今、しんどい人は無理して読まないで!
服装への社会的な制限は、歴史的にも人を抑圧し、体制に服従させる手段として、ずっと使われてきた。
人を人の下に置いていることが分かるレッテルとして、特権階級が一目で分かる目印として。
だからこそ、人が好きな服を自由に選んで着ることは、それだけで、こうした抑圧に対する抵抗になる。
それ故に、体制に服従して限定された安全を享受したい人たちからは、体制の破壊を目論む者として敵視され、あからさまな暴力の対象になる。
そういう仕組みが背景にあるので、トランスの問題は、ずっと私にとっては「自分ごと」でもあった。でも、この数ヶ月、周りを見回していると、多くのロリータさんにとってはそうでもなかったことに、がっかりしているし、強い危機感も覚えている。
何が適切なのか判断は難しいしおそらくより適切なやり方自体ひとつではないだろう。
死を前にしての性急なコメントはどちら向きのものであれ出来事の性急な利用(あるいは収奪)であるという見解の所以は理解できる。
しかし同時に、悪意と煽動とのあの高まりを見ただろうか、とも思う。あそこに戻らざるを得ない人たちに「それだけ」ではないのだと伝えられる可能性が少しでもあるなら、次の出来事を多少なりとも防ぐ/先延ばしにすることができるなら、その力になるかもしれない何かを投げ込むこともまた、切実な行為ではないのか。
SNSを離れようと勧め、ホットラインを紹介し、スペースを立ち上げ、あなたは一人ではないと呼びかけ、一夜が明けて立ち寄れる場を伝える。
一報に触れるなりたちどころに複数の個人や団体から繰り返し提示され続けたそのようなメッセージを、私は、攻撃され続けてきたコミュニティにおけるセルフケアの動きとして見ていた。
その動きがあまりに効率的で迅速だったとして、それは出来事の収奪ではなく、コミュニティがそのようなセルフケアの必要にあまりに長くあまりに頻繁に晒され続けた結果であるように思える。
「インターネットを閉じよう」「いまはSNS見るのやめた方がいい」
それはその通り 対応として間違いではないのだが
本来的には途方もない理不尽なので、賢いやり方みたいなもしくは親切みたいな体でアドバイス風に言われたり、そうするのが当たり前の対応みたいに発信されるのを見てしまうと、やり切れなさがある
リアルでは片時も息をつげず見せられない自分があり、
言えない言葉があり、
話せる相手がおらず、
だからこそインターネットで、やっとどうにかSNSだったわけでしょ
別に全員とは言わないけどそういう人たちはいるし特に制限の圧倒的に多い若い人たち学生立ち子どもたちにとってはますますでしょ
リアルに場所を見つけずらくて、インターネットからも逃げなきゃいけなくて、じゃあどこに行ったらいいんだよっていう
どこにも居場所無くなっちゃうじゃん
それでも一度引っ込まないと危険な状態なんだから引っ込むしかないわけだけど
引っ込むには引っ込むで そういうのっぴきならない寄る辺のなさや切実さがあることは、言いたくはあるよ
インターネット閉じるしかない、sns見ないでいるしかない、そうするしかできない理不尽への怒りはあるんだよ
Tw @ fhjsdtjtdjdjf
つまらない事をぶつぶつと言います。ドラマを見るのが好き。中年。