国民民主党や今回の兵庫県知事戦の流れを既得権益や「既存エスタブリッシュメント」への反発という文脈から解釈する流れが多いのですが、背景にあるのは、社会構造の劇的な変化(グローバリズムの進展による格差化、産業構造の変化、移民など)による相対的剥奪感に加えて、パンデミック以降のインフレなどによる生活苦が乗っかった形で、既存の政治勢力への反発は、あくまで背景要因のぶつけ先がそこになっているだけ、と考える方が妥当だと思います。
一次要因の社会構造の変化に対して、対策を打ち出せない既存統治システムへの怒りが噴出していることが原因とするならば、対策として、言論によって包摂するのはほぼ意味がなく、一次要因への対策になります。
しかし、これは大きな社会構造の変化にともなうものですから、実効的な対策をとるのは非常に難しく、ほぼ誰にとっても無理ゲーである、とも思います。
要するに、当座、打つ手はない、と思うのですが、ここで問題を「言論」にあるとみなして、左派リベラルがー、と言い出すのは、言論好きの人の趣味の領域でしかなく、現実にはなんら関係がないと思います。
復興事業への行政事業レビューでの見直し評価に「内堀知事も驚いていた」という話なのですが、今まで、地元の意向が最大限たてられてきたのは、【復興予算が確保されていたから】という理由だけです。
もう決まった枠の予算があるのだから、その枠内なら、もう好きなようにやって、というなかば中央の投げやりの姿勢のなかで、「地元のご意向を優先して」という格好になっていただけです。
それを、県知事や、県選出の与党国会議員の政治力のおかげ、と勘違いしていた方がおかしい、というより「世間知らず」ではないでしょうか。
あるなかから配分するのと、ないものをどこかから取ってくる、では難易度が1000倍くらい違います。
という話は、数年前から書いていたのですが、調子に乗っていた絶頂期の当時は、みんな「うちの先生様と県知事様の実力を知らんのか!」とオラオラしていたから、きっと見向きもされなかったんだろうなぁ、と思います。
https://x.com/kohei_w1985/status/1858084910717935767?s=46
あきらかにやっていることがおかしく、正気の沙汰ではないのですが、本人たちはまったく邪気がなく、それをおかしいと異論を挟む人もおらず、誰もがすばらしいと褒め称える(馴染めない人は黙って去っていく)、その状態に異論を唱えると、何をいっているのこの人?扱いをされる、という経験をすると、なるほど、アーレントの描いていた全体主義が生まれた時期の価値観の転倒とは、こういうことか、そして、これはごく普通に起こるのだな、と思いました。
価値観の転倒は、まず、論理を無力化することから起きて、たぶん、アメリカをはじめ、今の日本で起きはじめているのも同じことなので、アーレントの『全体主義の起源』の当該箇所は再読した方がいいのではないかと思います。
戦後機能してきた「健全な民主主義」の思考の枠組みで捉えようとしても、いま起きている現象を捉えきれないように思います。
世の中全体の価値判断の軸が狂っていき、「正気」がなんなのかがわからなくなる状況は、非常に恐ろしい状態だですが、どうにもならない時というのはあるものなので、そういう時には息を繋ぐことだけを優先して、とにかく潰されないように身を低くし身を潜めて黙って匍匐前進し続けるというのが、最良の生存術ではないかと思います。
福島界隈では、2017年から2020年くらいにかけては、軸が完全に狂ってしまい、その時に気づいたのは、価値判断の軸が狂ってしまうと、本人たちは自分が正気でない、ということにも気づかない、ということでした。
今は相対化されて、少し戻りましたが、その後遺症で部分的に歪な状態のところは残っていますし、振り切れたところは軌道修正が効かないまま、異次元世界が展開されているところもあります。
でも、自分が正気を失っていた人は、いまでも自分はずっと正気だ、と思っている人が大半だと思います。
地軸そのものがずれると、人間は気づけないのだと思います。
その頃に、これはなにをいっても通じないし、どうやっても勝ち目がないなと思って、とにかく潰されないこと、だけを目標に続ける術を学びました。
利権配分装置のメカニズムといえば、たとえば、福島の復興予算でも、原発事故直後の2012年にはすでに、福島の医療関係開発には、復興予算から福島県を経由して補助金が流れ込んでいます。
企業の医療機器等の開発を支援するという名目で、7/10とかの補助率なのですが、福島県内の大学の研究室との共同事業なら、10/10の補助率にすると条件がつけられており、福島県内の医療系の大学は当時は福島県立医大しかありませんでしたから、明らかに福島県立医大に流す目的の補助金の条件でしょう。
当初見かけた時から、なぜ浜通りの原発事故で、医療機器の開発に補助金がつくのかとの疑問もありましたが、実際、これらの事業の補助金で開発された機器がどうなったのか、検証はなされているのでしょうか。
2012年のみんなが天地がひっくり返って泡食っている時に、自分のところに利権をまわすことを最優先で考えた人たちが福島県庁や県政方面にわんさいるんだな、と侮蔑の眼差しでオンライン上の情報を見つめたものでした。これも、私が県庁や県政を信用していない理由のひとつです。これだけじゃないでしょう、きっと。ほかでも、人が泣きながらどうやって暮らしを守ろうか必死こいてやっている時に、おらが利権をどう確保すっぺか、を優先していた人たちがわんさいるんでしょう。
ご本人の寄稿になると、この論考になるわけですが、読んでいる媒体を間違えたかと思う分量と内容です。
歴史学者・木庭顕さん寄稿「現在の日本における政治成立の条件」
https://www.asahi.com/articles/ASSCF32GCSCFUCVL020M.html
この聞き書きインタビューの紙面記事が、
→次の書き込みに続く
「2013年体制」克服し、本来の政治を 日本のとるべき道は、歴史学者・木庭顕さんに聞く
https://www.asahi.com/articles/DA3S16085716.html
行政事業レビュー、有識者委員のコメントからは、「なんでこんなわけのわからないことになってるの??」に近い詰められ方をしているのですが、復興庁の担当者の回答のなかに、福島再生加速化交付金で福島県立医大の創薬開発への投資が含まれているとあるのですが、これは完全に便乗ではないしょうか。
帰還環境整備には、創薬は関係ないようにしか思えないのですが。
他にもどれくらい、復興予算に便乗しているのか、会計検査院が入ってみてもいいのではないでしょうか。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv346070503?po=extplayer
市町村単位の要求で、10/10全額補助で、それぞれの自治体が、横並び(メンツ競い合い)でそれぞれ同じ施設を要求したもので、ハコモノ過剰になっているのですよね…。
委員の「なんじゃこりゃ…」感は当然といえば当然だと思います。 [参照]
同じく復興庁でも、「第2期復興・創生期間までの復興施策の総括に関するワーキンググループ」での議論が進んでいます。
ここでも見直しを前提に議論が行われているので、見直しは既定路線です。
https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat7/sub-cat7-2/20240430093759.html
国の行政事業レビューで、福島の復興予算が取り上げられて、見直しの必要性が指摘されたようです。当然のことだと思います。こんな予算の使い方が今後も続けられると思う方がどうかしています。
「23年度末の基金残高が806億円に上るが、国側は「純残高は142億円で、残りは今後の支出先が決まっている」と説明。有識者側は「全額返還したくないために企業が『(事業を)やります』と言い続けるというモラルハザードにつながらないか懸念がある」と指摘した。」
復興、成果見えにくく 国の行政事業レビューで指摘 有識者「見直し、検証を」 /福島
https://mainichi.jp/articles/20241115/ddl/k07/010/085000c
農業専業している米農家がこう言っているのなら、来年も米不足になる可能性は高そうです。
統計の農業従事者の年齢、人数を見ても、周辺の田んぼの放棄地の増え方を見ても、米不足はいずれにしても今後は避けられない気はするので、知人の農家から年間契約で買うことにしたのですが、正解だったような気がします。
「だが、斉藤さんは「来年は間違いなく今年以上の米騒動が起きる。今の値段は実は底値で、さらに高くなる」と「予言」する。倉庫で近所の農家の良質な米を管理しているが、昨年の半分くらいしか集まっていないという。「減反と大規模化、二つの愚策が原因で、米作りをやめた農家が全国的に相次いでいる。来年も米が足りなくなる」」
農家の憤り「来年も米騒動が」=堀井泰孝
https://mainichi.jp/articles/20241113/k00/00m/040/088000c
地方の観光産業の持続可能性についてとても大切なことを言っている内容の記事に思います。
福島の原発を中心にインバウンドで産業を、という話はよく聞くのですが、正直、どうやったらそんなに稼げるようになるのかどうにもイメージがわかないでいたのですが、この記事を読んで、やっぱり無理筋の話なんだなと腑に落ちました。
「観光産業は接客サービスなど人間にしかできない仕事を中心に成り立っているため、生産性を上げにくく、賃金も上がりにくいという構造的宿命を抱えているからです。観光産業にはそもそも、稼ぎにくいという特性があります。とりわけ地方の中小規模の観光産業では、人口減少で地域の労働力自体が足りていないので、仮に賃金を上げても人手が集まるとは期待しにくいようです。けっして日本の観光産業のレベルが低いわけではなく、そもそも改善しようにも難しいのです。」
「観光立国」は地方再生の切り札になれない 経済地理学者の警告
https://www.asahi.com/articles/ASSCD33WXSCDUPQJ00GM.html
兵庫県知事選の様子を見ていても、情報の共有のできなさは、世界観の共有さえ難しくし、議論の基盤となる共通言語さえもてなくなるため、議論を基盤とする民主主義の成立は不可能になっていくのだろうと思います。
マスメディアの没落とインターネットの普及がもたらしたのは民主主義の破壊、ということになるのだろうと思います。
どういう展開になるのかはわかりませんが、社会的な注目を集める県知事選レベルであったならば、日本でもアメリカの状況が再現しうる状態になってきたのだろうと思います。
救いなのは、日本は総理大臣が直接選挙ではないということでしょうか。
作家/NPO福島ダイアログ理事長/博士課程後期在学中
原子力災害後の復興政策と地域住民のギャップを埋めるためのローカルプロジェクトの意義と重要性について研究する予定。
・著書『海を撃つ』(みすず書房)
『スティーブ&ボニー』(晶文社)
『末続アトラス2011-2020』(福島のエートス)
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