テッド・ラッソ、S1で結構満足してしまって、S2の視聴が捗らない。
序盤は監督の陽気過ぎるキャラを描いて、それだけじゃ物足りなくなってくる中盤に妻との問題を描いてストーリーに膨らみを持たせる、という流れがちょっと安易に思えたのと、(観た人は皆思うだろうけれど)クラブチームのスタッフの数が少なすぎるし組織の規模が小さいところが不自然で、リアリティに欠けて白けちゃう。例えばこの作品がシットコムなら、細かい描写を省いていても“主要なところにフォーカスして他を簡略化した”と受け取っただろうけれど。
最終話の試合でパスを選んだジェイミーとか、凄く良い展開だと思ったし、テッド・ラッソのキャラクターは好きなので、決して嫌い・つまらないわけでは無いんだけど…。
これはもう、新聞記事というより政府広報では?
入管で何人もの命が奪われ、暴言と暴力にさらされている現状を丸無視。強制送還された人がどんな危険に晒されるかも丸無視。本当は立法事実がなくて嘘ばかりだっことも丸無視。ひどい。
https://mainichi.jp/articles/20230608/k00/00m/010/229000c
『イニシェリン島の精霊』20230425
知性・地位の高い者と低い者の衝突の話かな。
正しくも賢くもない前者が後者を叩きのめすのが観ていて辛いし、後者の凡庸で退屈なところがもどかしい。
分かりやすい“正しい人物”を配置せず、どちらにも感情移入しにくいように描かれていると思う。
シボーンが唯一の希望だった。
↑ シボーン
↑ コルム
その他島民
↓ パードリック
↓ ドミニク
という上下関係だったと思うけど、自分がこの構図のどこにいるつもりで鑑賞しているのか、と考えると気まずくて居心地の悪さを感じた。
ディズニープラスだとカットされたシーンが観られるんですが、ドミニクと父親の朝のベッドでの会話のシーンが本当に胸糞で、この父親が警官・父親である故に人間関係の上位にいる事に憎しみを覚える。
コルムに対しても、一流ぶってる二流というところに嫌悪感を抱いた。本当の一流は、自分よりも能力が低い人間に対しても礼節は弁えると思う。
コルムにも言い分はあるのかも知れないけど、でもあの態度はパードリックを馬鹿にしてないとしないよね。シボーンにはきっとしない。
パードリックの愚かさ以上に、コルムの傲慢さが観ていて辛かった。
ここ1週間ほどの間に、自分と知り合いのクラスで数件「トランスエイジ」について学生が言及するということが続いた。どのケースでもトランスジェンダーに絡めて言及された。この言説の出所をまだきちんと確認できていないのが、1人の学生が見せてくれたページはAbema TVのある番組で、トランスジェンダーの次はトランスエイジ?と両者を明確に繋いだものだった。
年齢は誰しも毎年変化するしバイナリーではないので、「トランス」という言葉の使い方が不適切であるのは言うまでもない。そして日本語圏では、「トランスエイジ」という言葉で一部表現されているエイジズム(年齢による規範とそれに基づいた差別、偏見)の問題と年齢詐称とを意図的に混合した上で「自認」という言葉を貶め、それによってトランスジェンダーの存在そのものや性自認概念の正当性や信憑性を貶めることを意図した言説戦略になっていて、非常に悪質だと思う。
昨年の自分のガンや加齢、義父のガンと死去、父の認知症や老化などなど、嫌でも”死”について意識させられる事が続いていて、今更だけど自分のメンタルはあまり健康ではないかもと思えてきた。
ガンと言っても生存率99%だし、今はほぼ普段通りの生活ができてるんだし、そんなに気にするなと自分に言い聞かせていたけど、やっぱり滅茶苦茶怖かった。転移して手遅れかも知れない、再発するかも知れない、という恐怖や不安はあって当然だったんだ。
その中でも子ども達はよくがんばってくれて、今も元気に学校と幼稚園に通っていて安心している。
手術を無事に終えた今、子ども達を日々見守っていると、つくづく子どもは希望だなと思う。
子ども達がいるからこそ死ぬのが怖かったけど、子ども達がいるからこそ生きる喜びも感じる。
謙遜と自己肯定感の低さを混同して育ってしまった、卑屈な人間だけど、落ち込んだ時は「あんたはよくやってるよ」と自画自賛して励まして、少しでも前向きになれるようにしている。
それでも、気を抜くと悲しいことばかり考えそうになるから、自分の気持ちを上手く誘導できるようになろうと意識している。
しんどいけれど、もう少し踏ん張ろう。
末っ子が通う幼稚園の保護者が陽キャの方が多くて、陰キャの自分はかなり浮いてる😂
さすが陽キャだけあって、明るくて社交性高い方が多いから、こんな自分にも声掛けてくれて、お気遣い有難いけど逃げ出したい(笑)
入学・入園のこの時期、子育て中の人と話していてつくづく思うけれど、小学生40人近くを教諭1人が担任するって無理ある。
発達障害があったりその可能性がある子の保護者が、支援を希望するケースが増えていて、支援学級や支援学校がパンク状態だという記事なんかを読むと、そりゃ通常学級に不安を感じる保護者がいて当然と思う。
それを、”甘え”など批判的に書く記事なんかを読むと非常にモヤる。
障害の有無に関わらず、35人もの子どもに大人1人という配置が、そもそもギリギリ過ぎるでしょ、と。
勉強を教えて、トラブルがないか気にかけて、トラブルが発生すれば対処する。無理じゃない?教諭の能力とか関係なく、1人で負える責任の限界を越えていると思う。
いつも思うのは、少人数学級か、支援学校の様に複数担任制にしてほしいという事。個人的には複数担任制を特に希望。ひとりの大人が子どもを支配するという構図に陥る危険性が減り、風通しの良いクラスになると思うので。担任同士の相性とか、苦労はあるだろうけれど(でも支援学校では実際にそれでクラス運営ができているわけだし、不可能ではない)。
教員免許を取りやすくしたり民間人登用なんかじゃなく、人件費に予算かけてと思う。
神戸大学の大学院を修了した久保明日香さん。19歳のときにトランスジェンダーだと初めてカミングアウト、友人たちはすぐに受け入れてくれた。大学事務局に問い合せ「大学が通称名使用を全学部で認めるきっかけをつくった」。24日、「明日香」と記された学位記を受け取った。
日本学生支援機構の調査によると、全国の大学や短期大学のうち「授業や窓口対応での呼称は、当事者の要望に添ったものを使用する」という項目すら35%しか対応していない現状。久保さんのような勇気ある当事者の声が上がるのを待つのではなく、前もって制度を整えてほしい。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202303/0016176287.shtml
#fedibird #fedibird_info fedibird.comが認識しているbird.makeupのアカウントのうち、誰もフォローしていないものをサスペンドしました。
これで、だいぶ巻き込まれた人のアカウントが停止されたかと思います。
こちらで認識していたアカウントはだいたい2万ぐらいあり、ひとまず生き延びたのは300件少々です。
#fedibird #fedibird_info bird.makeupおよびbirdsiteliveで設置された同様のサービスに対し、検索しても先方に問い合わせず、新規のコピーアカウントが増えないようにしました。
fedibird.comおよびnightly.fedibird.comで検索してアカウントが表示される場合、既に認識している既存のアカウントです。
なお、通報いただいた分については削除(サスペンド)してあります。(fedibird.com、nightly.fedibird.comに対しての効果しかありません)
You Tubeの動画で、私の近作『君の六月は凍る』(性別をバイナリーに判断できるような一人称二人称三人称外見描写等を一切使っていない小説)を好意的にとりあげてくれたものがあったんだけど、上記のことについて「作家さんがトランスジェンダー系の人だからでしょうね」みたいな言い方をされていて、単純に勘違いしてるのか、または「トランスジェンダー」を何か別のものと勘違いしているのか、”系”ってなんだよとか、仮に私がトランスジェンダーだったとしてそれとこれを結びつけるのは単純過ぎないかとか、すごく思ったんだけどその人(男性で、書評家をしているらしいひと)に個人的にコンタクトを取るのがどうにもイヤで、まだ連絡できないでいる。最近「ジェンダーの人」がLGBTQ+やフェミニストを粗雑にくくる言葉になっているらしいというのは知っていたけど、さらに雑だしなにより当事者に失礼な用法になっている気がする。ほんと”系”ってなんなんだ。書評をしているような人でもそんなに言葉に雑なのかと思ってしんどい
LGBTについて岸田首相は「私は差別という感覚を持っているとは思っていない」と答弁。差別は「感覚」の問題ではない。いかに差別の問題を何もわかっていないか。当事者と面会した際「私たちを否定してくるのは制度です」と言われ、一体何を学んだのか。
https://nordot.app/1003471262164647936
ツイッターで「#わきまえない女」というタグを作ったのはわたしなんですが、
このタグはトランスヘイターの使うものになってしまい、そのことをずっと後悔している。わたしが悪いんじゃないとは思いますが、タグがどんな使われ方をするか作った本人にはコントロールできないもんだな。
このタグについて取材の申し込みが2件くらいあって、普段は取材の申し込みって「せっかくですがお断りします」の一言しか返事しないんですが(断る理由を説明する義務はないと思ってる)この時ばかりは言葉を尽くしてすごく丁寧に「なぜこのタグを作ったことを後悔してるか、取材には応じられないか」を説明した。返事はなかったけど。
ある本屋さんが企画した「好きな作家と最近読んだ本を言って、店主に本を選んでもらう」という企画で、わたしのために店主が選んでくれた本の中にトランスヘイターの作家の作品があり、わたし自身は「なぜ彼女がそういう思想に至ってしまったのか」を知るために著作を読むこと自体はやるけど、これをSNSで公表することはできないなって思って、選び直してもらったことがある。そのときに「なぜこの作家の本を選び直して欲しいのか」をしたためた、店主とのメールのやりとりは、今でもたまに読み返して勇気をもらっている。人間の誠実さについてのとてもいいやりとりだった。
偏見を助長したくない、ゲイ当事者も配役される、葛藤しつつ制作の体制も考えて役を引き受けた鈴木亮平さんの覚悟。性的マイノリティの当事者ではなく「差別が根強く残る社会の側に問題がある」同性婚の法制化は「尊厳を守ることに繋がる」と言い切ってくれる力強さ。鈴木さんはもちろん、記者の姿勢や言葉も相まって、誠実さが伝わってくる記事。
「かつての浩輔のように、今この瞬間も、人知れず偏見と差別に耐え忍ぶ性的マイノリティーの人たちがいる。鈴木はその事実から目をそらさない。『自分の性の在り方が当然のものだと感じられる作品が増えていくべき』」
https://www.kanaloco.jp/news/culture/bunka/article-968033.html
洋画・海外ドラマについて書く事が多い、かも。
視聴環境はNetflixとAmazonプライムと時々ディズニープラス。
トランス差別と、その他全ての差別に反対します。