【イサム・ノグチ庭園美術館の「ケフィエ禁止令」に従業員らが抗議。「来館者への配慮」が逆効果に】

ノグチミュージアムライツは声明の中で、職員はケフィエ着用禁止を「検閲」であると断じ、イサム・ノグチの人生とレガシーを考えると「特に憂慮すべき」ことだと指摘。ノグチ自身、日系アメリカ人として激しい差別に遭い、第二次世界大戦中には投獄を免れたにもかかわらず自らアリゾナ州にあるポストン戦争移住センターに入所し、人道に対する罪といった政治的テーマを作品の中で直接的に扱ってきた。(引用)

ノグチ美術館の広報担当者はUS版ARTnewsに対し、こう語る。

「私たちは、個人的な表現と公的な言論がしばしば予期せぬ形で交差する、複雑で困難な時代に生きていることを自覚しています。最近、美術館の職員が仕事中にケフィエを着用していることに懸念の声が上がりました。我々は、この衣服の着用が個人的な意見を表明するためのものであることを理解していますが、このような表現がノグチ美術館の多様な来館者の一部を意図せず疎外する可能性があります。私たちは、美術館がすべての来館者を受け入れることを保証することが、公共の文化施設としての義務であると考えています」(引用)
artnewsjapan.com/article/2616

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↑上記記事の広報担当者の言葉にある「このような表現がノグチ美術館の多様な来館者の一部を意図せず疎外する可能性があります。」

こういう姿勢の言葉はよく見られるけど、「既に意図して疎外されている者」には全く触れていないんだよね。そして、マジョリティというか、特権性の高い人たちを想定して使われているであろう「多様な来館者」という言葉。
圧倒的な不均衡のもと、今も人の命と土地が暴力的に奪われ続けていることに対して、中立を守る必要がどこにあるのだろうか。ここで中立を守ろうとすることはどんなにそれらしい言葉を使ってももはや虐殺への加担でしかない。むしろ虐殺への加担を隠すためにそれらしい言葉を使っているだけではと思う。
従業員70人中、50人が抗議しているとのこと。美術界もやべえな(日本も)と思いつつ、こうして立ち上がる人たちもいることが一抹の希望。

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