おは

改めて昨日思いついた(多分昨日よな?)これかなり革新的だよな
今月の最高傑作と言える文言かもしれんわ
前者は 的な文脈に「超ひも理論」的な文脈性を重ねたもの
後者はカント哲学的な世界に対する対峙姿勢として「意味を見出す」という言葉を導きだしそこに、神道的「忌み」性を重ねたもの
両者ともこれからの「無力な生命」のやるべき事、やれることとして二つをあげた
考察くらいはできるはず意味付け価値付けくらいはできるはずという未来予測に似たもの

21世紀の人類の使命、というと的確とは言えないけど当たらずとも遠からずみたいなところがある
21世紀の人類という主語は余りにも小さすぎるし、使命という名詞は余りにも重すぎるけど

「良い作品」って"考察する余地"に恵まれてるけどな
我々はもう「世界の読者」にならざるを得ない地位にまで没落していると言える

人類が近代の頃のように地上の創造主として世界を設計していけるとはもう思えない

ただ与えられた創造物の考察と解釈を行うことしかできない存在
昇華から消化、だね
不本意な

会話とは何か
人間の記憶の有限性 無能性 知性の限界
そこにこそ人間が他者を求める理由がある
人が人を必要とする理由があるはず
人にとって脅威なのはむしろ無能なAIだ
無能ささえもいずれ代替されてしまうのだろうか
仮にそうだとして
一時的とは言え長い歴史の中で自分達の無能さを他者と埋め合わせることが必要だった時代があったことを喜ぼう
元々生物は一人で産まれてきて一人で死にゆくものだった
それがいつしか群れを成すようになり言語を獲得しそれが歴史時代と呼ばれる有史の人類史が始まった
けどそれは生命の長い歴史から見れば一部に過ぎず元々は人は、いやその前の猿だった時代やもっと前の時代は今よりももっと他者を必要としていなかった
元々生命は孤独な存在だった
無性生殖が当たり前だった時代は異性さえ必要としていなかった
その時代にまた戻ろうとしているのかもしれない
自然に帰ろうと言った者がいるように我々は孤独に帰らなければいけないのかもしれない
とぼとぼと一人また一人と孤独を受け入れて立ち去っていく後姿がなんとも虚しい

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会話って何かってことが分からなくなってこの走り書きみたいのを書いたけど

結局「情報が有限だった時代に有限の記憶しか持たない人類同士がお互いの有限性を慰め合って情報を補完し合う行為」これこそが会話のかつての形だったのではと結論づけた
ある場所で雷が落ちた
それを見た人は大慌ててで飛び出す
世の中にはまだ雷を見たことがない人がいた
だからそれを教える
それを聞く
記憶は有限だから昔見たことも忘れていく
だから互いに昔話をして思い出し合う
人間の記憶は有限だけどでも有限であることは嫌なことだからだから忘れないようにお互いに昔あったことを教え合う
影響を与えあう
けど今はもうみんなの頭の中にある情報がほとんど共通化しているからもう傷付けあうことくらいでしかコミュニケーションをとれなくなっているのかもしれない

これもまた昔の生物の姿に似ているな
人間が各々完璧な存在になればもはやそれぞれは溶け合ってその輪郭を失っていくことになる

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