BL好きになった理由について考えてるとだんだん自分のセクシャリティわからん…となってくるんよ
もともと女体が好きで、生まれてから20年以上女体でしかオナニーしたことがなかったんだけど、男女の絡みは男体が邪魔だし女女の絡みは密着・結合感が物足りないな〜…と思ってたところに男男の絡みの密着してるやつを見て「あれ? 男体自体はそんなに好きじゃなかったはずなのにめちゃめちゃエロいぞ…私が求めていたのはこれだ…!」となった衝撃でBLやゲイビばっかり漁るようになったところはある
自覚的にはシスヘテロだったんですけどなんか…よく考えると女体でしかオナニーしたことないヘテロの女って何? みたいな気もするし…よくわかんないな…
https://bunshun.jp/articles/-/63991
この記事ガチのマジのめちゃに好きなのにどこにも全然肯定的なコメントが見えなくて「嘘やろ…」となっている めちゃめちゃ面白くて最高じゃないですか?!ねえ!?!?!
女の性欲
いわゆる「腐女子」と呼ばれる女オタクの中には「キャラを過激に性的消費すればするほど偉い」みたいな価値観があって、「ちんちん勃った」「モブおじになって受けちゃんをブチ犯したい」とかは言うけど「まんこが濡れた」は言いたがらない、むしろいわゆる「夢女子」のことは軽蔑してるみたいなところがあり、「あくまで性欲とは男のものである」という前提のもと「自分はキャラに対する男性的な欲望を持っている:ただの女なんかとは違う」みたいな歪みの激しいマチズモがあるよねえという話をついったのフォロワーとした。
女の性欲に対する社会的な抑圧、BLと同性愛に対する激しい迫害の歴史が生んだ部分もあるだろうけど、その歪みに自ら加担するのは醜悪だと感じるよ私は…
呪術廻戦途中で読み止まってたやつを読んだら禪院直哉くんがめちゃくちゃ俺の好きなミソジニー男で嬉しかったですね
彼の伏黒甚爾に対する激しい憧れと劣等感?激重感情にニコニコしてしまったんですけど、彼が甚爾と同じフィジカルギフテッドの真希ちゃんに対して「甚爾君の偽物」って貶して執拗に付け狙うの、これなんか見覚えあるな…って思ったらうちはマダラが綱手に対して「千手柱間の孫なのに木遁も使えず、医療忍術もその程度」みたいなこと言って綱手を狙い撃ちにするくだりですね
強固なホモソーシャルに過剰適応した男は一周回って同性に対して性愛に基づく思慕に似た挙動を示す(しかしあの世界観で生きていたら当然、同性愛は呪術師適性がない以上に迫害の対象だろう、だから彼は仮にゲイやバイであったとしてもそれを自ら認識することはできない。マダラも同じですが)
藤本タツキの作品(と言ってもチェンソーマンとルックバックとさよなら絵梨しか読んだことないけど)ってあのフラットさというか、思想色の異様な薄さみたいな、表現しづらい、あの独特の雰囲気がどうしても苦手だな
人間あるある、作劇あるあるを描くのがハチャメチャに巧いのだけどそれをいいとも悪いとも言わずに淡々と出してくる
例えば第二部の序盤でデンジが若い男性と老人どちらを助けるかと悪魔に言われて人間を見殺しにして猫だけ助ける、というエピソードを出してくる、そういう「知らん人間よりも知らん猫の安否のほうが気にかかる」という人間あるあるを描く割に、そのことの是非について触れないまま話が進行するみたいな、作者自身の善悪の価値判断を覆い隠したまま異様に鋭い筆致で人間が描かれていくことに私は据わりの悪さを感じるのだけど、たぶんチェンソーマンがここまでウケている裏にはそういう作者自身の価値判断を明かさずに読者に委ねてくるがゆえの摩擦感・抵抗感のなさが心地よく受け止められているからって部分が絶対あると思うんだよな〜
その摩擦レスを芸術性だとか作品としての深みだみたいに持ち上げるのは違うじゃん…? 違うと思うんだけど…どうだろ…
いや物語としてはめちゃくちゃ面白いと思うけど…