夜中にパイを焼いていたら子供が起きて大変な事になった。祭りが1時間弱続きブチギレ寸前のところで寝てくれた。
アファマーティブアクションの話聞いてて考えをまとめようと思ったのに吹き飛んだ。仕方ないのでまた明日。
だけど明日も勉強会だった…脳が溶けるんじゃなかろうか。
課題をやっつけたし、とリフレッシュしたかったのだが、料理はダメだね。食いしん坊が目覚めてしまう…。
教育・学校心理と臨床心理をなんとか提出。
心理的アセスメントと公認心理師の職責は明日出そうと思っているけど、カウンセリングと認知行動療法まで行けるかなあ…。
週末が来る前に終わらせておかないと、統計絡みの科目が消化できそうにない。
不思議だけど、面白そうとか自分と合いそうとか直感的な感じでやってみた事が、他の面白い事と繋がってきている。とてもよい。
それだけに、計画的に進める作戦が大変重要に思えてきた。
数学を丁寧にやり直すことも、今回の学生生活では重視したいし、バランス調整どうするかな。
治療の時間を無駄遣いしないように、出来るだけ楽しく欲張りたい。
SNSが好きなんだと思う。
アカウントをあちこち作っても居つけなかった場所もあるけど、一度気に入った場所はかなり長いこといる方だと思う。
どうでもいい話から気付けばディープな話までしていたり、なんだか不思議と居心地が良くなってしまう。
日常の対人関係でも同じように振る舞えるかといったら難しい。本当は日常でこそ、そういう人間関係が築けたら良いのだけど、日常で、どうでも良さそうでどうでも良くない話をする相手は中々でき難い。
本や政治の話、生活のこと、様々な話ができる相手はオンライン上の方が多い。
日常では自分の属性のうち、可視化されるのが怖いと思う部分を自然と避けるからかもしれない。
都合よく、場を選んでいるのかもしれない。
日常が容易く傷付くことで満たされていると、思っていることを外に出す事に慎重になる。
だから、こういうところに書いている事も慎重になるべきなんだろうけど、それを捨てる事でしか繋がれない人もいたりする。
安全でないと感じたら離れることもできる。
だから、オンラインで繋がる事ができた人は私にとって貴重で有難いし
日常で繋がれたら、とても嬉しいと思う人が沢山いる。
いいかいみんな、相性の悪い人とは距離をとるんだ。ブロックがお勧めだ。
Mastodonのブロックは、相手をいないものとして扱う。こちらも見えないし、相手からも見えない。
違うアカウントからはみえるよ? でも決して見に行っちゃいけないよ。忘れるんだ。
お付き合いでフォローしつづけるのはやめるんだ。合わないと思った人はブロックして、そのまま解除しないこと。
いつも気の良いやつなのに、不機嫌な話題に夢中になっていたら、ミュートする。
Mastodonのミュートは、ミュート期間を指定できる。自動解除されるから、6時間とか1日を指定しておくといい。
嫌いにならずに済ますことが大事だ。
フォローしている人のブーストが合わなかったら、その人のブーストだけを隠すことができる。
ブーストを隠してみて、それでもダメならさよならだ。ブロックしよう。
フォローは好きにしていいが、フォロワーには気をつけよう。
フォロー承認制にして、承認する相手を選んだ方がいい。
フォロワー限定で投稿しても、見せたくない相手が含まれているのでは意味がない。
その上で、公開とフォロワー限定を使い分けよう。
万が一に備えて児相に連絡入れてくれた相談員さんから、本人が一度児相に直接連絡してくれと言われてしまったと…。
わかっちゃいるけど、うっかり忘れること2日。
というのも入院時に子供を預けられる先がなく、母には長期休みじゃダメなの?うちに来れば?と言われ(そんな計画的なら人がいっぱいいる時になる=違うタイミングだろ…)
検査時など単発の時は短期入所施設を当たれそうだけど、続くのは児相くらいしかあてがないとのことで、厳しさを感じている。
児相のお世話になるんだとしたら、一気に入院手術マターを終わらせたい気持ちだけど、多分別々になるんだろうなあ。そういうところ上手く行かないものかなあ。
努力で多少マシになるフェーズは過ぎた感ある。頑張って少しでもマシにしようとしたけど意外と変なところが異常値になったり思うようにいかぬ。
この週末は子供がいろいろやりたがっていたりして課題も進まないまま締め切り迫る!!
ひぇーキツい。
警告?
ちょっとテスト
@RicaTakashima
ご指摘の点、気付いていませんでした。
良く確認してみようと思えました。有難うございます。
昨日、とても尊敬してる若者のこれから研究したい事や関心のある事を聞いていて、自分の関心ごとが掘り起こされたりなどした。
とても楽しい時間だった。
私達はやりたい事や関心事、動機などを話す事にあまり迷いがないのだと思うが、世の中には言葉にするのにつまってしまう人も多くいて
何故言語化できるのか、という感覚がよくわからない、という話をしていた。
多様な人がいて、様々なやり方がある。
そういう人に適したやり方というのもあるのだろうけど、そうでない自分には想像し辛い。
何かに取り組む際に、熱のようなものがあまり感じられ難い、とかもそうで、自分は熱だけで突き進んだりする事も多く、それらがないとなると想像がつかない。
どうか、悩み事が良い方に向かいますように、という気持ちでそういう方の話を聞いてはいても、どうしたらいいのか見当もつかない。
中には、大人になるまでの環境の中で、繰り返し学習性無力感を育てて来てしまったのかな、と感じる事も多く、そういうケースは聞いていて心が痛む。
そういうものを乗り越え、そこそこ楽しくやっている人に出会いたい、と時々思う。
一体何があれば進めるのか。
最近、〇〇は良くない、やめるべき、とか、そういうのが多過ぎて本当に疲れてしまった。
良くないと思うことがなんで起きているのか?に対する答えを他者が決めてしまっているとしたら、行き着く先は分断で粉々になった相互に交流不能な小さなムラ社会なんじゃないかと。
個人的に許容し難いものは確かにあるのだけど、グラデーションをバッサリ切ってしまう世界で、切り刻まれる言葉や心が、いつか自分の方に向かってくるのではないかと思う。
誰かを断罪するならば、その誰かの行いが自分の中にあった時、自分を間接的に攻撃するような感覚がある。
それと同時に、無意識的なものだとは思うのだが、特権性に無自覚な人が、自分の中にある弱者性を容易く傷付け、攻撃されたような感覚になる事も増えた。少しでも意見を交わそうと勇気を出した時に、無かったことにされたり、謝罪に変えられてしまう事がある。
どうしてそう思うのか、何故それを言うに至ったのか、そういう話を聞けるような言葉がけができたらと思うものの道はまだまだ遠そうだ。
最近、安心できる人とのやりとりしかしないようになってきて、どんどんその道が遠くなっていくように感じる。
闘病中の俄か学生、時々親。
友達とおしゃべりする合間に手術と検査と課題といろんな調整中。
最近の関心は心理学と統計学と情報科学。
なんでもないようでいて大切な、どうでも良くない話をしたいと思っています。