いい気温だ。曇っていて眩しくもない。「我がよの春」的な気持ちになる。
加齢にともない、寒さや冷えに身体は耐えにくくはなってきているが、とにかく精神的に楽なのだ。ほっとする。冬しか生きた心地がしない。昔からそう。
なんでだろうかと考えるけど、たぶんこの「うおーーーーーっっっ!!個だ!個体だ!!おれという生命体の孤独だーーーっ!」って感じで安心感があるんだと思う。

この辺は宮沢賢治の『青森挽歌』とか『オホーツク挽歌』、『小岩井農場』辺りに触れていただくと感覚として近いと思う。
わしは宮沢賢治は詩が好きだ。

12月の青森県や、2月の岩手県に行くと歓喜と多幸感ですごいことになる生命体です。真冬の雪が横殴りの鳥取砂丘も素晴らしかった。

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年末の横殴りの寒風吹きすさぶ雪の宮津も最高だったな……その時はmixiで知り合ったクィアのお家に泊めてもらったんだ。
手取川の真冬は湿度があって、過ごしよい冬だと感じていた。海は近いのにね。あんまり寒風吹きすさぶ!という経験はしていない。寒さの角が丸くて深い。雷も鳴る。

夜行バスで金沢駅に向かう道中の新潟や富山のサービスエリアでの降雪には何度も恐怖した。「生命を奪う雪」のことを感じた。

なんて、こんなのも日常に雪かきと雪おろしをせざるをえない地域に住んでいないものの、生ぬるいロマンティシズムだとは思う。

それでも寒いことや冬がどうしても好きだ。

こういうことをぐじゃぐじゃと書き連ねては、私の全ては欺瞞だと思うことまでがワンセットです。
やだ~20年前とやってることが変わらないんですけど~……!

プチブル階級のインテリの自己欺瞞性と自己嫌悪という意味で、宮沢賢治と太宰治のことを捉えています。

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