先般の行政レビューで、再生加速化交付金への見直しが言及されたことについて、浪江町長の想定通りの反応が出ました。

南相馬の門馬市長は、民報の記事をそのまま信じられたのではと思いますが、浪江町の吉田町長は元県議ですから、県政・県庁と示しあわせて、わざと大袈裟な怒りの反応を示しているのだと思います。

確かに、浪江町はまだ帰還困難区域も多いため、今後の措置がもっとも必要とされる自治体のひとつですが、しかし、行政レビューで指摘されているのは、そういうことではありません。

なにが目的なのかはっきりしない、重複事業や施設が多いことなどが指摘されただけです。
それについては、いかに避難区域であったとしても、耳を傾ける点が多々あると私は思っています。

「浪江町の吉田栄光町長は11月26日に「原子力災害によって、未だ町の面積の約80%が帰還困難区域のままである当町において、復興は始まったばかりであり、今後の復興に交付金等の支援は不可欠である」「このような中での見直しは、到底、理解できるものではない」などとコメントした。」

浪江町長「到底理解できない」 政府の復興への交付金の見直し議論めぐり
news.yahoo.co.jp/articles/f60c [参照]

内堀県知事が、行政レビューの見直しに対して意見書を持って復興庁へ行ったとのことなので、これと連動させて浪江町長の大袈裟な発言があったということでしょう。

県知事がなぜ現在の枠組みにこだわるのか、その背景が知りたいです。
復興という観点から考えれば、予算がつくなら、別に現在の枠組みでなくてもいいわけですよね。「今の枠組みで」とつける理由はなぜでしょうか。

「復興を進めるための交付金について見直すべきという指摘も出ていますが、県はすべての被災地域が復興を成し遂げるため、今の枠組みで予算を確保することなどを求めています。」

内堀知事が霞が関へ…復興財源の確保などを緊急要望・福島
news.yahoo.co.jp/articles/d35c [参照]

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こういうのは、日本流政治的駆け引き(オラオラ)であって、実際の復興とはほぼ関係ない話です。

ただ、もう県政の人たちは、自分たちで復興するという主体的発想を失っており、中央と政治的駆け引き(オラオラ)することが、復興だと思い込んでしまっているので、どうにもならない、と思います。

これが、福島復興13年間の末に県政が行き着いた到達点というのは、日本の統治のあり方をしみじみと考えさせられます。

今までさして注目されることもなく、大きな産業も企業もない一地方が、原発事故で一躍世界的注目を浴び、巨額の予算が動くようになったけれども、それをマネージできる政治家が突然出てくるはずもなく、なんの訓練もない田舎政治家のおじさんたちが、復興事業を動かしていたらこんなふうになりました、という悲喜劇ではあります。

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