そうか、『雨垂れ〜』は個人の努力などに対して形容するのにはいいが、『人』を例えるのは、そもそも、人権主義がなにかわかっていない証拠なのだ。日本国憲法の拠って立つ人権主義では、そもそも『人』を駒のように扱うことは許されない。前憲法の下でカミカゼ特攻隊が美談のように語られたのも、『人権』を理解していなかったために他ならない。
進歩的(最先端)の法学者たる、穂高先生が誤用して、祝賀会で(自らを貶める謙遜としても)決して使ってはならないはずである。それを使ってしまったのはそもそも最初の間違い(女子部の学生を捨て石にした)例え自体が『人権主義』に反することにこの時点でも気づいていないのだ。
そしてそれを聴いている聴衆は皆、名だたる法学者のはずなのだが、だれもそのことに気づかない。寅子に同意するものすらいない状況に対しての、最後の寅子の『あ〜〜』と言う叫びにつながるのよ。
これはたぶん法学の基本であるはずの『人権主義』ネットを見渡しても(わたしの周囲には)そういう指摘は見つからない。
穂高先生はかわいそうだが、穂高先生だからこそ絶対誤ってはならないミスなのだ。
#虎に翼