天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』
これらはイエズス会が、日本に来た宣教師が日本語を覚えるために作った日本語リーダーなのだそうだ。第二言語習得にはリーダーがいいんだよという真理はヨーロッパでは16世紀の時点で既に発見されていたわけだよな。本邦の英語教育でそれが公式に発見されたのはいつなのか知らんけど、もっとリーダーを奨励してほしかったとは思うねえ。以前から Oxford Bookworms Library は既に整備されていたんだから。

天草版『平家物語』扉ページを見ると、得体の知れないローマ字表記で「日本の 言葉 と ヒストリア を 習ひ 知らん と 欲する 人 のために 世話(せわ)に やわらげたる 平家 の 物語。」と書いてある。「世話」とは「日常の話し言葉や平易な言葉」を意味する名詞だった。

国立国語研究所のサイトで見た。原本は大英博物館の一点しかないらしい。
dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa

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最初Vは子音かと思っていたがどうやら母音だと気づいてから、しかもブルガリのスペルがBVLGARIでラテン語もたしかVが母音だったの思い出したんだよね。
そして「にふぉんの ことば と ヒストリア うぉ ならひ しらん と ふぉっする ふぃと のために せわに やわらげたる ふぇいけ の ものがたり。」というところまでは来た。

これは奥付だ。
「この 一巻には 日本の 平家とゆう ヒストリアと、Morales Sentenças と、エウロパの エソポのハブラス (Aesop's Fables)を をす もの なり。しかれば これらの さくさは(?) げーを にて、そあを 題目も さのみ をも をもしからざる 儀 なりと 見ゆると いえども、かつは(catçùua) 言葉 稽古の ため、かつは 世の 徳の ため、これらの 類いの 書物を 範に ひらく ことは、Eccleshia にをいて 珍しからざる 儀 なり。かくの如きの 極めは、デウスの御奉公を志し、そのグロリアを乞い願う(こいねごう)にあり。しかれば この Collegio に をいて 今まで 範に 開きたる きおう(?)は これら の儀に ついて(tçuite) 定めおかるる (shadamvocaruru) 法度(fatto)の 心あてに 応じて(vôjite) 詮索 (xenshacu) したる如く; この 一部をも Superiores より定めたもう(shadametamõ) 人々の 詮索をもって 範に開きて よからんと 定められたる もの なり。Amacusa天草に をいてFeureiroの23日にこれをしょす。時にごさっしのなんき。1593。

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