyは掲示板的に使い分けを、とも思っておりますが、常時低調のSNS不器用な私でございますので自信はございません。
昨夜遅くに一度上げてみましたが朦朧としていてはミス多く、一度下げて再投稿です。その時Twitterにリンクを貼ってみましたが予想通り(?)文字列が並ぶだけの雑な扱われ方を確認し、改めてがっかりいたしました。
私ごときのアカウントでは、かのアルゴリズムなるもので人の目に触れる機会もそうそうございませんでしょうし、いずれあちらは休止しようと思っております。
改めて何卒宜しくお願い申し上げます。
https://bsky.app/profile/sozertsaniye.bsky.social/post/3kl7hh7zelu2n
https://twitter.com/AXhr0FzaqtILYXF/status/1354447032002330624
こばしょー(小林紗良)さんは、中学で漫画家デビューし高校で引退された由で、だからこそ大人になってから加わったノイズのない、当時の10代の印象に近い証言をされておられ引用させていただきました。
ただ、氏のTLにもありますが、漫画に限らずブームというものには必ず金の匂いに敏感な輩が群がるもので、現代に顕在化するブラック労働ややりがい搾取等々の社会問題の多くが40年前のこの分野に既に凝縮されていて、人生経験薄い若き「同好の士」たちがそれに翻弄されていただろうこともうかがえます。
コミケ勃興に伴い商業と趣味、労働と遊びの境目があいまいになったことにつけこんだ、安い稿料で(同人合同誌に至ってはタダで)コンテンツをでっち上げるヤクザで安易な出版稼業のカモにもされたわけで、作家の病死や失踪までもたらした構造的暗部は、のち日本社会の全業種に広がった感があります。
前述の田中さんも後年上京して何本か読み切りを描き、さあこれからというところで方針が変わったと編集部からあっさり切られ、しばらく苦渋辛酸をなめたそうです。夢を抱く若者が娑婆に出た時、その無情と無常にどう向き合うか。受ける傷の深さは景気次第で違いはあれど、課題は不変かもしれません。
それまで雑誌の漫画といえば私にとって70年代のイメージ。中高時代の関心の中心は高橋義孝や内田百閒の随筆でしたから、絵が好きとはいえ漫画には関わらずに済んだはずでしたが、振り返れば地主のお嬢さんでいまもプロ漫画家の田中さん(本名&旧姓、PNは別)が同級だったことは大きな引き金でした。
彼女は自身の漫画嗜好は語りませんでしたが(語ったところで私には理解不能だったでしょうが)、絵柄のみならず書き込む文章の言い回し、記号の使い方など、一つ一つが新しく、私が抱いていた「漫画のイメージ」にはないものでした。思えば彼女は当時既にOUTかファンロードの読者だったのでしょう。
彼女の画風に感化されたのち、生徒会執行部室でたまたま見た「花とゆめ」「LaLa」で「これが今の雑誌漫画か」と驚き同じ空気を感じたのも道理。80年代初頭からのわずか数年間に知らないところで少年少女青年のジャンルを超えた漫画変革のムーブメントが広がっていたのでした。
20代になって「ロリコン・美少女漫画」があることを知りましたが宮崎事件後でしたから歪んだエロジャンルにしか見えず、そうなる前の85年頃までは多くの少年少女達が混然と関わった「表現の新潮流」だったこと、また間接的に自身にも波及していたことには気づきませんでした。
高校卒業まで漫画を買うことがなかった私の漫画遍歴は皆様各位と違って極めて断片的で、大まかには手塚・藤子から高橋留美子や花ゆめLaLa系をそれぞれ部分的に触れたあと長く断絶し、その後主に森薫→谷口ジローで今に。これにアニメ専門の後輩が都度ちょっかいを出してきた感じです。
田舎でもあり80年代前半のマニアックな「美少女漫画ブーム」は知らず無縁でしたが、その数年後に生徒会執行部室で接した花ゆめやLaLaの少なからぬ若手作家が、実はエロに急傾斜する以前の「ニューウェーブとしての」初期美少女漫画の影響を受けた世代だとこの歳で知りました。
同時期には劇画畑で大友克洋が大作「AKIRA」で燃え尽き、一方ハードボイルド的世界で実験を試み続けていた谷口ジロー&関口夏央は大転換して「坊ちゃんの時代」に着手。「80年代の到来」は恐ろしいスケールの漫画文化転換期だったと再認識した次第です。
https://twitter.com/AXhr0FzaqtILYXF/status/1585887892689551361
ときにちょうど40年前、1984年の今頃のことですが、地方都市にある紀伊國屋書店の文具売り場で↓のような、ロットリングVARIANTによく似た感じのミリペンを太さ違いで何本か買ってしばらく使っていた記憶があります。
VARIANTに似たヌーベルグラファーとかファーバーカステルTGみたいな製図ペンではなく、サインペン構造のミリペンです。たしか染料インクだったと思います。
そのあとすぐ、顔料インクのサクラPIGMA(当時はアイボリー色でした)が田舎の文具店でも扱うようになったので乗り換えすっかり忘却の彼方。後年ロットリングを使う機会ができたときにVARIANTを見て「昔こんな風なミリペンを使ったことあったかな」と一瞬感じたぐらいでした。
最近ふとあのVARIANT似のミリペンを思い出し、ネットで検索を試みるもまったく出てきません。地方とはいえ紀伊國屋書店で扱っていたのでそんな怪しいものではなかったと思うのですが、どなたかご存じありませんでしょうか。
橘 思默(たちばな しもく)
創作協会セゼルツァーニエ出版所
Симоку Тачибана творческого объединения «Издательство „Созерцание“» активный старый тележурналист новостей.
Помни о смерти.
#たゞ玉響の夢 Blueskyアカウントでの投稿をBridgyFed経由でBTする場合もあります。Все права сохранены. / All rights reserved.