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愚痴よ。 

体調もメンタルも財布もギリギリのギリでここ数年生きてきて、今なお更なるギリギリで何とかやってるので、どうにかして今日を、明日を乗り越えて、どうにかして目の前の困難を乗り越えるなりやり過ごすなりしなければならず、何とか数秒後、数分後、数時間後の私に今を繋ぐために、必死で必死で手を伸ばしているときに、外野から「目先のことを優先して」とか「自分のことしか考えてない」という言葉を各方面からボコボコ投げられて、跳ね返す気力もないからただ痛いだけだしそれを受け流すのもうまくいかんし、マジでなんなんだ。
Twitterがいま陥ってる感じとか、今までずっと問題だったことととか、そういうのを改めて考えなきゃね! 的なことを言ってたら「あいつはツイ廃だったくせにTwitterアンチになった、こわ」「Twitterに対する呪詛ばっか吐いてる」とか言ってて吐きそうだった。
吐きそうになることが多い。許容量なんかとっくにオーバーしてっからな。

水咲 さんがブースト

私自身は読書が好きだし、読書は自分を豊かにしてくれていると思う。

けれど、「読書家」は孤独になりやすいし、偏屈になりやすいよね。本を読んでいない/その能力が低い人を、軽々と見下すようになりやすい。大衆蔑視。自分もさほど違わない「大衆」なのにね。

知的階級の人々は、読書して知識を得る前の恵まれた前提には口を噤むことが多い。研究仲間と健康と経済的背景と地位に恵まれながら「孤独」を薦めたりする。自分の下駄を「空気抵抗」のように扱ってしまう。
テキストがメインのSNS(Mastodonもそう)では、知的階級はマイノリティーの代弁をしつつも「強者」なんだよね。
Mastodonは好きな部分も多いけれど、奢った知的階級のひとも多いな、と思っています。

水咲 さんがブースト

《中島らもいわく「「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間を潰せる技術」のことである」、これがないと人はアルコールやドラッグにはまってしまうのだと。》
「孤独」を過度に薦める言説は「自立」を過度に薦める言説に似るよね。

中島らもの人生から得られる説得力から考えても、いま賞賛すべき話ではなかろう。

ついったーだと変なのに絡まれるから適当なプロフィールにしてたけどマストドンだったらちゃんと書いてもいいかなという気持ちになっている。名前もちゃんとするか…。

sessionで紹介されてたマンガ試し読みしてみたらめちゃんこ面白い、買お。

shogakukan.co.jp/books/0985109

アメリカさんとのやりとりとか見ながらロッキード事件思い出してたんだけどもね。

東京クルド、あべなつさんがおいでになる回のやつを出来れば観にいきたいんだけども会社休まないと無理だなぁ。

キッシーまじ中身がなさすぎて《強い》ひとたちになんか言われるままにフワフワフワフワしとるから不気味でしゃーない。

水咲 さんがブースト

今朝の新聞の一面、
『東電、電気代29%値上げ申請「ランチ代を切り詰めるしか……」』と、『防衛費倍増、国会素通りの安保大転換を正当化「今を生きるわれわれが将来世代への責任として対応していく」と断言』が並んでいて、これが戦前でなくてなんなのよ、と思いました。なんなのよ。

そうかあ、そっちが大事かあ、ってなるよ(ならない)。

tokyo-np.co.jp/article/226987

水咲 さんがブースト

観てきた。とてもいいドキュメントなのでいろんな人に観てほしい。先日トゥートしたように、当事者やもともと関心の高い人たちの間だけに閉じていては何も始まらない(そして、それは皮肉にもグループホーム反対運動サイドの声として映画にも登場する)。
lowposi.com/gh/

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アカウントがあると見ちゃうから消してしまうことにした。ついったーで長く付き合いのある人もいるけど、まあ、なんか、またどこかで再会できたらお話ししましょうぐらいのアレよ…。

ついったーの何がしんどいかって、社会問題とか政治関係のツイートに対するリプとか引リツなんだよな。見なきゃいいんだけど見えちゃうし、そのたび律儀に傷付いてんのもバカバカしくなってきちゃってな…。

今日は朝からずっとフランク・シナトラの That's life をずっと聴いている。

テトだし春節だしちょっと仕事暇になるかもねーなんて言ってたけどテトも春節も関係ない仕事は普通にあるしそっちの方が多かったのであった…

蒼象さんへのお引越しを考えていたのだけど、ひとまずサブアカ作ってみるというのもありか。

まだ通読できてなくて自分の思索とも繋げきれてないので「興味深い」以上のことは言えないんだけども。

いま中森弘樹氏の「失踪の社会学」を読んでいて「死にたいとつぶやく」は積ん読山に積んであるのだけど、この方の親密性と責任、「居なくなるということ」とはどういうことか、という議論は大変興味深いです。

水咲 さんがブースト

Twitterが使える間は使うって人を見てて思うこと 

もちろん、ソーシャルサービスって自分だけが使用ツール変えるのって難しくて周りの人とかとか一緒に移動しないと意味ないから「移行したいけどできない」場合もあるんだろうなとは思うよ。

あと、移行後も、情報拡散とか戦略的にTwitterで活動するのは自分もやってるし全然「あり」だと思ってるけど、なんというか普通にマストドンでもよさそうなのに日常の呟きとかをTwitterに戻してる人たち見ると、あーやっぱり使い慣れた取りに戻ったのかな?って感慨を持つ。

慣れ親しんだ環境を変えること自体は難しいし社会もこーゆーことの積み重ねだから変えるなかなか変わらんよねと思ったってこと

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水咲 さんがブースト

Twitterが使える間は使うって人を見てて思うこと 

マストドンに殺到した人かなりTwitterメインに軸足を戻してて、結局リベラルとかクィアと言っても、Twitterの運用ポリシーではなけ、単にTwitterが「使えなくなる」と思って移行焦ってただけの人がかなり多いんだなーと痛感してる

別にそれがよいとか悪いとか価値判断してるわけではなく、シンプルに事実として興味深く。

自分もTwitterにクロスポストはしたり、スペースをまだ使っているかど、基本軸足マストドンに移行してて、マスクのオーナーシップのもとでのTwitterを使い続けることに対してuncomfortableな気持ちが常に消えないので、切実に拡散させたい!とかそーゆーの以外でTwitterにだけ日常ツイを出し続けるとか、そーゆーのを見ると自分との違いを見せつけられる。

個人の考え方の違いといえばそれまでだけど、普段様々なトピックで社会を変えようとしたり、社会問題に取り組んでる人自身が、結局自分のツールを変えることをできないのだとしたら、まぁ社会とか人間の行動とかがなかなか変わらないのもむべなるかなとか思ったり。

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