さっきブーストした件で、一ノ関圭という好きな漫画家の作品に、文明開化期の日本の洋画界を舞台に裸婦の問題を取り上げた短編があったのを思い出した。
日本の美術史においても「芸術か破廉恥か」みたいな論争の激しかった時代(e.g. 腰巻事件)の中で、当のヌードモデルの女性を主人公に据えて、感情のある生きた人間として描いていた話。
物語を思い出すと、やっぱり男性画家たちの「女性の身体を芸術として(必要以上に)神聖視している感じ」は現代の非芸術家の感覚だと違和感があるんだよな。
https://mangapedia.com/裸のお百-fl0w90y9x
あと、こないだ地域の現役作家たちのグループ彫刻展に行ったのだけど、案の定よくあるタイプの「ポーズをとった裸婦像で”情熱”みたいな抽象単語をつけたブロンズ作品」が1/4くらいあって、やっぱりこの「女性の身体を美とする」芸術観はよくわからんし変わり映えしないなと思った。
例えば日本人がロダンを知った直後くらいの、荻原守衛などの頃なら当時の最先端として見るべきものがあるのかもしれないけど(それでも美術史としての話で、パブリックアートとして公共の場に置く必要はないんではと思う)
こうした芸術観はそれはそれとして勉強しなきゃな(特に西洋美術方面は疎いし)と思いつつ。
公共空間に裸婦像が多い理由はこの記事によると、、、
①銅像文化は明治期に始まり、戦前は軍人をほめたたえる系の銅像が多かった
②戦時中の金属供出で大半が撤去される
③敗戦の影響で、戦後に建てられる公共の銅像は軍人から裸婦に変わっていった
という流れらしい。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014292176.shtml
まあ、日本らしいといえばらしい流れ。③の部分で女性+裸体にする理由は「女性=平和の象徴」(?)みたいな謎の等号関係と、「無難な選択肢」、という側面もあったんだろうな。
いまは軍人像か裸婦像かの二択以外の選択肢が当たり前にもっとあるはずだし、実際最近は抽象的なのが増えてるのは良いこと。
なお、記事中でも紹介されてるこの文献に、いろんな疑問に対する答えがもっと詳しく書いてあるはず。
「公共空間における女性の彫像に関する一考察」https://asia-u.repo.nii.ac.jp/records/24328
#fedibird
QT: https://fedibird.com/@otro/111570900056241248 [参照]
女性の裸体画(や裸婦像)がなぜ多く描かれるのか、と、公共場面になぜ(主に女性の)裸体彫刻が設置されるのか、は別の問題意識だな。