自分にとって祖父は「孫をかわいがってくれる優しいおじいちゃん」くらいの認識でしかなかったのだが、それはそうと実家との縁が切れてたり、実家筋が裕福なはずなのに祖父母の年金は払ってない程度には生活に苦労した話だったり(なお、叔父は幼少期親戚の家に預けられて育った)、祖父周りのエピソードは色々不思議に思ってたのだ。
この話を聞いてる間、自分は始終笑い転げていた。あまりもの衝撃に笑うしかできなかった……。
祖母は祖母で、こんな話今さら息子たちにはできないし、笑って聞いてくれるのがありがたいとは言ってくれた(内心どう思ってるかはともかく)。しかし、苦労したのだなぁ、ホント……。
それはそうと、谷林のサボり癖がまさかじいちゃんからの遺伝という可能性が浮上してきたのが一番の衝撃だよ。
で、今日判明したのは、若い頃の祖父がそこそこのボンクラだったという事実である。
じいちゃんはとにかく働かなかったらしい。働かないにも色々あるが、父が生まれた後の時期に勤めていた会社へ二ヶ月出勤せず、借金を給料と偽って祖母に渡していたというエピソードは格が違う。子持ちの身でやっていいことではない。
話しぶりから推測するに、それが発覚したのはじいちゃんが家に帰ってこなかったのがきっかけだった。祖母が会社に赴いて欠勤の事実が判明し、祖母は父を祖母方の実家に預け、じいちゃんを探しに天王寺のジャンジャン横丁に探しに出かけたという。昨晩泊まっていた小さな旅館を探し当て、将棋を見物するじいちゃんを見つけたはいいが、帰路の電車はもうなかったから旅館に連泊することになったらしい。借金をしている身で!
祖母はなんとか生活を回すためにお好み焼き屋で生計を立て直し、並行してじいちゃんの本職である紳士服店も立ち上げたのだが、旦那はやはり働かないので祖母が紳士服から婦人服に店の方針を切り替えた。ある会社の下請け仕事を自分で見つけてきて、なんとか父と叔父を育て上げたとのことである。
(続く)
祖母と二人で夕食とったところ、亡くなったおじいちゃんの昔話になった。
祖父筋の親族は、地元じゃ名の知れた一族だったらしい。戦国時代に存在した城名を自分も名字として受け継いでるくらいだ、歴史としては相当なもんである。前世紀の時点でも駅前一帯の土地を所有していたとことで、大阪への上京時に父親(自分のひい祖父ちゃん)に家を建ててもらったとか。すごい話である。
が、自分は祖父筋の地元に行ったことがない。自分が生まれた時点でじいちゃんは実家筋と絶縁に近く、大伯父(祖父のお兄さん)の葬儀に父を連れて帰ったのが自分の知る限り唯一の交流だった。
三男坊に生まれた祖父は若い頃に地元から大阪に出てきて、大阪で祖母と結婚した。大体60年代くらいだろうか。地元を離れた三男坊という辺りに何か事情があるのだろうとは思っていた。
(続く)
都内で行われる親戚の結婚式で両親と祖母が上京してくるのだが、宿に関して
・祖母の部屋は親戚が手配
・両親の部屋は自分たちで手配
というかたちになってて、祖母を一人で泊まらせるのは流石にということで自分が祖母に連れ添って宿泊することになった。
それ自体はありがたいことなんだけど、よく考えたら結婚式用のスーツ&土日に宿泊の準備ってことで、結構な大荷物にしなきゃいけないのを完全に失念していたため、これから荷造りである。
結婚式の「正装を身にまとって、特定のプロトコルに沿った振る舞いをする」という行為に楽しさは覚えるが、それはそれとしてどたばたって感じ
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(続き)
ちなみに、3日目も広島の工業地帯を撮った後に下関まで行ったのでチェックインは23時を回った。
道中は道後温泉とか、大歩危とか、大塚国際美術館とか、しまなみ街道とか、色々気になってた所を見て回れたのは楽しかったんだけど、日程詰め込んだツケは4日目にやってきた。朝起きたら発熱してたのである。東京に戻ってから測ったところ、38度を越えてた。
しかも、頭がかなりぼーっとしてる中で車運転して空港まで移動したところ、ホテルの部屋に社用PCを忘れていたことが発覚。運転よりも忘れ物に気を配るべきだった。それないと仕事ができないので郵送してもらうのは無理。早めに出たのが幸いしてギリギリ飛行機までの時間に間に合いそうだったから、事情を説明して一度返したレンタカーを再度借り、慌ててホテルまで戻ったのであった。
結果、PCは無事回収し、幸いフライトの時刻にも間に合ったものの、肉体的にも精神的にも人生でもピカイチ疲れた旅行だった。
なお、この4日目は創元SF短編賞の締め切り前日だったのだが、最後の推敲が完了しておらず、帰宅した段階で応募を一度諦めた。
しかし、翌日も発熱して会社を休むことになったため、結果的に推敲の時間がとれて応募に成功したのであった。
以上、サハリン略の裏話でした。
当時の谷林はとにかく「予定を詰め込む」という悪癖があり、一人で行動する分にはとにかくきつめのスケジュールを組みがちである。
それが極まってしまったのが四国4県+広島山口の撮影旅のときで、自分はなぜか
・1日目:高知
・2日目:徳島・香川・愛媛
・3日目:広島・山口
(4日目に戻る)
という「夜景撮影」の行程を組んだ。1日目と3日目はまだいい。問題は2日目で、徳島市内で夜景撮影を19時に終えて、香川に移動で3時間・愛媛に移動で3時間、撮影各30分で7時間。宿に着くのは26時である。
なんで行けると思った?
これは一般常識に属するタイプの豆知識ですが、民宿とかだとスタッフさんは22時を回ると眠ります。なのでチェックインが22時を回ると「鍵開けとくから勝手に入って寝て」方式になる。チェックインが深夜を回る旨電話口で伝えたところ、明らかに「こいつめんどくせえ客だな……」みたいな感じの態度で応対をされた。まあその通りなので何も言えない。しかし、翌日友人と会うために7時にチェックアウトを済ませようとしたら、宿の人が急に優しくなった。いま思うと半分同情されたんだと思う。
花火で思い出したが、旅行系の会社にいたころ、大曲で開かれた町内会かなんかのローカル花火撮影に行ったことがある。
とある機材のプロモで夜景写真のサンプルを社員で分担して47都道府県分集めてくるという仕事で、自分は秋田・岩手・四国4県・広島・山口を回ることになったのだ。1人で8県は今考えると正気の沙汰ではないが、当時は「経費で旅行できる! やった!」くらいの気持ちだった。まだ20代の頃である。
岩手と秋田は連日で撮影することにした。撮影場所は任意で決めてよく、岩手は小岩井農場のイルミネーションで決定。問題は秋田で、夜景知識に乏しかったので、適当に調べて見つけたローカル花火イベントを撮ろうと思い立ったんだよな。
いざ行ってみると、年の瀬近いタイミングでのローカルイベントなのでそこそこ空いてるし、雪景色の花火というのもあって悪くなかった。ただ、如何せん町内会レベルの花火なので規模がまず小さいのと、撮影位置が悪かったのとで写真は微妙なのしか撮影できなかった。写真も没になった。
だからなのか、当時の自分はなぜかそのあと秋田市に移動して更に夜景を撮り、撮影後に横手のホテルに帰るという頭のおかしい行程を実行してる。ホテルに着いたのは24時近かった。今よりもノリで生きてる割合が大きかった。