地名のはなしから歴史のはなしになり…
造られる歴史についても言葉を交わしたけれど…
たいせつなのは
いちばん弱きものの声を聴く
というのがひとつあるとおもった。
いちばん弱きものに注がれる、いちばん大きく深く広く永遠なるちから。
そらを満たす沈黙。ちからを振るわずに沈黙する声なき声。
ひとつの事象について異なる証言たちがともに幾千年生きつづけているのは「いま」が幾重にもかさなって在るひとつの表れ。ひとつの事象は幾億、あまたによって在るなら、どこを見つめるのか、なにを聴くのか、やはり、ちいさきもの、ちいさきものの声、というところに還ってくる。
こうして螺旋を描きながら、弱きものたちによって語りつがれ、うたいつがれ、とくとく連綿と流れるいのちのなかをこれからも旅する。
日常のひとこまを書きのこそうとしただけだった。そんなときも収斂は絶え間なく起こり、散りぢりがひとつとなる動きに目も心も躍る。散りぢりは、はかなくうつくしく、散りぢりがあつまってひとつと成る姿は、ひとつが散りぢりによって成るためのうつくしさで。