宗教が現代社会で不利になりがちなの、いいことなのか悪いことなのかわからない。

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「悪い思い込み」のことを「信仰」と呼んだりするのとかもうソレでしかないよね。

補足すると、現代社会において「無根拠な悪い思い込み」をしていることを指して「信仰」と侮蔑的なニュアンスを込めて呼ぶことがみられることなどに見られる「宗教は現代社会に合わないので悪い目線で見られる」傾向の話です。

教義が「科学」でないからと思ってるのだけど、じゃあ宗教できれいな水や安定した電力が得られるのかって言われると、ご利益のある方が有利になるのは当然といえば当然というのも理解しています。

補足(言葉がキツイ) 

ただ、「宗教を名乗る集金装置」は酷い目にあってほしいと思ってます。それは「銀行を名乗った詐欺師がキャッシュカードを持ち逃げする」やつと同じなので「宗教の問題ではなく詐欺の話」と思っておりますので。

自分が宗教者だからではなく、良い宗教者にたいへんお世話になった時期があって、彼女らを「善い人間」としてくれた要素の一つだと思うと「宗教として機能してる宗教は悪ではない」と思っているところが……。

歴史的には苦難に耐える人類を救ってきたり、かと思えば腐敗して人類を苦しめるものになったりしてきたのは高校世界史並みの知識で理解してます。
信じるものがあればいろいろ耐えられるのも(対象が神様でないだけで)自分の人生で知っていることだったりするので……。

もちろん悪い宗教者にも不快な気持ちにさせられたことがあります。ある上で言っています。

まあ…その人たちは「自称宗教の集金システム」側なんでしょうけども。

前に信仰と科学が対立しやすいのはなぜかという話題が出た時に、まとまらなくて書けなかったことがまとまったので書く 

人間の脳の特性と、
・人間が信仰に向き合う時
・人間が科学に向き合う時
に脳が気をつけるべきことが
ちょうど真逆だからだと思います。

ちょっと例を挙げます。
「エトピリカ」という合唱曲をご存知でしょうか。
廣瀬量平氏作曲の合唱組曲「海鳥の詩」のうちの1曲です。
とてもいい歌なので是非聴いてみて欲しいです。
大学時代に合唱団にいたので歌いました。

「海鳥の詩」の舞台は北海道。
試される大地の自然を生き抜く海鳥たちの生きざまを歌い上げる曲集で、
作詞はアイヌ文化研究家でもある詩人・更科源蔵氏であり、
自然界に在るものひとつひとつに神が宿るとする
アイヌの信仰も色濃く歌詞に反映してあります。

前に信仰と科学が対立しやすいのはなぜかという話題が出た時に、まとまらなくて書けなかったことがまとまったので書く 

エトピリカはアイヌ語で美しい嘴という意味で
その名の通り美しい嘴を持った海鳥です。
崖に巣をつくり、霧の中でも方向を見失わず真っ直ぐ飛びます。

科学の目でみると、そういう進化をして能力を獲得した、のです。
崖に巣をつくる習性も生存戦略だったでしょう、そういう環境条件、
崖の地形のなか、霧が出ようが何しようがうまく飛べる個体が残り
うまく飛べない、方向感覚が優れていない個体は自然淘汰されたのです。
自然淘汰されなかった個体がただ本能でもって能力を使い生き残り子孫を遺す、
遺伝情報がそういう能力が優れた方へ集約されていく。
そこにはなんの意志もありません。自然には意志は無い。
「そこに物語は無い」のです。これが重要。

前に信仰と科学が対立しやすいのはなぜかという話題が出た時に、まとまらなくて書けなかったことがまとまったので書く 

海鳥の詩の曲では最後、もっとも盛り上がる節で
エトピリカをどう歌っているか。
 岩崖の土穴の 幼い命に
 そうそうと冠毛をなびかせ目を見張り
 霧にもめげずに翔ぶ限り
「神は居る」
というんですね。

巣には当然ヒナがいるんですよ。そのヒナの命を守るため、
そしてまあもちろん親鳥自身の生活のためにエトピリカは飛ぶんだと。
自然淘汰の結果のただの能力獲得があるんだからわけないよ、ではなく
ヒナのための根性論みたいな物語が存在する。
(もちろん、能力があろうがなかろうが頑張って子育てしてるとは思うんですが)
そして親鳥の、ヒナのために霧にも負けず飛ぶという願いは
はたして叶うのです。それは自然の意志であり、すなわち神の意志であると。
そこに神の存在を感じるのが人間の信仰なんです。

前に信仰と科学が対立しやすいのはなぜかという話題が出た時に、まとまらなくて書けなかったことがまとまったので書く 

科学の目でみる人間はそもそもそこに意志を感じたらだめなんですね。
自然に意志なんぞあることになってたら
研究結果がゆがんでいってしまう。
データを正しくみることができなくなってしまう。
科学者も人間なので自分の脳の中に
そこに物語を感じる回路自体は存在するんですが
データをみるときにその回路と一線を画すように訓練する。
現実と妄想の区別をつける訓練です。
神のような存在というのは「その脳の回路が見せるもの、人間の中だけにあるもの」であり、現実ではないのです。

信仰の目でみる人間は
物語を感じる回路でもっていわばトランス状態にならなければならない。
神の存在をあたかも現実のように感じるというのはそういうことです。
そのとき科学の「それは脳の回路が見せるものですよ」という指摘は邪魔でしかない。
その世俗の指摘と一線を画せるよう、祈りを捧げて信仰を保つ。
そうすることで神に会える、彼らにとっては現実なのです。

水と油です。

前に信仰と科学が対立しやすいのはなぜかという話題が出た時に、まとまらなくて書けなかったことがまとまったので書く 

そもそも進化論自体が
キリスト教みたいな
猿から進化したんじゃなく最初の人間アダムがいたんだよ
的な教義を頭っから信じなきゃいけない人たちからは
ボコボコに叩かれるやつですけどね……

進化論自体が、楽園の知恵の実に匹敵する
悪魔に属するものなんでしょうね。

でも、知恵って人間の特有の武器なので
否定しない方がいいと思うんですけどねえ……(いち科学者の意見)

そもそも「知恵を得て楽園から追放されました」
っていう反知性主義も
科学者だけでなく学者からボコボコに叩かれるやつですし……

前に信仰と科学が対立しやすいのはなぜかという話題が出た時に、まとまらなくて書けなかったことがまとまったので書く 

宗教も宗教歌・讃美歌を多く持つように
歌というのも人間の心に訴えかけやすいものです。
また、私はいちおう科学者のはしくれですが
データをみる頭のまま歌ったりなどしないです。

歌うときは歌にのめりこんで歌うし
合唱経験者は経験あると思いますが
ある程度上達して自分のパートをしっかり歌えるようになった
(つられずに歌え、むしろ他パートの音を聴いてハーモニーを楽しめるレベルになった)
合唱団員というのは、舞台の合唱を客席で聴くより
何倍もいいハーモニーを内部で聴いているものです。

そんな中で
霧にもめげずに翔ぶ限り神はたしかにいるのだ
と言われたら「そうかあ」となる。
最初に書いたとてもいい歌という感想は本音です。
そして、こうやって人は信仰をもつのだなと思ったものです。

まあ練習と前後して研究室に忙殺されるので
そんな感覚はすぐ忘れてしまうのですが()
今でも信仰をもつ人間ではないですね()

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