少なくとも40年前くらいまでは、日本だって、「人が死ぬようなことがあってはならない」ということは、いちいち問われることもない、誰も異論は挟むことができない(もし心の中で思っていたとしても)、社会全体の、当然の大前提だったと思うんだけど。
(ガンボンちゃんのツイート↓)
いわゆる「凡庸な悪」と同じで、「何故そのルールは守るべきなのか? 守るに値するルールなのか?」と言う事を全く考えず、「ルールだから、偉い人が言ったから」と盲従してれば良い、という「処世術」でしか世の中を見れない。
彼らはルールで「○○人をガス室に送ろう」と決まれば、疑わずに従う。
https://x.com/ganbon_bot/status/1690768235095097344?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
(引用されているtakemaruさんのツイート↓)
イギリスで燃料費高騰が問題になった時は「冬に暖房費が払えないお年寄りが出るのはいけない」というのが絶対的なテーマで右派ですらそれは否定できないのに、日本では普通の人が「電気代を払えない高齢者が冷房を使えないのは仕方がない、ルールはルール」というコメントをしているのが背筋が凍る
https://x.com/takemarutake/status/1690408829249269761?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
岸田くんと安倍にはあんまり共通点がないように見えるが、「お公家さん」的なところはかなり似ていて、要するに上流階級出身なのが露骨に顔に出ている。菅は意外に庶民派だからあっさり潰れた(嫌われすぎた)。 https://t.co/iT5rv5nEVs
好きな趣味の話だって、「政治」を完全に払拭は出来ないですよね。
政策の話はやめようという場があるのはわかるのですが、政治の話は禁止ねということになると、フェミニストとしては映画や文学や音楽や美術の話も身体や健康の話もファッションや恋愛や人間関係の話も職場や地域や日常生活の話も、すべてみんなできなくなるか大きく制限されることになるので、かなり厳しそうだな、と思いました。
ユニバースでいちばんかわいい犬の話をすれば良いのかしら(もちろんユニバースでいちばんかわいい犬をめぐる政治の話もたくさんありますけど)
「大変そうだな」と思ってることを回避できるなら全部投げ捨てて最低人間になって死んでもいい、くらいに感じて徹底的に逃避してしまうのがADHDの先延ばしなので、いくら正論で諭されても怒鳴られても叩かれて死ぬほど自分を呪ったところで自力では動き出せないのが辛いところ。
そんな中、やるべき課題の書類や画面を開いて目の前に置かれたりすると、最初は嫌がってても何度か視界に入るうちに「おや?これは案外できるのでは…?」と思って取り掛かり始めるのが私のパターン。