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今朝ちらっと考えてたこと。
ひろゆき的な露悪さや弱者切り捨てとか、今話題になってる集団自決とかって、まじめに考えるとリアリティに欠けてる態度/考え方だと思う。
法治国家/民主主義国家とか、そういう枠組み…基本的人権を捨て去る話だと思う。

でもこういうのが話題になって、何かそこにリアリティがあるように考えるのって、皆、全体的に悲観的になってるからなんだろうか…と思った。

悲観的になりすぎて何が現実的なのか分からなくなってるんじゃないか。
陰謀論や極右に走る人たちって、基本的には悲観的すぎるからなんだろうか。
自分が信じたいものだけを信じてしまう心理はなんだろう。

左右関係なく、悲観的になりすぎて何が現実的なのか分からなくなるのってあると思う(メディアの信頼性を疑うとか)

あるいは政治に興味がなくなるとか。
『政治はおじさんたちがなんとかしてくれる』っていう考え方って興味深い。
自分が政治を変えられるとは思わないけど、でもなんとかしてくれるという楽観的な考え方。

自分の一票/発した声が政治を変えられると思うのは何か政治に関して望みを持ってるということだよね。
なので無関心なのは悲観主義とも言えるんじゃないのか。

で、実際はそんなことないのに、やっぱり現実的にどうか…を見失ってるんじゃないか。

悲観的に考えて現実がどうか分からなくなり、結果、その中でなんとかしてくれるという根拠のない希望を抱いた状態。
これも悲観から現実を見失って、自分が信じたいものを信じてる状態なのかも。

@plum_pot 皆、悲観に囚われすぎているがゆえに、リアリティが何かがわからなくなっている、というお考え、慧眼だと思います。自分自身の思考の癖と照らし合わせても、なんだか分かるというか。

@lifeissloth2 同意ありがとうございます。
私もそういうところがあるのと、Twitterで繋がってる人たち(社会問題について考えてる人たち)の間でも、そういう傾向を見かけてヒヤッとして、ずっと考えてます。
うまく言えないですが、何か進みたいという気持ちがあります。

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