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『権利のための闘争』p.49より 

・・・権利は権利を主張するか放棄するかを権利者の選択にゆだねているのだから、権利の立場からすれば争うのもよいし争わなくてもよいのだ、・・・この謬説と対立する私の説はこうである。人格そのものに挑戦する無礼な不法、権利を無視し人格を侮蔑するようなしかたでの権利侵害に対して抵抗することは、義務である。それは、まず、権利者の自分自身に対する義務である、-それは自己を倫理的存在として保存せよという命令に従うことにほかならないから。それは、また、国家共同体に対する義務である、-それは法が実現されるために必要なのだから。
 権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。

ただ一つ思うのは、あくまで個人的な感覚で言えば、私は自分が何をしているのか自分でよくわからないことはなるべくならしたくないってことかな。それは誰かと連帯するときにも例外じゃなくて、自分が何のためにそこにいて、なんでその人と手をつなぐのかちゃんと意識していたいと思う。もちろん純粋に好意だったりする場合も多い(むしろそうじゃないほうが珍しい)んだけど、それはそれとして。

いや、私には意図がよくわからなかっただけで、インターナショナルだろうがアニソンだろうが、自分の歌いたい歌を歌いたいときに歌えばいいと思うよ。つけ加えて言えば、警察の介入に関しても「?」と思ったし。ただ世の中にはどうしてそうなったのかよくわからない話が多いなっていう。

「(労働者としての)警備員との連帯」という一種のユーモアだったらしい(?)。
x.com/youaquarium/status/18047

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名前は挙げないけど、この時代にガシガシ本を売ってる人も大したもんだよな、と感心する機会は多くなった。内容に関わらず、書評家なんかは特に。

学費の値上げに抗議することと、インターナショナルの歌唱の意味が自分の中でまったくイコールにならないんで、単に「?」という感じ。精一杯好意的に解釈しても、古きよき学生運動の懐古ムードを自ら茶化したかったのかな、としか。選曲についてはどうせ掘り下げても深い理由はないんだろうし、議論するだけ無駄だと思うけどね。

YouTubeのレコメンドで知ったんだけど、Satellite Loversってすごくいいバンドだね。オンタイムではまったく掠りもせず、2024年の今初めて聴いて感動してる。ポエトリー・リーディング風のジミヘンのカヴァーなんて最高。同時代のローファイ・ヒップホップってことでいうとグランド・ロイヤルのルシャス・ジャクソンとかからの影響もあるのかな、なんて思ったり、普段着なのに渋谷系の文脈からも自然に逸脱している感もあってかっこいい。

小沢健二の『LIFE』のいいところって計算された無防備であったり、計算された突っ込まれやすさであったり、いずれにしろ計算ありきでバチッと決まるタイプのものだったと思うんだけど(ぶりっ子すれすれのあざとさがあった)、中年になってよくもあしくもその計算が狂うようになってしまった感があるんだよね。天然を狙って装って、それがズレてるから、揚げ足を取られるようになってしまったんだと思う。そういう意味では、ネットとの相性も致命的に悪い。悪口言われるようになったのは、決して宇野維正が持ち上げてるからってだけじゃないと思ってる。

最近やたら「人を傷つけないように」とか「人に優しくするには」みたいな文言がSNS上で流れてくるの、別になにも異存はないんだけど、どういうモチベーションで話してるのか若干気になるところではある。また私の知らないところで何かあったんだろうか。この頃はいつもそう。

YouTubeではunicefの公共CMをスキップせずジッと見てしまう。すごく切迫感が伝わってくる。

最初は正直に言って不思議だった。イスラエルのパレスチナ入植と虐殺にどうしてLGBTQが怒っているのかと。一つの証言として残すために明記しておくけど、日本でデモや不買などのアクティヴィズムを先導したのは他ならぬ彼ら(LGBTQ)だったんだよ。いや、人権だなんだって言うなら、別にひどい目に遭ってるのはセクシャル・マイノリティーに限った話じゃないじゃない。それで、マックルモアの"HIND'S HALL"を聴いたときはっきりと確信したんだけど、おそらくガザでのジェノサイドに対する彼ら彼女らのリアクションは政治的に言うと68年のマイノリティ-・ポリティクスの延長上にある。当時はなかった問題ではあるんだけど、系譜としてはそう。華青闘告発の延長。だってマックルモアと言ったら同性愛を扱った"Same Love"の人として多くの人には認知されているだろうし。ちなみに、"HIND'S HALL"はガザでのジェノサイドをホットなトピックとして乗っかっただけの曲なら、最後まで黙殺しようと思ってたんだけど、リリックを読んで「こいつ...勉強してやがる」となったので文句なしです(ラップ自体はそんなにうまいと思わないけど、リリカルだし、デリバリーが秀逸)。

Nasの"Doo Rags"の" 'Cause Ray Charles could see the ghetto, Was told to stay strong and I could beat the devil"ってフレーズの力強さね。スティーヴィー・ワンダーに手を振ったってジョージ・ブッシュJrの逸話ともちゃんと対になってる。

X、いいねが「非表示」になってるよね。いよいよインプレッション獲得に特化したSNSのゲーミフィケーションが始まったのかと...(しかし予告されていたとおりの展開ではある)

他人(フォロワー)の顔色を窺って、他の誰かと歩調を合わせるためだけに、自分はリベラルであいつは違うとか、あるいはその逆とか、なかば無理やり対立の図式を作ろうとするの、Twitter黎明期から変わらない(左右問わず)政治に特化したアカウントの悪癖だし、本当に下らないと思ってる。個人的にはあまり共感することのない人たちだけど、菅野完さんとか増田聡さんとかそういうことをしないだけ(その点では)マシなんでは。

I Didn't Mean To Haunt Youにはある種ネオペイガニズムとシンクロするような雰囲気もあるし、曲によってはフェネスのエンドレス・サマーやシューゲイズを思わせる部分もある。耽美的/感傷的なトーンが一貫していますよね。それがアーティストとしてのイメージになってる。だから「エモ」というのはこの場合ジャンルではなく、雰囲気ですね。雰囲気エモの人(’笑)。

本屋でご当地ラーメン売ってたりメダカ売ってたりするのはまだいいんだよ。一番ショックだったのはよく行っていた本屋のCDコーナーが潰れて、一画丸ごとガシャポンで敷き詰められていたこと。

いまおそらく過渡期で各方面で試行錯誤の真っ最中なんだろうけど、私だって欲しい本どれだけあっても処分のこと考えると、簡単には購入できないしさ。かといって、電子書籍じゃまだ十分に採算とれないわけでしょう?世の中には気持ち的にはどんなに応援したくても「無理だ...」ってことがいくつかあって、本屋の応援もその一つ。正直、勝てる見込みがないから。せめて誰も得しないんだから、多少不便でも(手に入るまで2、3日かかっても)ちゃんとフィジカルで買う昔の方法に戻したらとは思うんだけど、そんなの無理に決まってるし。

佐々木敦さんが「オレは本当は好き勝手やりたいんだけど、(エクスペリメンタルな音楽やってる人たちに)基礎教養みたいなものがなくなっちゃったから、そっちを原(雅明)くんに任せたい」(大意)みたいなことを言ってたのが、2000年代半ばだったんだけど、今はもうそういう一般化すらできないくらい、共同体(ファンダム)が細分化された時代で、詳しい人はめちゃくちゃ詳しいし、知らない人はまったく知らないのに、お互い接点がないから気づかないんだ(笑)。

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