今朝、共同通信系の連載記事でパレスチナ西岸地区のことが書かれていた。
ヘブロンの活動家イッサさんに取材したもので、西岸地区への国家と入植者による苛烈な暴力に対する批判の視点が見えるとてもいい内容だったのだけど、イスラエル側の視点について書くときにはやっぱり「ユダヤ教徒」という書き方になっていた。そうなると「宗教対立」とか「三千年の歴史」みたいな、いつもの言い方に収まってしまう。そうじゃなくて……!
こういう記事の下に、岩波ブックレット『イスラエルとパレスチナ ユダヤ教は植民地支配を拒絶する』の広告があればと思った。
「宗教関係ありません」という話をもっとしなければいけないのだなと、昨日の今日でまた思った。
『イスラエルとパレスチナ ユダヤ教は植民地支配を拒絶する』(ヤコヴ・ラブキン著、鵜飼哲訳、岩波ブックレット)
原書が今年刊行のテキストがもう出る。岩波ブックレットは、とにかく早く出して価格を抑えて広く読んでもらえるようにしたい、というときに最適なフォーマットなんだというのがよくわかる。
試し読みできる冒頭では、ユダヤ人とシオニストは同一ではなく、シオニズムはユダヤの教義に基づくものではない、ということがていねいに説明されている。
これ、ほんとに何度も何度も繰り返されているそもそもの論点だけれども、それでもまだまだ繰り返さなくてはいけないものでもあるんだろうと思う。
でも、わかっているひとはわかっているし、わかっていないひと(わかろうとしないひとを含む)はわからない、という感じで、全然言葉が通じ合っていない、話がかみ合っていないように思える。
でもでも、たとえば自分も含めて日本に住む多くのひとのような、当事者じゃないひとたちこそ、わからないをわかるに変えられるだろうし、だからこそ変えなければいけないのだろうとも思う。
(続き)
江戸の国学者達はこれを批判したが、明治維新の指導者達のイデオロギーは基本儒教的でそれが「忠孝」を中心とする教育勅語に結晶した。統一教会も同じだと云ふ。
田中さんは最後に「中国回帰した」日本と中国相互の自慢と攻撃の応酬を心配して文章を終わるのだが、こんなデタラメな話はない。
田中さんは江戸時代には庶民にまで漢詩文が浸透したことを批判的に叙述するが、狂歌、俳句、歌舞伎などは江戸時代に勃興し、明治以降にまで続いたが、日本の植民地侵略とファシズムを止めることはできなかった。また和歌会に見られるように天皇制と密接に結びついたジャンルもある。
いわゆる「日本語」から漢語の影響を排除していく言語学・文献学は本居宣長が江戸期に完成したが、その結果漢語由来の言葉を使わなければ、日本語で概念を含んだ論文は書けないことが分かった。こうした言語の「クレオール」(雑種)は別に日本語に限ったことではない。
ついでに言うと田中さんは「忠孝」イデオロギーと言うが、中国では「考」が上で君主への「忠」はそれより「下」。「忠孝」は明治国家の発明。「臣民」も同じである。
少し前「中国化する日本」という本を書いた与那覇潤という詐欺師がいたが、田中さんもこれでは与那覇と変わらないのでは?
今日の東京新聞に「愛国教育」という田中優子さんのコラム。
前半は、第一次安倍内閣の際(2006)の教育基本法改正に対する批判でこれはもっともなご意見。私も、この時は、デモや集会、国会前行動などにお付き合いした。
安倍はさらに2015年に学校教育法を改正、「大学の自治」をほぼ解体した。これは元来憲法23条「学問の自由はこれを保障する」違反である。
憲法23条は、戦前のファシズムが滝川事件・天皇機関説事件・人民戦線事件などによって「ファシズム」に批判的な大学を弾圧することで最終的に完成したことを踏まえ、新憲法で「言論・表現の自由」から敢て独立して規定された。この教育基本法改正、学校教育法改正は安倍にとってはまさに憲法改正のリハーサルであった。
この2006年の教育基本法改正反対の折、私たちは「新自由主義と国家主義」の結合を強調したが、この頃はまだ新自由主義という概念は一般には理解されなかった。
ところで、田中さんに戻ると、「愛国」の起源を中国に遡る本居宣長振りの「反中」はいただけない。
田中さんによれば、「権威、礼、徳、忠、考、家族、祖先」な価値観は中国から輸入されたもの。
現代の「愛国者」達は実は中国の儒教倫理に基づいており、実は「中国回帰」なのだ、と田中さんは主張する。
何だそれ?イスラエルには何も言わないのか?バランス感覚、大丈夫か?
「中東情勢を深刻に懸念」石破首相がG7電話首脳会談に出席しイスラエルにミサイル攻撃のイランに沈静化働きかけると発言|FNNプライムオンライン https://www.fnn.jp/articles/-/767509
客観的な事実として、10/1のイランによる攻撃は(1) 2カ月前から自衛権の行使を予告。(2) 軍事施設のみを攻撃対象とし、イスラエルの民間人の死傷者は報告されていない。以上により、軍事行動ではあるものの、国際法違反とは考えにくい。
一方、イスラエルの活動は、(1) 予告なしにイラン領内で要人を殺害、(2)レバノン空爆では要人暗殺のため民間人を含む巻き添えが多数、(3)ガザとレバノンでは市街地を爆撃、民間人の死傷者多数、(4) レバノン同時多発爆弾テロで民間人の死傷者多数など。「国際法を遵守している」とはとうてい言えない。
ミサイル攻撃をしかけ軍事的緊張を高めたイランを非難するのなら、国際法違反の戦争を遂行中のイスラエルをより強く非難しなければ公平を欠くと言わざるを得ない。グテレス国連事務総長はそれを避けただけだろう。
メモ:イスラエルは国連事務総長を入国禁止に
https://nordot.app/1214175275116069119
イスラエルは「イランの攻撃を明確に非難できない人物はイスラエルに来るに値しない」などと主張し、グテーレス国連事務総長を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」とした。
問題のグテーレス国連事務総長の発言は以下の通り。
「中東地域の紛争が、激化に次ぐ激化で拡大していることを非難します。
これを止めなければなりません。
私たちには、停戦が絶対に必要なのです」
https://x.com/UNIC_Tokyo/status/1841304152221143095
雑感:
グテーレス国連事務総長は、イランとイスラエルの名指しを避けてコメントを出した。しかし、イスラエルは「イランを名指ししなかった」ことが気に入らなかったようだ。これは正当といえるだろうか?(続く
https://x.com/doga/status/1837682247870333360?t=17XIs0lupsgQPkN76JyvPw&s=19
Twitterで、実際に文在寅さんに会いに行った方が。
朝日新聞「好書好日」
平山書房( #韓国 ) #文在寅 ・前大統領が開いた店。農村地帯から広がる「本を読む文化」
https://book.asahi.com/article/15102102
#文在寅 元大統領が、本屋を開店したのは、本当だった。昨春開店だそう。
しかも、文氏自身の故郷に。
「文元大統領に会いたい!」と韓国からたくさんの人が訪れている。
文氏は、読書家で、大統領在任中も、好きな本を(SNSで?)紹介。文氏が紹介した本がベストセラーになるという現象が起きたという。
国家最高責任者から、村の本屋への転身。
人権・庶民派弁護士の経歴だから、小さな本屋へ転身しても、全然おかしくない。
記事より一部抜粋
「韓国の直前大統領であった文在寅(ムン・ゼイン)氏が故郷の村に4月26日、本屋をオープンした。昨年5月10日の退任と同時に平山村に帰郷してから1年ぶりのことだ。もちろん歴代大統領の中で本屋を営むのは初めてである。本屋の名前は、韓国の南東部に位置する慶尚南道梁山市平山村にある「平山本屋」(ピョンサン・チェッパン)だ。」
文化通信
【ソウル通信】27 田舎本屋の店番になった元大統領 文在寅氏が故郷で書店開業(白源根)
https://www.bunkanews.jp/article/329104/
【大雨特別警報】石川県・輪島市、珠洲市、能登町に発表 ただちに命を守るため最善の行動を<警戒レベル5相当>(TBS NEWS DIG)|dメニューニュース(NTTドコモ) https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tbs/nation/tbs-1441426