【感想】”Acceptance” by Jeff VanderMeer
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Amazon | Acceptance (The Southern Reach Trilogy) | VanderMeer, Jeff | Science Fiction
Annihilation、Authorityに続くThe Southern Reach Trilogy完結編(完結とは言ってない。言ってなかった。十年越しに)。Southern Reach原書読み部の活動が遂に三部作を踏破しました。これで年を越すことができます。
ネタバレ多数あり。
侵食を拡大したArea Xに再び足を踏み入れたGhost Birdは、Controlと共に孤島を目指すが、孤島の灯台で思いがけない人物と対面し、Area Xについてさらなる衝撃の事実を知らされる。さらに手渡されたのは、彼女のコピー元であるところのBiologistの手記だった。Ghost BirdとControlのArea Xでの行動に並行して、Directorが第十二次調査隊にPsychologistとして参加するに至るまでの記憶、そしてそのさらに以前、灯台守SaulがArea Xの出現に関わるまでの物語が語られる。Southern Reach三部作の第三部。邦訳は酒井昭伸訳『世界受容』。
まずこのAcceptanceは話の構造がややこしい。第一部AnnihilationはBiologistの一人称の語り(日誌)、第二部AuthorityはControlに焦点化した三人称の語りであったが、第三部Acceptanceは、まずこのAcceptanceの中でPart I、II、IIIに分かれていて、Part IとIIIは、The Lighthouse Keeper、Ghost Bird、The Director、Controlの4種の断章が代わる代わる書かれている。The Lighthouse Keeperは灯台守Saul Evansに焦点化した三人称の語り、Ghost BirdはGhost Birdに焦点化した三人称の語り、The DirectorはDirectorへの二人称の語り(!)、そしてControlはAuthorityと同じくControlに焦点化した三人称の語りで、その間で独立したPart IIはAnnihilationと同じくBiologistの一人称の語り(手記)となっている。さらに、時系列で言うと、Ghost BirdとControlはAuthorityのラストシーンから連続した作中時系列的なところでいう現在を描いているのだが、The Lighthouse KeeperはArea X出現までの大過去を描いていて、The DirectorはAnnihilationの調査隊出発の直前までの前日譚になっている(厳密に言えば、Annihilationの後半でDirectorが倒れているシーンからの回想というか、Area Xを語り手としてDirectorの記憶を読みとる二人称の語りになっていて、倒れているところがプロローグとエピローグ的に入っている)。Part IIのBiologistの手記は、Annihilation後にArea XでIslandを目指したBiologistが書いているので、位置づけ的にはAnnihilationとAcceptanceの間の時期、つまりAuthorityと同じ時期ということになるといえばなるのだが、Area X内では時間の進み方がおかしい(!)ため、Biologist自身の記述を信じるならばそこでは三十年が経過している。ちなみにこれは記載されている内容の時系列の話であり、文体としての時制については、The Directorが現在形を基調とし、他は過去形である。
で、これをなんとなく図にするとこういうことになる。
頑張って書いたSouthern Reach三部作時系列の図。難しすぎる。複数の視点を交互に語る、というつくりはありふれているが、そこで時系列も違っているというのは技巧的で、必然的に最後どうなるかもう読者は知っている(最後SaulがArea Xの発生に関わりCrawlerになる(?)、とか、Directorは第十二次調査隊に向かいBiologistを生かすが自身は死亡する(?)とか)ところに、それでも牽引力を持って物語を進めていくのはすごい。そうして実際、いかにしてArea Xが発生したのか、そもそもArea Xとはなんなのか、その発生にS&SBやJackie Severanceはどう関わっていたのか、Lowryの目的はなんなのか、といった疑問に答えたような答えていないような、絶妙に何かが提示されたようなされていないような感じで最後まで読ませてくる。最終的にControlは、Crawlerは、Area Xはどうなったのか、また、Ghost BirdとGraceが向かう外の世界はどうなっているのか、といったことにも明確に答えを書かず、時系列的に一番最後ではないThe Directorで物語を閉じるのもすごくよい。いや結局何がどうなったのかわかってないのだけれど、Controlの最後のジャンプは(彼の幻視するトラウマやAuthorityの末尾と違って!)陶酔感で輝いていて、Ghost Birdたちが小石を投げながら進む夏の日もきらきらと爽やかで、Saulの最後に見ている光景は美しく、彼に宛てたGloriaの手紙も愛に満ちて微笑ましく、この異様な小説がなんと綺麗な大団円で終わることか。名作である。
好きなシーンなど。
結局よくわかってない気になっていることについて。(ちなみにこのあたりの答えは英語圏のファンサイトなどには考察がありそうで、2,3そういうページは見つけているのだが、今読むのはタイミング的に意図せずAbsolutionのネタバレを踏む可能性があるので避けている)
翻訳の話。今回読んでいて、Authorityの途中くらいから、文章が難しいときに酒井訳を確認してその翻訳のすごさに感動してしまい、度々これ酒井訳ではどうなってるんだろうと確認するようになってしまって余計に読むのが遅くなった。もともと邦訳を読んでいた段階でも、罪人の手が~の詠唱パートの翻訳の凄味なんかはすごいなと思っていたが、英語と対照するとリーダビリティにとても配慮した訳文になっていることに気づかされる。例えば本作はなんのマーカーもなしに急に場面が変わる(現在と回想が入り交じる)ようなことがあるのだが、あまりに急なところには酒井訳では原作にないマーカーをさりげなく足してあったりするし、そのままでは日本人の読者に伝わりづらそうな固有名詞や暗喩は丁寧に補われている(上記、ラウリーのコピー疑惑のところなどもその一種で、それでいいんだっけと気になったところもあったが)。一番ギョッとしたのが、Acceptance 0005: ControlでControlとGhost Birdが言い争っている途中で特に説明なく斜体で挿入されるIs there something in the corner of your eye that you cannot get out?で、これは読んでいてなんだったっけ、となった表現で、Kindle版で読んでいると検索できるから検索したらAuthorityでのVoiceの台詞だったとわかるんだけれど(そんなん漫然と読んでる読者はわからないだろ!)、酒井訳では「”目の隅になにかがちらついて、追いだせないことはないか?” これは〈声〉のことばだ。」と、「これは〈声〉のことばだ」と補ってあるのである。ホスピタリティがありすぎる。一方で今回原語を通読し邦訳を拾い読みし直したところ、一部には口調・役割語関連で自分とは解釈の違いがあるなと思ったりもした。あと単純な解釈でも引っかかった場所が二ヶ所:Authorityの末尾のControl jumped.を「ジョンは縦坑の底に飛びおりた。」としているところ(ここはやはりジョンではなくコントロールであることに意味があるのでは?)と、Acceptance 0023: The DirectorのDo you believe Lowry? No, you don’t.を「いまいったことを信じているの、ラウリー? いいえ、信じてはいないわね」としているところ(これはあくまでyouはあなた=Directorでは?)。しかしそんなのは些末で、全体でこの入り組んだ大作を翻訳できているのがすごすぎると改めて思った。
楽しかった。Absolution読むぞ!
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