男性政治家とかがやらかしたときの「妻または娘に叱られた」に対する引っかかりについては様々な分析が出てる。
「普段は下に見てる者」から「叱られる」ことで、こんなときだけ自分を更に下に位置付ける(かのように見せる)ずるさ。あと、どなたの指摘だったか、普段は公と私をきっちり分けて仕事に家庭を持ち込まないことが良しとされてる日本社会なのに、こんなときだけ妻や娘などを家庭から引っ張り出してくるダブスタ。
熊本の女性議員が赤子を連れてきてボロクソに叩かれまくったのは2016年のできごとだったそう。「公」の場に「私」を持ち込むことは許されない。この女性議員は後にも「のど飴を舐めてた」罪によっても吊し上げられている。このように厳しい社会で、「いやあ妻に(娘に)叱られまして」なんて、よくも言えたものだ。っていうか通用するから言うんだよね。
いや、もうちょっと根深い気がするんすよ。
何故家庭というごくプライベートな空間の話を出して、それを本人も世間も違和感がないとするのか?。これ結局私空間と公空間の連続的上下関係、要は封建史観あるいは天皇制家族史観との関係を戦後が絶ちきれなかった証左かとも。
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