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「変態」は日本語でもかなりの多義語で(辞書的な意味ではなく、口語俗語のニュアンスの面で)、性欲の在り方だけでなく、奇人変人程度の意味合いのこともあるので、「変態」を自称ないし他称される人間同士を安易に引き合わせると殺し合いになるかもしれない。

トニ・モリスン『「他者」の起源』においても、異質な存在に対する対応として外敵として排除するケースと、まだ人間ではない劣った存在としてその在り方を善導してやるとして包摂するケースとがあると描かれていたが、後者はわりと無意識のうちにここそこで行われており、暴力だと認識されにくいのがきついと思ったり。

「お前らと同じ暮らし営みをすること自体が死よりも苦痛だ」などと言ったところで、理解はされないし、されたら殺されるだけなので、不本意な場所にいるときは、「ここに骨を埋めるつもりだ」という顔をして黙って居続け、機会が来たら何も告げずに黙って離れるしかない。誤解を正したいという欲求を充たそうとしても、よいことはひとつもないので。

土地であれ、組織や集団であれ、そこから逃れたいと願ったり、実際に離れたりすることについて、「何か他者から迫害を受けたのだろう」という解釈が為されがちだが、「ここにいても意味がない」「他でもっとやれる」「他者に何をされたかされなかったかに関係なく、ここにいること自体が苦痛」などという理由は想像しづらいのだろう。その渦中にいる人間にとっては自分と同じような暮らし営みをすること自体が無意味で苦痛だという考えがあること自体、理解はむずかしい。

核戦争の恐怖が、精神衛生に際立って悪影響を与えるという話は、自分や周囲の人間が非業の死を遂げるだけでなく、人類の営み自体が途切れる恐怖でもあるからだろう。自分や同時代の人間が死んでも、ごくわずかでも後世に影響を及ぼす期待、先人たちの営為もまた受け継がれていく期待、そういうものがすべて無に帰す恐怖というか。
それを考えるとSFでたまにある、子供がなぜかまったく生まれなくなった社会も、それに似た恐慌状態に陥りそう。子供が生まれないことによる世界の終わりへの恐怖に焦点を当てた作品があれば読みたいのだが。

実際の文学部は、まあ他のほとんどの学部と同様、なんとなくちょっとしたイメージで選んだり、偏差値的に手頃なところをいろいろ受けてたまたま入ったり、そういうものだとは思うし、「男女比は女が多い」ということから下心から選ぶしょうもないやつも一定数はいる。しかしそれでも、職業生活に役立てたい、賃労働者としての売り込みにおいて評価されたいという、世俗的な理由で選ぶ人間が少なさそうなところはよい。

政治学科卒かつ政治学研究科修士課程修了なので、さすがに政治学や国際政治学の基本図書は読み込んだ気がするが、ひとつも覚えていない。ただ、読んだという記憶のみがある。そういうものだ。

一般の商売でも、役務財貨を買ってもらうことよりも、その代金を払ってもらうことが格段にむずかしい。裁判は多くの場合、カネと手間とがかかりすぎて見合わない。昔はそこで、極道者を頼ったりしたのだろうか。

PTAしかり町内会しかり、人々の善意による労力に依存した活動はもう限界だとは思うが、しかしカネを徴収して業者に管理を委託するのはさらにむずかしいような。学費や学校諸費用でさえ踏み倒す保護者が少なくない渡世、武装し、いざとなれば田畑家屋家財一式を差し押さえる権限を持つ徴税官吏でもない人間がカネを集めるのはむずかしい。

記録はやはり石に彫るのがいちばん確実だが、検索性に欠けるのがこまる。

くだらない嫌がらせを繰り返して逮捕されるしょうもない三面記事を見て思うのは、恨みのある相手に嫌がらせをしても、決して満たされることはなく、むしろコストをかけても充たされぬ報復感情がさらにエスカレートするんだろうということ。繰り返していると、くだらない手口でも警察が動き、そして繰り返すとボロが出る。もともとは気の毒な被害者だったのかもしれないが、被害者意識と他罰感情との向き合い方を間違えると誰でもこうなりかねない。

だからこそ、読み書きができる程度でも、四苦八苦して調べ物をし、手続きや物事の適法化を模索できる唯一無二の存在として、でかい面をして私が糊口をしのげるというのはある。

日常生活において必要十分な知識水準があまり高くないとしても、それを超える知識を無用な上に有害であり、そのような過剰な知識を持つのは異常者であるとする言説は、学ぶことを蔑み、学ばない怠惰を正当化し、自他が学び続ける意欲を減退させるので、社会悪以外の何者でもない。
この複雑化を極める世の中、とにかく学び続けないと仕事や生活をし続けることも、それどころか合法的に暮らしを営み続けることもむずかしい。

怠惰故か環境故かはともかく、学力に著しい難があるまま社会に出て、職業生活や社会生活に著しい困難を生じてる人間は様々なレベルで見た。自分の名前と住所をやっと書ける程度の機能的非識字者から、ある程度の漢字はなんとか読めるがほぼ書けない程度まで。もちろん読み書きに難があるということは知識にも難がある。
それを思うと、学ぶことを蔑む言説、知識があることを無駄と見做す言説はすべて社会悪に思える。もちろん大胆に立ち返って初歩の初歩から学び直すことをバカにする言説もだ。

配偶者は「旦那さんが定職についている」ことを羨望されることがあるらしいが、他にも配偶者が余所から聞いた話として誕生日が近いことを告げたら心底嫌そうに「プレゼントなんかない」と告げられたみたいな話もあり、何もしていなくても相対評価で私の株が上がる。荒廃した渡世だ。

歯石をとった。コーヒーの飲みすぎらしい。

どうも世間一般で「殺意」と称されるものの多くが、単に「自分についての誤解を正したい」という欲求のような気もする。暴力に訴えてる力(単に有形力というだけでなく一線を踏み越える胆力も)があると知らしめ、怒りの深さや絶望の深さを知らしめたいというか。まあ「誤解を正したい」という欲求は、他者の認識というそもそも観測不可能な前提に立っているので、拘泥してもろくなことがないので直視しないに限る。

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