「暴かれた男性性を私たちは受け止められるだろうか」というタイトルで『マッドマックス:フュリオサ』のレビューを書きました。
見ている間めちゃくちゃしんどかったって話を自省を込めて書いてます。
見たという方は是非覗いてやってください。
https://www.nobodymag.com/journal/archives/2024/0608_0103.php
私の中では泉房穂は出しちゃダメなやつ…ってカテゴリーに入っている。
例えばさっきの早川由紀夫さんなんかは「まぁいろいろまずいところはあるけど、地震や火山の話では参考になるし、一定程度、気持ちのわかることもある」というカテゴリーに入っていて、嫌な人から見たら目障りかなぁと思いながら引用してしまったり、さっきみたいに割と共感する時さえある。
もちろんその線引きは時間の経過とともに変化する場合もあると思う。
まぁとにかくそうスパッと切り分けられないことが多い。そういうの、苛立って見てる人もいるかも知れないけど。
支持者、結構いると思うから嫌われそうだけど、私の中では山本太郎は「あかんやつ」の棚に入ってる。
菅野完は私の中ではもちろん「あかんやつ」の棚に入っているので、引用されただけでもちょっとムカッとするけど、引用する人は一定数いて、それは変えられないので我慢している。
その繋がりで(いろいろあって)、私の中では本当は昨日書いた藤倉さんや横川圭希さんやちだいさんも本当はあんまり気分良くない対象だけど、でも彼らからの情報は結構役に立つという意味で普段から見させて貰ってる。
そもそも菅野完自体、以前は彼に批判的な人たちから批判されながら積極的に引用してたのは私の方だった。人は変わる。
ポールモンキー氏のアフォリズムで思い出したんだけど、よくおすすめ名著として名前があがっている岩波ジュニアの松沢裕作『生きづらい明治社会』を読んだとき、たぶんメンタル崩れてたときに読んだせいもあるんだけれど、明治後期から大正にかけての都市「下層」民に対する作者の目線とかの見下した感じがけっこうつらかったのよな。「通俗道徳」について書かれてる本ね。
その時期の都市下層民は暴動を含むデモをひんぱんに起こしていて、総理がデモによって辞任に追い込まれるなど政府中枢への訴求力も大きかった。しかし筆者によると、そういったデモの参加者は通俗道徳の外にいるようにいて、「あえて」通俗道徳を無視しているだけで、逆に通俗道徳を強化している面もあったという。
正直言ってこのロジックはわかるようでよくわからなかったし、通俗道徳社会での頂点に位置するエリート出の学者の、学問の力によって通俗道徳を打破しようと言う一方での下層民に対する突き放した態度は、読んでいてグロテスクなものを感じた。
もしかしたらアカデミシャンとして誠実な分析と態度だったのかもしれないが、学問もわからん下層民は抵抗したってその実は意味ないぞと言われてるように感じちゃうよね。よくみるデモへの冷笑とかわらないもの。
ただの生活上のグチ
3月に引っ越してきた騒音主、直接話したんだけど「そんなに音が聞こえてるとは気付かなかった」と言った上でそれでも控えるとか回数減らすとか言うだけでやめる気ないみたいで、マジで話が通じなくてヤバすぎてメンタル崩れた。ふつうに昨日も深夜1時過ぎに叫び声出してるのにこっちが管理会社通して文句言ってから12時以降は気をつけてるとか嘘つくので怖い。管理会社も12時以降はみたいな譲歩言ってないし、12時以前も騒音ゼロにしろって話だし。メンタル崩れた。もうこっちも深夜に「移民の歌」絶叫するよ?ヴァルハラ行っちゃうよ?メンタル崩れた。
赤城の山も今宵を限り