私たちはつながっている |生活ニュース・コモンズ https://note.com/commons2023/n/n7b8b44c91c02
"「トイレと風呂」の話は、本筋ではない。
しかしこの話に触れるたび、私は、子ども時代の唯さんを思う。
こっそり体育館のトイレに走る姿。
体育着を手に誰もいない場所を探す姿。
修学旅行のお風呂をどう断ろうか、一人で考えている姿。
こういう日常を生き抜いてようやく大人になった彼女たちが、なぜまた傷つけられなければならないのだろうか。"
昨晩はショックで言葉も出ず、報道を見てしんどい状況の人に向けた相談窓口の情報提供と、ヘイトスピーチや誹謗中傷への対応を怠るSNSなどプラットフォーム側への願いを投稿して、自分自身もTwitterからやや離れていました。
ちょうど昨日、集英社新書『トランスジェンダー入門』をお送りいただき、今日はなかなか仕事が手につかなかったのもあり、発売前ひと足先に拝読。
このタイミングだからこそ「当事者の実態は知らないけど、最近話題のあの件はなんとなくこう思う--」と、SNSの投稿ボタンを押す前にまず読んでほしい一冊だと思いました。
トランスジェンダーとはどんな人たちなのか、性別を移行するとはどういうことかなど、文字通り「入門書」。同時に、すばる8月号「トランスジェンダーの物語」特集で高井さんが書かれていたけれど、トランスとはという"定義"ばかり求められるとき、誰がそこに含まれるかより、何が抑圧を生み出しているか、なぜ一つの「傘」の元に集うか--同じ差別という雨に打たれているという視点の大切さを実感します。
この厳しい状況のなか書かれた著者のお二人に頭が下がる思い。明日7/14(金)発売です。
朝日新聞の有料記事プレゼント。当方も拡散させていただきます。
(記事より抜粋)
- 日本の人権保障の国際水準は後進国レベル。男女格差は大きく、国内人権機関や差別禁止法がない。
- 日本でも人権を要求する市民運動(自由民権運動)が存在していた
- 人権教育が不足している。個人の尊重を利己主義と誤解。「日本国憲法が行き過ぎた個人主義という風潮を生んできたという保守層からの批判」
- 「すべての人の権利」の「すべての人」の部分が、日本ではうまく捉えられなかった
- 男女共同参画の遅れの理由は、戦前からの家父長主義的家制度と性別役割分業構造・意識の残存、働き方改革と積極的改善措置(ポジティブ・アクション)の遅れなど。その認識がないことが少子化にもつながっている。
https://digital.asahi.com/articles/ASR1Y73YQR1VUPQJ00M.html?ptoken=01H4X65CZX8X1ZQ7KMEQVD9PVJ
大阪府の子ども食費支援事業、米以外の給付物品の中に「アレルギー対応食品」のカテゴリーがある。
食品の詳細ページを読んでいると「アレルギーを気にされている方にも〜」という文言があって、間違ってはいないけどずれてるなぁと思ってしまう。
“気にされている”だと“気にしていない”人もいる様なニュアンスになる。実際は、食物アレルギーと診断されれば、“気にしないといけない”。食事制限が必要なのです。
食物アレルギーについて広く認知されてきたと思う一方で、まだ「そんなに気をつけなきゃいけないの?少しは食べられるんでしょ?」等言われる事もあるので、まだまだ誤解や偏見はあると感じている。
医者に制限されている(言わば糖尿病患者の食事制限と同じ)と分かる説明をしなければと思っているので、気にする/しないという個人の選択の様な表現につい引っ掛かってしまいました。
病院の待合室で、NHKのニュースが流れている。
PRIDEパレードの映像を流した後、“米国の反性的マイノリティーの動き”と題して、デサンティスや共和党議員の「子どもにLGBTQについて教えたくない」「子どもは子どもらしくいるべき」等のコメントを放送している。
まとめとして言った在米の記者のコメントが「本来人権問題であるはずが、大統領選を争う中での駒の様な扱いになっている」とかいう内容で、もや〜っとした。
“LGBTQを認める・認めない”という二項対立の形で報道しちゃダメでしょう。はっきりとLGBTQには人権があると言ってよ。
地上波のニュース、政府や保守層に媚びた事を言わずに、新しい情報を伝えてほしい。
子どもを連れて実家へ(夫は急用が入った為に不在)。
病み上がりの三男が連日勝手を言っている状態で、子どもに対応するだけでも疲れている。その中、実家両親のあれこれにも対応するのは、ストレスにストレスを重ねる様なもの。
父の言動や生活が気まぐれ・わがまま・非生産的過ぎて、それが認知症だけでなく元々の性格の悪さや無知さも大きな原因で、接するととてもイライラする。
胃が痛い。
大して書く事もないけれど、寝る前にPCを立ち上げて何か書かなきゃ爆発する、と思ったので書いてみた。
吐き出すって大切。
10代の頃、不登校→通信制高校進学という自宅中心の生活をしていた。 その頃の自分には他の選択肢を選べなかったから仕方ないけれど、精神的引きこもりの生活を送った事で、知識・経験・社会性・学力等、充分に得られず、その後苦労したし、今も自分の“足りないもの”を意識する事は多い。
今まであまり意識していなかったけれど、中年になってまたひとつ、自分の不自由さに気付いた。
活力が無いというか、1日に沢山の仕事をやり切る体力が無い。
筋力はあるし、運動も苦手ではないけれど、休日に家族で出掛けたりすると滅茶苦茶疲れるし、平日でもちょっと用事が立て込んで忙しくなると夕方にはぐったりする。
加齢による体力低下や出産育児の慢性的な疲労もあるけれど、成長期に“朝から学校に行って夕方には部活、その合間にも友達と出掛けたり塾に行ったり”という様な身体を動かす生活をしていなかった事も関係あると思う。
自分をインドア派だとは思っていたけど、趣味嗜好だけじゃなく、体力的にもインドア過ぎるんだな…。
ウォーキングや軽い筋トレやストレッチを今からでもすれば改善するのではと筋トレ好きの夫に言われたので、基礎体力の向上を、40代の目標にしようと思う。
義父の作った巨大きゅうりをどうしたものかと困っていた時に見つけたレシピ。
巨大きゅうりは冬瓜と同じだと思えば良いんだな。
義父亡き今はもう、巨大きゅうりが届く事もないけれど…
しんどいしぐったりしている 顔出ししたのもカムアウトしたのも自分の選択だし後悔は(ほぼ)ないけど、恐怖はずっとある。それが弱まるどころか年々日に日に強くなっている。安寧として街を歩いたことなんて一度もない。これからもそれが続くんだなと思う。
洋画・海外ドラマについて書く事が多い、かも。
視聴環境はNetflixとAmazonプライムと時々ディズニープラス。
トランス差別と、その他全ての差別に反対します。