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なんか、SNSの中だけの観測範囲とはいえ、今の社会で「普通」に高校くらいまで育つとデフォルトで障害者差別が搭載されて世に送り出されてくるような雰囲気ね。気のせいならいいけど。

うちの親戚の子らも学校教育を通過したら、いくら親が注意深く育てても避けられずそうなっていくのかなあ。インクルーシブとかの概念をしっかり学ぶか、当事者感覚を持つ機会があれば違うのかな。

高田文夫(どう偉いのかよう知らんけど)とナイツにもがっかりだな。

街頭インタビューか何かで、地位の高そうなおじ(い)さんが「これでやっと税金もしっかり払えると思って〜」みたいに語っていた。自分自身は公共道徳としての納税義務は理解しつつ、払いたい気持ち自体はまあ低い方なので(昨今は特に)、ああこれが小学生の習字でよく書かせる「納税意欲の向上」みたいなやつか、と理解した。
昔の人、田中角栄の日本列島改造論?とかに胸をときめかせてたような世代の人は、自分の納めた税金で世の中がよくなる確かな手ごたえがあって、それで意欲も高かったのかなあと想像する。
今の世代の納税意欲は低そうで(ふるさと納税は除く)、同じくらい意識の低いものとしてふと選挙投票率を連想した。投票に行かない人たちって、税金を納める時や差し引かれた明細書を見る時なんかに、どんな気持ちになってるんだろう。両者の関係性には思いを馳せないのか、単に無の境地()なのか、想像がつかない。

予想よりもずっと反応があった。ありがとうございます。 :ablobcatnodmeltcry:

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 お正月休みに休日の深夜のノリで美術検定4級を受けてみて、無事合格した。ほぼ一般常識問題なので、まだ何もすごくないレベル。

 そんな初心者レベルの級なんだけど、問題を振りかえってみて、あらためて自分の興味関心範囲のせまさを実感した。古代美術、中世美術、ルネサンス、バロック、ロココ等の近代西洋画、浮世絵、江戸琳派、仏像…とまんべんなく知識が足りない。というか好きな範囲(海外・日本問わず20世紀付近)以外の19世紀以前のジャンルにそもそも興味が持てない。これでは3級以上はきびしそうだとわかったので、今年はちゃんと勉強したいと思い直す。

 大学などで美術の専門教育を受ける機会のなかった人間が後から学ぼうとすると、独学ではどうしても自分の好きな分野ばかり追って、苦手分野は避ける傾向があるので、知識に偏りが出てしまう。美術以外のジャンルも同様だろう。そんな時に検定試験という目標は便利だ。この「興味のない分野についても学ぶ必要がある」という点が、こうした検定受験の大きなメリットだと思う。
 
 Twitterの相互フォロワーの方の中には美術検定保持者が意外と多かった。2級の人もゴロゴロ、1級の人も数人いらっしゃって…恐れ多い気持ち。なのであっちにはまだ投稿できない。

otro さんがブースト

4時間を仕事に、8時間を休息に、12時間を望むことに

こないだ劇場公開された「ファースト・カウ」という映画は、開拓時代のアメリカにおける2人の男性が牛乳をつかって一攫千金をねらう西部劇×友情物語、とのこと。

予告編の雰囲気をみると、さまざまな同性同士の関係性の中で、恋愛とは異なるいわゆる「ブラザーフッド」のロールモデルとなる作品だったらいいなという期待がある。”今年No.1の牛映画”というのはご愛敬。
youtube.com/watch?si=CYC0xabik

firstcow.jp/

少し話がそれるけど、たまに思考実験として、「血縁のない(中高年)男性だけで阿佐ヶ谷姉妹みたいな生活ができるのか、できないならそれは何故か?」みたいな問題を考えることがある。
別に2人だけに限定する必要はなさそうということで、「バイプレイヤーズ」みたいな(上下関係のない)5~6人の集団生活というモデルもあるかもしれないな、と最近気づいた。マウントをとりだすような関係だと続かないだろうな。

otro さんがブースト

『筆頭著者である南カリフォルニア大学マレーナ・フェイゾ助教は、これまでつわりの原因が解明されてこなかった理由について、「一般的に、女性の問題は軽んじられてきた傾向がある。また、つわりは多くの人に起こるもので『我慢するしかないもの』と考えられてきた。重症化しても、医師ですら『心理的なもの』などと考える人もいた」と述べる。
 フェイゾさん自身も約20年前に妊娠した際は、つわりが重症化し、数週間激しく嘔吐し、飲食も、動くこともできなかったという。医師にはフェイゾさんが症状を誇張しているだけと思われていたが、女性の健康を研究する遺伝学者として、医師が間違っていると確信していた』
asahi.com/articles/ASRDM3RLDRD

女性の裸体画(や裸婦像)がなぜ多く描かれるのか、と、公共場面になぜ(主に女性の)裸体彫刻が設置されるのか、は別の問題意識だな。

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こないだの話題に関連する記事が出ていた。こんどは絵画の話。

なぜヌードモデルは女性なのか 違和感にみるアート界「フェミニズム」の変革と課題
sankei.com/article/20231216-57

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BT(マストドンだとRTはBTなのね)

うちは親とは政治的な話はできひんなあ。。。選挙でどこに投票したかとか、そういうのは他人には言わないものと教わった記憶がある。うっすらリベラルだとは思うし、彼らの両親(祖父母)の体験とかについても思うところはあろうかと想像するけど。
最近は昔の話を意識的に引き出して聴くようにしてるけど、生きてるうちにその辺のこともなんか聞いといた方がいいのかなあ。

otro さんがブースト

この前親から「そんな政治や社会のこよばかり考えて疲れないの?頭おかしくならないの?」と言われたんだけど、きっと"普通"に日本で暮らしていたら皆こんな感覚になるんだと思う。
そりゃめちゃくちゃ疲れるけど、まず「あなたは社会や政治に向き合わなくても生きていられて幸せですね」と思う。嫌でも向き合わないと生きていけない人はマイノリティを中心にたくさんいる。それに、政治や社会に向き合わないと見えてこないものは少なくない。
「気にせずにいられる」のは特権だと思う今日この頃。

政治家さんの役職って、最近はもうやめる時に議員辞職まで到達させないためのワンクッション・予防線的な意味しか感じなくなっている。まあそれなりに役職の仕事はしてはったんやろけどな。

公共空間に裸婦像が多い理由はこの記事によると、、、
①銅像文化は明治期に始まり、戦前は軍人をほめたたえる系の銅像が多かった
②戦時中の金属供出で大半が撤去される
③敗戦の影響で、戦後に建てられる公共の銅像は軍人から裸婦に変わっていった
という流れらしい。
kobe-np.co.jp/news/sougou/2021

まあ、日本らしいといえばらしい流れ。③の部分で女性+裸体にする理由は「女性=平和の象徴」(?)みたいな謎の等号関係と、「無難な選択肢」、という側面もあったんだろうな。
いまは軍人像か裸婦像かの二択以外の選択肢が当たり前にもっとあるはずだし、実際最近は抽象的なのが増えてるのは良いこと。

なお、記事中でも紹介されてるこの文献に、いろんな疑問に対する答えがもっと詳しく書いてあるはず。
「公共空間における女性の彫像に関する一考察」asia-u.repo.nii.ac.jp/records/

QT: fedibird.com/@otro/11157090005
[参照]

otro  
さっきブーストした件で、一ノ関圭という好きな漫画家の作品に、文明開化期の日本の洋画界を舞台に裸婦の問題を取り上げた短編があったのを思い出した。 日本の美術史においても「芸術か破廉恥か」みたいな論争の激しかった時代(e.g. 腰巻事件)の中で、当のヌードモデルの女性を主人公に据えて、感情のある生...

さっきブーストした件で、一ノ関圭という好きな漫画家の作品に、文明開化期の日本の洋画界を舞台に裸婦の問題を取り上げた短編があったのを思い出した。
日本の美術史においても「芸術か破廉恥か」みたいな論争の激しかった時代(e.g. 腰巻事件)の中で、当のヌードモデルの女性を主人公に据えて、感情のある生きた人間として描いていた話。
物語を思い出すと、やっぱり男性画家たちの「女性の身体を芸術として(必要以上に)神聖視している感じ」は現代の非芸術家の感覚だと違和感があるんだよな。
mangapedia.com/裸のお百-fl0w90y9x

あと、こないだ地域の現役作家たちのグループ彫刻展に行ったのだけど、案の定よくあるタイプの「ポーズをとった裸婦像で”情熱”みたいな抽象単語をつけたブロンズ作品」が1/4くらいあって、やっぱりこの「女性の身体を美とする」芸術観はよくわからんし変わり映えしないなと思った。
例えば日本人がロダンを知った直後くらいの、荻原守衛などの頃なら当時の最先端として見るべきものがあるのかもしれないけど(それでも美術史としての話で、パブリックアートとして公共の場に置く必要はないんではと思う)

こうした芸術観はそれはそれとして勉強しなきゃな(特に西洋美術方面は疎いし)と思いつつ。

の方から最近の感想を転載。

「ニューヨークで考え中(4巻)近藤聡乃
bookmeter.com/books/21367839

NY生活のエッセイ漫画、今回は'20年9月~'23年5月。日常ではネコにメロメロ(+引っ越し関連)の巻。3巻からのパンデミックの影響はまだ続いていて、他にも選挙の様子や移民としての感覚(地下鉄を避ける友人とか)など、社会情勢が身近なところに少しずつ表出してくる描写が印象的だった。世の中の変化だけでなく、近藤さん自身の色んな変化(異国生活になじんできたりetc)も関係しているのかな。ご本人も時事への関心の増加を自覚していて、それを内省的に振り返っている(259話)のが誠実でいいなと思う。

まだ書籍化してないところでもそういう時事への関心(とその自己言及)はあるみたい(291話※)。最近の中東(に対するアメリカ政府の対応)についてどんな風に思ってらっしゃるんだろう、とか気になるけど、あまりそればっかりでもしんどいしね。日常とのバランスは確かに難しそうで、でも無視できないんだろうなあ、という葛藤を感じる。
akishobo.com/akichi/kondoh/v29

もうひとつTwitter()ではよう投稿せんことがあって(なんでやろね)。最近は建築関係と、一部の映画に対して白けてきたというか、冷めてきたかもしれない。

建築界隈に対しては主に万博に関する世間ずれした盛り上がり?が原因ね。藤本壮介さんがこないだ万博のパビリオン設計に携わるスター建築家のリストみたいな投稿をしてはったけど、無邪気に興奮できなかった。建築家で唯一尊敬している坂茂さんもリストに入っていて、ご本人は昨今の状況をどう思ってるんだろう、と薄ら気になっている。SNS上でみる末端の建築クラスタの人たちも、どんなことを考えているのかなあ。

映画は主にタランティーノとか。数年前にワンハリ、今夏にパルプフィクション再上映をみて、これから教養的な意味で過去作もみていきたいって気も少しあったんだけど、年明けのレザボアドッグス再上映はもういいやとなった。

今年の話題の邦画は戦後を扱った話が多いらしい(君たち、ゴジラ、鬼太郎、トットちゃんetc)。洋画の方で同様によく取り上げられる歴史イベントにアウシュビッツのことがあると思うのだけど、これからはそうした作品を見る目が少し変わってしまいそうだな、と思っている。

この秋冬の映画の感触を雑にまとめると…
◎バーナデット:下半期暫定ベスト。今年はブランシェットの年
〇ゴジラ-1.0:娯楽として割り切り
◎首:内容はもちろん衣装もよかった
×perfect blue再上映:平成のキショい側面を凝縮した感じ
△Killers of the flower moon:パンフがあればよかった
△ナポレオン:ねむかった
って感じで、「巨匠が手がける歴史大作」系の映画は「首」以外はきつかった。ひとえに映画や歴史に関する自分のリテラシーのなさによるのだけど。

ただTwitter()だとこの辺の感想を投稿できてない。映画リテラシーの高い人の間ではやっぱりスコセッシ〇リドスコ〇ゴジラ×らしく、なんだかそっちの価値判断が「正解」に思えてきて、不見識を恥じる気持ちと、なんで従わねばならんのだという反発心が交互に去来している。

特にゴジラは日本戦後史もからむせいか、多くの人がゆずれない一線(琴線?逆鱗?)をお持ちのよう。自分は監督の時点で最初から物語面は期待せず、今までにないゴジラの見せ方やVFXが楽しいな、以上のことはさほど考えなかった。ただ最近になってアメリカで特大ヒットのニュースとかを聞くと、ゴジラはもう完全な娯楽映画になったのね…みたいに微かな違和感を覚えたりもする。揺れ動く心。

12月映画はひとまずperfect daysだけでも観られたらいいかなと思っていたら、ノーマークだった鬼太郎とトットちゃんのアニメ映画2本が予想外に評判がいいらしい。気になってきたものの、どのように良いのかまだ見えてこない。どんなもんだろうね?アニメ見ない層でも良いと思えるだろうか。というわけで今週どこかで観る時間をつくりたい。

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