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うーん、なんていうか、個として作品と対峙せよ、みたいな感じなんですよ。幻想を何も共有しない人たちとの間で生じる奇跡的な交換行為、何の根拠もない賭けとして作品経験がある、という感じ。

あと、ちょっとおもしろいので、織田の「タブローの物象化」批判についてついでに書いておきますね。
織田に言わせれば、本来タブローは、物々交換のような、違う精神と違う精神の間の、そのつどそのつどの賭けのような、何の根拠もない賭けのようなものとしてあるはずなのに、物象化されてしまっている、と。
たとえば、ピカソの絵には、美術史的にこういう意味があるというように権威のある美術史家によって解説されたりする。そうすると、自然と誰もがピカソの絵にそういう意味を読みるようになる。それが、織田がいう「タブローの物象化」。
つまり、織田が理想とする本来の芸術のあり方というのは、何か固定的な決まった意味が作品にあるのではなくて、そのつど絵を見る人が意味を読み取る賭けのようなものとしてある。安定した場所などは、どこにもない。だから、「ピカソ絵にはこういう決まった意味があるよ」とかは、織田に言わせれば、「物象化」であって、本来はそうあるべきではない、と。

球形工房の本には収録されているのは、織田のなかではけっこう読みやすい部類のテクストで、『窓と破片』所収の「戦後美術再構成の一視点」はほんと読めない。織田のなかで一番重要なテクストなんですが、まじでわからんです。「死者蜂起」「プロレタリア的物質直感の宇宙性」とか謎めいた概念が、がんがん出てくるから、一読を!


ざっくりいうと、織田はダダ=シュルレアリスムに考え方が近いんですよね。
言語のシステム自体が戦争を引き起こすようなメカニズムを持ってしまっている。言語こそが共同幻想を作り出し、敵/味方という対立を生み出し、そして最終的には戦争を生み出すに至る。ゆえに、戦争を根本的に批判するためには、言語システムそのものを崩壊させなくてはいけない。ダダイストたちは、そういうふうに考えた。
で、織田においては、そういうダダ=シュルレアリスム的な考え方が、原爆もしくは敗戦の経験に重ね合わされているんですよね。つまり、あらゆる制度が物理的に破壊されてしまった、今まで信じて疑わなかった天皇制というイデオロギーが一瞬のうちに崩壊した強烈な体験が敗戦であって、それをコアに据えなければならないというのが、織田の基本プログラムなんですよ。だから、ラフにいうと、なにも信じてはいけないというのが織田 笑

笑。「戦後美術再構成の一視点」という『窓と破片』所収のテクスト、ちょっと読んでみてください。まじで何言っているかわからん。

そうなのよね……。ほんとに読みづらい。織田の文章自体が、ほとんどコミュニケーションを拒否しているような文章になっている。
たぶん文章の物象化批判をパフォーマティブにやっているんだろうと思います。織田にとっては、意味が共有される仕組みこそが批判の対象だから、あえてそういう読みづらい文章になっているだろう、と。

うー、レクチャーの前に告知用の概要文を書くのほんと苦手。

ん、インスタみたら、天重さんのお母さんらしきお人にフォローされとる。

ある方と話していて。絵画、彫刻はザ西洋美術でそこに非西洋の作家は参入しずらい。杉本博司や河原温などコンセプチュアルな形式や写真を用いた作家だけが、国際的に活躍できたのも、そうした理由による。そして、多文化主義以後は日本的なものを背負わされる。西洋中心主義はなかなか根深い。

うん、翻訳されてない……PDFをもっているんだけど、いります?

宮下さんの投稿を読んで、先日読んだレオ・スタインバーグのテクスト("Contemporary Art and the Plight of its Public")を思い出した。彼は、現代美術との遭遇を「信仰」の問題としてとらえている。それはスタインバーグがユダヤ人だからだろうけど、とても重要だと思う。理解できない作品と出会うとき、ぼくらは「不安」に思い、場合によって「嫌悪」さえ感じるが、そのとき、理解できないものに対する信仰と、自身がいままでもっていた価値観を「犠牲」にする勇気が試されるのだ、とスタインバーグはいう。みずからの「不安」と対峙することは、だから、きわめて政治的かつ倫理的な態度でもある。

自己否定の裏には向上欲があり、生の欲望があるのであって、そうしたボジティヴなエネルギーに目を向けろというのが森田。

気分に左右されず、物事をエネルギーの配分量でコントロールすること。

その記事読んでなかったけど、なるほどですね! なんかこれ、河村がもっているコレクションが目当てで香港ファンドが仕掛けてきているようにみえる。

アンドレ展の是非とは別にあれだけのコレクションをもった美術館が休館するというのは大変なことだと思う。

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河村記念美が休館……けっこうショックでかい。でも河村にかぎらず、今後は休館や閉館に追い込まれる美術館も増えてくるだろうし、遅かれ早かれか……いやー。

このドラマは弱さや傷を互いに分け合うことで対立を乗り越えようとしている。

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みんな弱さや傷を抱えている。それを丹念に描き、そしてそれぞれの生を肯定する。『虎に翼』のことだけど。

ある作家のひとと話していて、在外派遣でアメリカに行ったときアーティストたちが支え合っている姿が印象的だったとのこと。これはとても考えさせられる。
日本は(一般にそうは思われていないが)個人主義であり、他者に対して冷たい。これはおそらく、民主主義をみずから勝ち取ったわけではなく、敗戦によって民主主義の概念が外からインストールされた歴史と無関係ではないだろうと思う。
怪しい状況にはなっているが、アメリカには(ヨーロッパも)民主主義の蓄積があり、国民もそれを内面化している。だから、なんだかんで公共性が担保されている。

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