アメリカで薬物乱用による死亡者が減ったことについてのバイデン大統領の投稿。
その中に、
> even one death is one too many
とあってそれにはまったく同意するのだけど、 one death is one too many (死者は一人でも多すぎる)という精神をアメリカ人以外にも向けてほしいものだと思う。
パレスチナと気候変動。民主党大会で不自然なくらい語られなかった。トランプは絶対に避けなきゃだけど、民主党の姿勢を批判し続ける必要があります。⇒ マイケル・ムーア氏、民主党全国大会でパレスチナ系アメリカ人が一人も登壇しなかったことを「恥ずべき」と非難 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_66cfc97be4b04f2c61c9bc77
ところで自分は昔は町山氏のことはファンってほどではなかったがそこそこ好きでネットラジオとかをよく聞いてたんだけど(『ハロルドとモード』もそれで知ったと思う)、「ちょっとこの人ダメだな」って距離を置くようになったのはラジオかなんかで『ブルーバレンタイン』って映画のことを語っていたとき、そこで町山氏の主張していることが思いっきり「ザ・資本主義下での家父長制」って感じだったからだな。男は仕事してたくさん稼いで妻に認められねばならない、って感じのことを言ってた(町山氏や町山ファンは本質はそうじゃないみたいな言い訳をするかもしれないけど)。
それに加えて、町山氏が「マニアックな趣味の女がいたらそれは男の影響」みたいなこと言ってるのを聞いたときにもドン引きしてこいつダメだと思ったよ。
町山智浩氏が言ってるニューシネマの特徴が反家父長制であるっていうの、そうなのかあ?って思う。
たしかにニューシネマの主人公って家父長制的な価値観を体現するって感じじゃないアウトローや流れ者だけど、アンチ家父長制って感じでもないし、それを言うならジョン・ウェインの西部劇だってそういう主人公だったりするし、単に青年が一度家を出て冒険するっていう過程にあるだけにも見える(物語上ではニューシネマの主人公は若くして死にがちだが)。さえぼう氏も、反家父長制がアメリカン・ニューシネマの特徴だとは思ってなくて父と息子の反目はアメリカ演劇でよくあるテーマだと言っている。
最近、羽生が負けててつまらないから、渡辺明に藤井先生倒してもらって刺激が欲しい。
野田佳彦ってやたらと政治部記者からの人気が高かったから、立憲の代表になったら新聞の立憲に対するいじわる皮肉記事が体感ではギリギリ感じられないレベルで少なくなりそう。それが唯一のいいところかも。いいのかどうかもわからんか。知らんけど。
#知らんけど構文
小説『ガニメデの優しい巨人』のネタバレ含む
『星を継ぐもの』の続編で、ガニメディアン(巨人)と地球人(阪神)のファーストコンタクトものなんだが、そこに出てくる巨人の性質、文化、暮らしぶりがすごくマルクス主義的。
「各人はその能力に応じて働き、その必要に応じて受け取る」を地で行く形で生活し、労働をするというより個人の喜びのために進んで社会に貢献しているだけ。きっつい労働により疎外されたものはいないし、社会に溶け込めずに問題を起こす人物も手厚い福祉を受けていそう。
巨人は進化の過程で他の生物や同族間での生殺与奪を経ずに(人類を科学技術で遥かに凌ぐ)知的生物まで進化しているので競争心がなく、そのため資本主義経済みたいなものも存在しないので、資本主義→革命→共産主義っていう発展段階説みたいな進歩は経ないでそういう状態になっているので、その点ではマルクス主義的ではないとも言えるのだが。
阪神はギャグです。
赤城の山も今宵を限り