(チラシ裏面、画像説明の続き)
ナーグシク・ヨシミツ(三線、沖縄島唄、他オリジナル)
沖縄生まれのナーグシク・ヨシミツと広島育ちのナビイにより1985年結成された寿|Kotobuki。戦渦の中を歌い継がれた琉球弧の島唄を歌い継ぎ、ピース・ボートなどでアジア各国やパレスチナ難民キャンプなどでもコンサートを 催してきた。近年はこの時期、ナビィがバリ島にいるため、作詞作曲とコーラスを受け持つナーグシク・ヨシミツがソロで自身の活動を展開。基地で揺れるオキナワのいまを歌います。
ブツチ&アリソン(フィリピンの民衆歌、労働歌、他オリジナル)
タガロク語で褐色の民族という意味のユニット。今回のメンバーはフィリピン・ミンダナオ島出身のアリソンとブッチ。フィリピンでは米軍基地反対運動の中で歌を歌っていた。日本では移住労働者として働きながら音楽活動を通し、故郷・ミンダナオの人々を支援。労働条件の差別と外国人への差別という二重の差別を感じながらも、労働者たちや市民運動との連帯を信じ、求めて活動している。
(まだ続きます)
🕊️平和を考えるイベント🕊️
「ピース・フェスティバル in 大和・綾瀬 2023 秋」
日時:11月5日(日)午前11時~午後2時
場所:小田急江ノ島線/相鉄線「大和駅」東側プロムナード
内容:ピース・コンサート、模擬店、アジアの平和と基地問題を考えるパネル展
主催:実行委員会
(関係してる方からSNSにUPしていいよと許可をもらったのでシェアしますね~)
こちらチラシの表側。
バスの中で左手中指を蚊に刺されてとても痒い。わたしは献血できない(飲んでる薬のせい)んだがわたしを刺した蚊は大丈夫ですか〜?
幼い頃からわたしはその場にいる蚊を全員集合ぐらいには集めてしまって痒さのあまり夜中に目を覚まして泣いて癇癪を起こして刺された所をバシバシ自分で叩いたりして隣で寝てた親も起こしてしまってたけど、蚊のご飯になったのなら、まあいいか。
毎日私たちのコミュニティの旗を掲げ、それを写真に撮って、SNSにアップする。もう1年、しんどくても休まずにやってる。たったそれだけの事。誰かを励ましているかもしれない。ひょっとしたら苦々しく思っている人もいるかも。でも止める選択肢は私にはない。ここにいる限り。私たちはここにいるから。
#レインボーフラッグを掲げよう🏳️🌈
#LGBTQIAplus
#TransRightsAreHumanRights
#トランス差別に反対します
#ノンバイナリー差別に反対します
#バイセクシャル差別に反対します
祖母たちの移住には長兄は同行しなかった。「イエ」のために。でも結局「支那事変」後に徴兵され「戦死」したそうだ。この時期その地域の20代そこそこの「健康な」男たちの多くが徴兵されたらしい。祖父はその時ちょうどけがをしていて徴兵を免れたが、戦況が長引いてニューギニアの戦闘が始まってから34歳で徴兵され、敗戦を迎えても帰って来ず、「戦死」が伝えられたのは敗戦翌年。おばは学校帰りに寄った雑貨屋のお使いの人からそれを伝えられ、家まで泣き叫びながら帰って、帰宅したら家でみんなが泣いていたと。
そして、「イエ」のためのおばの人生は、さらに過酷なものになっていった。
数年前、子どもや孫はそれぞれ自分の人生を送るようになって、おじが亡くなり、今が一番自由で幸せだと言う。手術した膝が痛いと言いながら、集落の仲間とグランドゴルフをするために移動はまだ軽トラを運転している。資料をいくつか借りてきて、今度はそれを返しに行く時に、また話を聞かせてもらうことになっている。
職場繁忙期越えて8月末にようやく夏休みとなり高齢両親の暮らす実家に帰省。猛烈な暑さと、過疎地の実態のもろもろと、90歳のおばからはじめて聞いた「イエ」にまつわる家族親族の人生の一部に触れて、その疲れが今どっと出てきている。
初めは西部ニューギニアで「戦死」した祖父のことを聞くため訪ねたのだが、それより人生を「イエ」に翻弄され続けたおばの人生の過酷さを初めて知り本当に「女」の話は聞かれてこなかったし私も聞いてこなかったと衝撃を受けている。
そして未だに受け止め所が分からず宙ぶらりんになっている祖母にまつわる事実。祖母は幼少期、両親と姉妹で朝鮮半島に移住していたのだった(大正から昭和初期にかけてと思われる)。祖母の生地の集落は瓦の一大産地で、祖母の父は朝鮮半島で瓦の窯を興そうとしたが失敗して数年後帰国したと。当時祖母は日本語を忘れてしまい帰国後かなり苦労したらしいと。そういう話をおばから聞いた。はじめて。
私が幼少期、祖母の作る料理の中に、結婚して大阪に移住した末のおばが送ってくる干し鱈を、むしって唐辛子とごま油と醤油とみりんで和えた「めんて」というおかずがあった。今思えばあれは地元の郷土料理ではない。祖母の幼少期の記憶から作った料理だったんだろう。
祖母はもういない。何も私は聞いてこなかった。
高齢者2人が体が痛い体が痛いと言ってるとを聞くと、自分の痛みは随分軽いよね。。。となる。わたしのは緊張からくるコリとかハリだからね。。。(ただしPTさんが毎週びっくりするレベル)。
無事に電車乗り継ぎチャレンジに成功し帰省を果たしたが、帰るたびに親がどんどん年を取っているのが分かってびっくりする。分かっていたはずなのに何も分かってなかった自分にもびっくりする。
明日、日中一番暑い時間帯に電力会社が電線の交換で工事に入るため集落一体停電になるらしい。。。誰も反対しなかったんか?限界集落の高齢者は見殺しか?てかうちの両親もそれに文句つけなかったんだね???
三十分仕事したら一回椅子から立つ、という熱さストレス逃し?を実践開始。
人生さ迷い中。さ迷って終わるかも。「とても楽しくて幸せでした。ありがたいし愛してます」と思えるようになるよう生きてます。
#神奈川なんでもぶつぶつ #ねまの片付け日記