私は物語の中で物語の中以上のことを判断しない。判別しない。線を引かない。
しかし、明確な線引きでもある。もうすこし干渉した方が、作品的にはすぐれたものになると思う(近現代における“責任”については揉める種ばかりだが)。
自身の土地擬人化×歴史創作というものは、共感と断絶のあわいにある作品だと思っている。
そもそも、私の中で“土地擬人化”(或いはフネ)が人間のかたちをしているだけで、共感と断絶のあわいにいる存在だ。人間の道筋を歩くが、自分では作らない。人間の道理からは少し外れた──側道を歩いているようなものだと思って描いている。
だから余計に共感は剥げていく。むしろ、キャラクターに共感させていく趣もあるだろうと思う。
これからも、読みにくい言葉にしにくい賞毎年金賞受賞くらいの勢いでやっていきたい。
うそ。ちょっとはわかりやすいように頑張りたい。
(「臆病者の作品づくり」より)
書いていて思ったけど、そう思ってるだけで線引きしてるものは無意識にしてるんだろうなと思いますね
それはもう、無意識から発せられる思想のはみ出しだよな
この無意識をなるべく削いでいきたい