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最近は佐々木中の夜戦と永遠をちまちま読んでる。非常に男性学的なテクストで、特に今読んでるルジャンドルの章では、「父」が「息子」に自分の喪失と無力さを曝すことについて書かれてる。

不具合なのかいろんなものが反映されるの遅い

ついにマストドンの時代が来るのか??

千田有紀のトランス差別のFacebook投稿に朴裕河がいいねを押してるのを流れてきたツイートで見た。意外性はないがあんたもかいという気持ちになった。

世季子 さんがブースト

→ 先日刊行イベントのあった『ACE』も著者のチェンが時折「ACEはAlloと違ってsexに関して解像度高くならざるを得ないので」みたいな言い方になる箇所があって、いや最終的にAceラベルを採用しようがAlloラベルを採用しようが考えない人は考えないし考える人は考えてるでしょ、と思ってそこは気になっていたんだけれど。

というかそもそもチェンが「性的」という時に念頭に置かれているのが(BDSMの例とかも出してはきているけれども結局のところは)性器接触を中心としたエロティシズムであるように読める部分もあって、sexをざっくり考えてるのどっちだよ〜と思ったりとか。

(例えばバーラントとワーナーがかなり昔に論文で例に出していた「強制給餌/嘔吐をめぐる身体的な親密性」とか、私は感覚としてはわからないけど、あれは性的と言うのか言わないのか、それを性的と呼ぶこと/呼ばないことそれぞれの政治的な意味は、とか考えるのですが)

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パレスチナの「分離壁」左派の方が親和的で領土の拡大を狙う右派の方が否定的なのか。

アイコンとして情勢を見るのではなく、テクストとして情勢を読むこと。

マルクス研究者の間でじわじわとトランス排除の風潮が広まっているのだろうか。やっぱり森田成也の影響が大きいのだろうか。

@sssugita なるべく早く、正確な情報にたどり着けることを祈るしかないです。

めちゃくちゃ個人的な感性の問題だし全然内容関係ないのだけど、例のトランス差別の漫画、女の人のデフォルメされた顔がめちゃくちゃムカつくデザインですごいと思う。われわれを煽るためなのだろうか……。

世季子 さんがブースト

日経の広告、ミモザカラーを使いたいのはわかるけどAwichは絶対にあんな淡いイエローのイメージじゃないし、やりたいことと起用キャラクターが合ってないって印象。Awichのメッセージも面白くないし、、、、やるならオールブラックでもっと攻めた画面にしてほしかった

わたしも何か書かないとなと感じているのだけど、どこに何を書けばいいのか分からない。

"(…) ペギー・カムフは、アメリカ人フェミニストや人文主義者の経験主義をフーコーに依拠しながら批判し、「知識、とりわけ女性に関する知識の蓄積という経験主義的な手法を通して、ついには絶対的な真実に到達するという揺るぎない確信」が多くのフェミニスト思想の前提になっているとして、警告を発する(Kamuf1982,p.45)。続けて彼女は、見かけ上は新しい人文主義の問題をこう指摘する。「そこには、これまで女性に関する知識を支援してこなかった権力構造の内部でさえも、そうした識が生まれうるとする暗黙の前提がある。だが、「わたしたち」と言ってしまうことが、最終的には明確にして完全無欠なものが生みだされることへの確信と同じでないなら、女性に関する知識を排除する構造が今にいたるまで続いてきたのはどういうことだろうか」"(同書 p.253~254)

"そうした批判は、皮肉にも、西洋フェミニズムの言説は有色人女性や第三世界の女性には無関係で当てはまらないという前提から出発している。この前提は、西洋の白人女性の状況を明らかにするためにフェミニズム言説をひとくくりにするのは妥当だと暗黙のうちに想定しているが、それこそわたしたちが異議を唱えたいものだ。そうした想定に疑問を投げかけ、二極化を再生産してもただ「フェミニズム」を再び三たび「西洋」に譲り渡すだけだと言いたいのである。結果は、架空でしかない西洋の均質性や、言説上も政治的にも安定しているかに見える西洋と東洋の階層的な分断を、覆せないだけである。"(C・T・モーハンティー 境界なきフェミニズム p.128)

連帯による解放の喜びは、連帯による「反逆」にあるのではなくその時動員される「知識」にある。解放の喜びは、考える喜びである……。

女性は大胆に行動するという決断が奏功した場合(つまり被害を受けずに済んだ場合)にも、それは自分が経験や知恵や直感に基づいて合理的に状況判断した結果とは受け取らないという。そうではなく、むしろその状況を「馬鹿なこと」をやってしまったけど「うまくやりすごした」と解釈し直すのだ。(...)そういった出来事を、自分たちが得られる情報をもとにして正しい判断を行い、綿密で賢明な選択をした場面なのだと思い直してみることができるだろうか。私たちの直感は敵対的で家父長主義的な環境の中で研ぎ澄まされてきたものだし、繊細な感受性も合理的な情報処理能力もあるし、それらをどう使えばいいか知っている。男性に支配された世界で生きることがそうしたスキルを培ってきたのだ。そんなふうに考えると物事は違って見えてくる。ただ運まかせにほっつき回ってる女性はほとんどいない。みな抜け目なく、大胆に、豊かな経験に基づいて賢明に行動しているのだ。もし私たちが女性の勇敢さを認めることを否定したり手放したりすれば、それは直ちに女性が主体性や自分を理解する能力すら否定することに繋がってしまう。"(レスリー・カーン フェミニスト・シティ p.231~232)

"(…)全体として、こうした暴力の描写は見知らぬ他人からの暴力や性犯罪がつねに身近にあると暗黙に語りかける。コメディアンのティグ・ノタロにはその効果を実に的確にとらえたネタがある。パブリックな場所で不安を覚えた女性がその度に「レイプされるのかしら?」と考えてしまう、という小咄だ。それが真実に触れていると知っている私たちは、笑いながらもその不安にどこかで共感している。私たちは実際に、「自分がレイプされる」という現象は確固として存在していて、どこか暗がりで待ち構えていると信じているところがある。それとは対照的に、家庭内暴力や顔見知りによる性犯罪、近親相姦、子どもの性的虐待その他の「プライベート」で、しかしさらに酷く蔓延している犯罪には、はるかに小さな関心しか払われていない。フェミニズムの見方でいえば、この関心のギャップは女性の恐怖心が家庭や家族ではなく外に向くように促し、核家族をはじめとする家父長制を強化し、一見安全と思える異性愛関係への依存度を高めることに貢献している。さらに悪循環なのは、これが「安全」なはずの家庭の空間で体験した暴力をスティグマ化し(恥ずべき不名誉なものと感じさせること)、さらに目に見えにくいものにしてしまうことだ。
(レスリー・カーン フェミニスト・シティ p.214〜215)

「女装は男しかできない最も男らしい行為」という言葉があるように、「男性性を降りることは男しかできない最も男らしい行為」にならないよう気を付けないといけない。

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