大学生の頃はエイプリルフールネタを面白く思っていたけど、最近はなんかそういう特別なことを日単位でやられるとついていけない感じがあってつらい
Mastodon、Twitterとほぼ同じ感覚で使っていいはずだと思いつつ、ブーストやお気に入りには慎重になってしまうし、絵文字のリアクションはしていいのかどうかがわからないと感じる(誰も駄目とは言っていないのに)。
Bing Image Creatorがめっちゃ格好良い感じの絵を作ってくれた。謎に格好良い。
Japanese painting of a crab in the style of Jakuchu Ito
嫌味というものについては「嫌味のつもりで言わない」と「一般的に嫌味と解釈され得ることを言わない」の二段構えでジャッジされているものだろうと思う。
後者の判定があるので、それをパスしないイコール「敢えてそういう言い回しで言っている」と解釈される。つまり「嫌味のつもりで言っている」という可能性を生じてしまう。
後者のジャッジをパスすることは、社会で生きている大人なら普通に可能なことだと想定されていると感じる(「自分は嫌味なんて言わないからわからない」では済まされない)。
このジャッジがパートナーという親密な間柄でも免除されないという場合にはそこにひとつの問題はあるだろうけど(「私の料理に文句があるわけ?」「俺の稼ぎが少ないって言いたいのか!」etc)、そのジャッジが親密な間柄でさえ働いてしまうのは、社会的に課された役割を十分に満たしているかどうかを常に評価されているという「より強力なジャッジ」が先にあるからというのも大きいと思う。そのパートナーが評価を下そうとしてくるわけではないとしても。
「クラス使わないで関数で良くない?」と語っている人が例示しているコードの書き方がつい最近自分がやり始めたのと同じ形だと気付き、new演算子への理解の進展からちょっとクラスに戻りかけてたのを、「やっぱこれでいいか」と思い直したところ。
自己の言語化/知的生産についての知的生産/デジタルノートツールの自作/JavaScript